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今にも消えそうな漢字。いつか私もこの名字とさよならするのだろうか

  • 2024.12.20

うーん、本当にどうなるんだろう。このまま行くと、本当に数十年以内で絶滅してしまうのではないだろうか。

あっ、別にイリオモテヤマネコの話とかじゃないんだよ。トキの話でもないからね。ちゃんと「名字について思うこと」というテーマで書いたエッセイになってるので、このまま読んでくれると嬉しいな。

◎ ◎

私が最近「このままだと絶滅するのでは」と危惧しているものとは、他でもない、私の「名字」なのだ。

私の名字はかなり珍しい。今までの人生で、同じ名字の人に学校や仕事で出会ったことは一度もない。強いて言うなら一度だけ、殺人事件の被害者か加害者で同じ名字を持つ人をテレビのニュースで見たことがある。ひょっとして私の遠い親戚だったりするのだろうか。テレビの画面に映る、初めましての顔に思いを馳せてみたりした。

子どもの頃は「変な名字だよなあ。あんまり好きじゃない」と思っていたのだが、そんな変な名字でも生まれて20数年もするとそれなりに愛着が湧いてくる。そう、生まれて20数年。

現在20代前半である私の周りでは、大学の先輩や少しだけ年上の友人たちがどんどん結婚している。彼らの姿を見て私は思う。

「もし私が結婚したら、私のこのかなり珍しい名字はどうなっちゃうんだ?」と。

◎ ◎

今の日本では、結婚したら女性が改姓して男性の名字に合わせることの方が圧倒的に多い。私の名字だって、父方の一族から受け継いだものである。

で、問題はここからである……。私が把握している限りだと、現在父方の親族には、これから数年のうちに結婚の可能性がありそうな年齢、かつ私と同じ名字を持っている人間が、恐らく片手の指で数えられるくらいしかいないのだ。このメンツ全員が晴れて結婚したところで、夫婦別姓問題に関する今の日本の状態を考慮すると、恐らく半分くらい(つまり女性陣)は名字を変えてしまうだろう。

そうなると、一族の中の私たち世代が子どもを持ったとしても、その内の何人がこの名字を受け継ぐんだ?さらにその子どもたちの子どもたちの世代は?……計算していくと「私の名字、冗談抜きで絶滅危惧種かも」という結論にたどり着く。

◎ ◎

昔、「少子高齢化によって日本は最終的に鈴木さんだらけ、佐藤さんだらけになる」という話を聞いて、「えー、さすがに嘘でしょう」と一笑に付した記憶があるのだが、このままだと私の名字は近いうちに本当に世界から消えてしまうかもしれない。

ちなみに、私の友人で私と同じくらい珍しい名字を持つ人がいるのだが、彼女は一族の中で唯一の若人らしく、「私が結婚して改姓したら、たぶんこの名字は日本から絶滅しちゃうんだよね~!」とあっさり言い放っていた。 どうも今の日本には、私や彼女のように「自分の名字、このまま行くと絶滅するのでは問題」に瀕している人がものすごく沢山存在している気がするのだ。ここは一つ、そういう人たちを集めたオフ会でも開いてみるというのはどうだろうか。そこで同じ名字を持つ人と出会えたりしたら、結構盛り上がると思うんだけどな。

◎ ◎

別に私は「一族の血を絶対に受け継いでいかなければ」みたいな強い気持ちを持っているわけではない。結婚も出産も人の自由だ。名字だって、変えたければ変えれば良い。

ただそれとは別に、「自分のこの名字を、このまま絶滅させるのはちょっと……」みたいな、何とも言語化しにくいモヤモヤ感があるのだ。

思い当たる理由は二つ。一つ目、あまりにも珍しい名字だから、このまま絶滅させることに対し抵抗感がある。もし私の名字が佐藤か鈴木か田中だったら、「まっ、私の家が途絶えても、他の佐藤家(あるいは鈴木家か田中家)が頑張ってくれるでしょ」とのんびりしていたと思う。

二つ目、「仕事柄、沢山の戸籍を日常的に読んでいるため、『家制度』というものを必然的に考えさせられる機会が多いから」。曾祖父母くらいの世代の人の戸籍を読んでいると、「親戚の家で男の子が生まれなかったから、生まれた家を出て養子になった」という男性をよく見かける。そういう男性は戸籍上で「養子」と明記され、新しい名字を名乗ることになる。昔の人はそれくらい、「一族を、名字を、次の世代に承継していく」という意識が強かったのだ。今でも、歴史ある名家だったりしてどうしても跡取り息子が必要な家は、そういう手段を取っている。

◎ ◎

仕事で手にした戸籍を読み解きながら私は考える。自分の、親の、祖父母の戸籍を辿り、そこから会ったこともないご先祖様たちの戸籍までも入手することは、現実として可能なのだ。最初にこの名字を名乗るようになったのが、どの代のご先祖様なのかは知らないけれど、その人だって両親がいたから生まれたわけで、その両親だってそれぞれの両親の存在がいたからこそ誕生したわけで。

何百年もかけて、気が遠くなるほど長い長い家系図が作られていく途中、今の私の名字が書き込まれた。そしてその家系図の一番下に今、私や同世代の若者たちがいるわけだけれど……。右、左を見てみる。え、今この名字を名乗っているのって、これだけしかいないのか。

薄くなって今にも消えそうな、その漢字を見つめる。
いつか私も、この名字とさよならするのだろうか。
それとも、誰かに受け継いでいくのだろうか。

◎ ◎

何だか薄暗いテンションのまま、〆に入ってしまった。とりあえずは今のところ結婚等の予定もないので、しばらくはこの名字と共に生きていくつもりである。

なお、前述の「珍しい名字の人を集めたオフ会」だが、もし実際に開催されたら喜んで参加する心意気だ。このエッセイを読んでくださっている方で、賛同・企画・開催してくださる方がいらっしゃったら、ご一報くださるとありがたい限りである。

■泉海のプロフィール
美術館が好きです。ほぼ毎週末行っています。
色彩検定1級の実技試験に、あと10点で落ちました。来年こそ再挑戦します。

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