1. トップ
  2. 恋愛
  3. 川谷絵音のエッセイ連載「持っている人」/第3回「上田さんの一言」

川谷絵音のエッセイ連載「持っている人」/第3回「上田さんの一言」

  • 2024.12.20

2022年のFIFAワールドカップ、日本対ドイツ戦。あの日本の劇的な勝利を覚えているだろうか。ドイツに先制されるも、堂安(律)のゴールで追いつき、試合終盤の浅野(拓磨)の逆転ゴールで2-1で勝利したあの伝説の試合だ。僕は忘れもしない。忘れるわけがない。それだけ特別なことが起こった日だから。人生で一番腹筋を使ったであろうこの日に起こったことを、これから書いていこうと思う。

ワールドカップの開催中、僕はちょうどゲスの極み乙女のツアー中だった。日本の初戦でもあるドイツ戦当日は大阪でワンマンライブをしていたのだが、試合開始時間は日本時間22時で、ライブは遅くとも21時には終わるので、見ようと思えばリアタイできるスケジュールだった。でも試合を見るモチベーションはそんなに高くなかった。僕は学生時代サッカー部だったこともあり、サッカーを見るのは好きだ。ただ、グループステージは強豪であるスペイン、ドイツと同じといういわゆる死の組で、突破は難しいと思っていたし、負ける可能性が高そうなドイツ戦をライブ後に見る心持ちにはならなそうだなとも思っていた。実際大阪でのライブ後は、良いライブをした満足感と打ち上げでお酒を飲みたいという感情が脳を支配していて、ワールドカップのことなどすっかり忘れてしまっていた。

ライブと打ち上げはセットだ。帰るまでが遠足、打ち上げまでがライブだ。ツアーでは各地にイベンターがいて、打ち上げ会場を押さえてくれる。大阪にはひょうきんなイベンターの上田さんという方がいて、彼が押さえる店は美味しいところが多かった。この日もおしゃれな居酒屋の2階にある広い個室のテーブルをメンバーと上田さんで囲んでいた。出てくる料理は全て美味しく、お酒も種類が豊富で、店内でかかる音楽も秀逸だった。何より居心地が良い。店員さんの穏やかな雰囲気も店の照明の塩梅も寒過ぎず暑過ぎない室温も、僕が好きな空間を演出してくれていた。

そんな最高の打ち上げ開始から1時間ほど経った頃、1階の方が騒がしくなった。店内BGMを超える声量がたまに聞こえてくる。

「ドイツ戦始まったみたいですね!」

上田さんのその一言でワールドカップのことを思い出した。1階はおそらくテレビがあるのだろう。みんなで観戦しているようだ。ゲスの極み乙女のメンバーはさほどサッカーには興味が無さそうで、「へー」と口を揃えて言っただけだった。その後も楽しい打ち上げは進み、1階の声も気にならなくなった頃、一際でかい悲鳴のような絶叫が下から聞こえた。

「あー、Twitter見た感じ、ドイツに先制されたみたいですね……」

スマホを見ていた上田さんが残念そうに呟いた。まあそうだよなぁ、やっぱりなぁ。僕はお酒に意識を戻し、メンバーと今日のライブの話をして盛り上がった。それからしばらく経った頃、今度はさっきとは比べ物にならないほどの絶叫が下から聞こえた。地鳴りのような、身体が揺れたと錯覚するほどの声量。

メンバーも何が起こったんだ? という顔をして全員の動きが止まっている。

「え⁉ 日本が同点! 堂安が決めました……‼」

上田さんが叫んだ。マジか、同点? さっきまで全く興味がなかったメンバーもこれには心が動いているようだった。この時僕は1階に行きたいと少し思い始めていた。しかしまだ同点。ここからまた点を取られる可能性の方が高い。一旦冷静になろう。ドイツはここから絶対本気になる。勝てるわけがない。勝った方が嬉しいはずなのに、試合を見ない選択をした自分を正当化するため、逆張り川谷くんが大阪に降臨していた。

「まあ、飲もう。ドイツはここから本気になるよ。今だけ今だけ」

僕の逆張りビームを浴びたメンバーは、「まあそうだよね」という空気を受け入れ、打ち上げモードに戻っていった。そこからは1階が少し盛り上がったり、落胆の声を上げても気にならなかった。しかし、またしばらく経った頃、床を突き破るような轟音が下から僕らの身体を突き抜け、2階の天井に突き刺さった。

「浅野! 浅野が! うわぁ〜! 逆転! ぎゃく…… てん‼」

Twitter 実況者の上田さんが大声を上げた。

「えー‼ マジ⁉」

逆張りビームの効果は完全に消え、全員がサッカーのことしか考えられなくなっていた。どうにか試合を見たい。勝利の瞬間を見られるかもしれない。

「上田さん、どうにかサッカー見られないですかね? スマホで生配信とか! そういうの絶対ありますよね? 1階は一般のお客さんいるし、ここで見れたら最高なんですが……」

試合を見ない選択をしたことを悔いていた。僕は必死だった。絶対に見たい。

「ちょっと探してみます! わ、しかもロスタイム7分もある……! 今見れたら7分見れますよ! あっ、生配信やってる! 僕のスマホで良ければ見れます!」

上田さんはスマホを横にしてメニュー表のスタンドに立て掛けた。スマホの画面は小さく、見づらかったが、本当に2-1で日本がリードしていた。あと7分守り切れば大金星だ。それにしてもこの日初めて見るドイツの選手は全員身体がデカく、足もめちゃくちゃ速い。ドイツの右サイドの選手が自陣から日本のディフェンスラインまで、見たことがないスピードで迫ってくる。そこに凄いスピードのスルーパスが通る。それをトラップすることなくダイレクトにシュートした。ギリギリゴールの枠を外れたが、ドイツのスーパープレイだった。みんなで悲鳴を上げる。危なかった。というかこんな凄いチームに2-1で勝ってるの? 失点1で抑えてるの凄すぎないか? その後も怒涛のドイツの攻撃は続いた。スーパープレイの連続だった。

ドイツの選手の運動能力の高さと体力には驚くしかなかったし、生配信の画面が俯瞰の画が多く、全体が見やすかったので、ドイツの全体のチームワークの凄さも目立っていた。ロスタイムはいつ終わるんだ? 7分ってこんなに長いのか……。ドイツの猛攻に対して日本は防戦一方だった。これを見ているとマグレで入った2点なのだろうなと思うしかなかった。

早く終わってくれ、そう祈っていたその時だ。日本のディフェンスの誰かが蹴った山なりのロングボールがドイツゴール前に落ちた。え? と呆気に取られていた僕らの目に飛び込んできたのは、そのボールの前でフリーになった日本の選手だった。画面が小さい上に引きの画だったので誰かはわからないが、絶好のチャンスだった。その後はスローモーションに見えた。そのロングボールをワンタッチして余裕を持って体勢を整え、ゆったりしたモーションでボールを蹴った。その白と黒の模様が入った球体はキーパーの手をすり抜け、ゴールネットを揺らした。

「ゴーーーーーール!!!!」

解説が絶叫する。僕らは顔を見合わせ、身体全体を使って発狂した。やった‼ 勝った‼ 3-1! もう多分残り時間は1分もない。絶対に勝った! 大金星だ! 1階も今凄い盛り上がりだろうが、2階の僕らの声の大きさでもう聞こえない。心臓が飛び出しそうだ。今まで見たスポーツの中で一番興奮していた。サッカーに興味がなかったメンバーもみんな狂喜乱舞している。最高の気分だった。2点差も付けてあの漫画みたいなスーパープレイヤーが集まったドイツに勝ったんだ。最初から試合を見なかったことは悔やまれるが決勝点の瞬間を見られたんだ。もう悔いはない。打ち上げまでがライブ、いや勝利までがライブだ。

スマホの画面では今のゴールのリプレイ映像が流れている。配信を見始めて初めての寄りの映像だった。興奮状態のまま遠くからそれを眺めていたが、上田さんが急にスマホを取って自分の目に近づけた。

「え、待って? これウイイレやん‼」

は? ウイイレ? 上田さんは何を言ってるんだ? まだ喜びきってないぞ。勝利の舞いの真骨頂はこれからだというのに。

「マジやん……。ウイイレやん……。ウイニングイレブン!僕らウイイレ見てたんですよ……!」

上田さんが叫んでいる。

言ってる意味がわからない。ウイニングイレブンはよく知っている。学生時代よくやったサッカーゲームだ。それを見ていた? いや、ワールドカップの生配信を見てたんでしょ? 僕らを笑わそうとしてるのか? だとしたら全然面白くないぞ?

「上田さん? 何言ってるんすか? ちょっと貸してください」

そう言って僕はスマホを取って顔に近づけた。画面には決勝ゴールのリプレイ映像の寄りが流れている。

「ウイイレやん……」

どう見てもウイイレだった。学生時代によくやったあのウイニングイレブンだ。人がカクカクしているし、顔も身体の作りも粗い。よく考えたらドイツの選手の走り方は異常だった。100mを5秒くらいで走るスピードだった。ドイツは強いという固定観念にも似た妄想は僕らの判断能力を低下させていた。

でもなぜ? この映像は何?

「これ……多分、日本ドイツ戦を裏で生で再現してる……ウイイレ配信のリンクでしたわ……」

その上田さんの一言で呆れを通り越し、笑いが込み上げてきた。何を見せられてたんだという気持ちと何故気付かなかったんだという気持ちが掛け合わさり、お洒落な居酒屋の2階は爆笑に包まれた。笑い過ぎるくらい笑った。

本当の日本対ドイツ戦はもう終わっており、2-1で日本が勝利していた。再現するならなんで3点目入れたんだよ。また笑った。腹筋が捻じ切れてしまいそうだった。そしてそのウイイレ生配信を6000人が見ていたらしい。絶対に僕らと同じ勘違いをしていた人が混ざってるに違いない。別次元のワールドカップで幻の3点目を目撃した6000人。これから良いことがあるに違いない。同志たちよ、幸あれ。

ダ・ヴィンチWeb
ウイイレを見る前。ゲスの極み乙女のツアー、大阪ワンマンライブでの1枚
元記事で読む
の記事をもっとみる