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生まれる前から括られた無価値の札。人生を共にする珍名字に抱く愛着

  • 2024.12.19

読みにくくはないが言いづらい珍名字を与えられた。社会人になり聞き返される面倒くささはあったが地元で珍しくはない名字だった。同じ読み方をする医師がいたので「私の字は頭の良くない方です」などと自虐をいいながらさほど違和感なく過ごしていた。

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結婚しまたも新しい珍名字を授与されたのだが、そのような受け入れやすい材料がなければ言いづらい上に読みづらい一品だった。加えて県外へ出たものだから毎回毎回聞き返しのお互いにパッとしない時間のおまけ付きだ。

小学生の時に全く同じ字同じ読み方をするクラスメイトがいたのもあり授与された名字は初対面から違和感なく読めたのだが、これが県を超え知り合がいない場所となると毎回何度も何度も確認作業が生じる。この名字確認の儀式をなんとか一度で終わりにしたい、故の努力も健気なもので口を大きく開けたりとか、ゆっくり高低差のない音域で話すとか、ローマ字読みにしたりとか。言いにくい読みにくい馴染みのない名字は絶え間ぬ努力が必要なのだと痛感している。

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人生で1番活用されている自分の品、個人を表す名前よりも名字で呼び合うことの方が多い。名前に「さん」付けは時に馴れ馴れしさをも感じることがあるからか、基本は名字に「さん」「先生」などがあてられる。簡単でさらっと読める、そして言いやすい名字だったらよかったと思ったこともあったが、今は授与されたこの珍名字これはこれで赤の他人同士が一瞬繋がるツールにしては悪くないとも思う。「珍しいですね、沖縄の?」と言われると海無し県で生まれ育った私は少しばかりこの珍名字が可愛らしく感じるのだ。

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夫婦の在り方、姓の、性のあり方。力の優越や歴史に深く関わる経緯継承の象徴のようなものが名字なのかもしれない。好きか嫌いかで簡単に変えられるものでなく、生まれる前から自分に括られている無価値の札。これが名前と結び付く事で生まれる「第一印象」となるが上書きされたこれも無価値の札。しかし実際は「名字」という価値札にはうっすら額書きされたものもある。そこに性が付き、肉体が付き、名前が付き、知らぬ間にその額書きは濃淡を繰り返すのだ。

珍しさというものは付属品に過ぎない。ただ、付属品でもパーツの量がは個々に違うだろう。先に話した読みやすや言いやすさや、地元、馴染み、日本人であれば使われる漢字などもそうだ。文字一つ一つに意味がある。

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もし街頭イタンビューで「この人の名字はなんでしょう」をしてみたらどうだろうか。同じく街頭イタンビューで「この名字の人はどんな人のイメージでしょう」をしてみたらどうだろうか。その時の社会の雰囲気でお咎めのない答えになる気もするし、勝手に決めるなと批判やクレームに繋がりそうだ。私には取りづらい付属品だらけの珍名字だからイメージで正解は得られない、簡単でぱっと思いつく名字も時にご苦労があるのかもしれない。

そんなことをだらだらと考えつつ、ファミレスの顧客様呼び出し名簿に「ヤマダ」と記入した。いざ呼ばれると違和感と罪悪感を抱いてしまった。

■ゆもえのプロフィール
沖縄と柴犬が大好き。手話と語学勉強(英語、ポルトガル語)を勉強中。

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