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背中をさする家。連載コラム : 中瀬萌 #3

  • 2024.12.18

冬がきた。久しぶりに数日、実家に帰ってきている。

生まれ育った実家。

無機質なガルバリウム鋼板の外壁の内側にはミニマリストと真逆をゆく、あるとあらゆるモノと生き物の色が存在する。

出典 andpremium.jp

小さい頃から、家の中の多くの壁が絵を描いても良いようになっていて、小学校の美術の時間よりも家の壁に絵を自由に描く時間がとても好きだった。

色の記憶というのは、私にとって多くの感情にリンクしており、実家に戻るたびにあの時、その時、過去の細かな体温のような温かみが蘇る。

一見、というか実際に、モノが多すぎる家でもあるのだがそのモノひとつずつが記憶を宿していて、家族それぞれが、それを見たり触れたりすることで記憶を思い返していると思う。

お洒落を求めるのではなく、空間の色彩と記憶が交差するためのような家。

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壁に飾るものの多くは、友人作家の作品。

父親や私は、友人作家の作品を買うことが多く、自分にはない個性のもの、応援の気持ち、物々交換など、様々な理由。

長い単位で、決して“集めよう”と思わず、出合いとつながりのもとに。だからこその濃密なもの。

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物が多いと、部屋が突散らばってしまうことが難題だ。

ただ、父親はよく、散らかすために片付けるんだ、と言っていた。

片付けと散らかし、卵が先か鶏が先かみたいな話。どっちでもいいけれど、とにかく、片付けは忘れてはならない。しかし、散らかす勇気というのも必要である。だから、子供はすごい。縦横無尽に散らかせるのは、後先考えずの勢いが無いとできない。

大人になると、整えることを覚える。言語よりも先に身体の言語によって動くことができるからこそ、散らかすことができる。

一列にきれいに並んだその配列をたった一つでも動かすと、そこには混沌が生まれる。

左右非対称の美しさは自然の生き物から学ぶ。

小さく小さく変化を繰り返して、はみ出て、個になる。

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家には、植物も数多く存在する。

周りが森に囲まれているのに、なぜ家の中にまでこんなにも植物が必要なのかと思った時期もあった。

今思うと、植物たちとも生活の中にある共通の空気と時間を共有していることを理解する。

ぱさり、と季節の変わり目に落ちる葉の音を聞くことができた時には、私はどれだけの騒音の中にいたのだろうか、と心がハッとさせられたし、それはひとつひとつの合図なんだと教えてもらった。

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家というのは、はじめてくる人はやっぱり、ちょっと緊張気味に玄関を通る、「お邪魔します」と。

私の理想の家というのは、そんな人も二度目にきた時には、あ〜ちょっとここ座らせて〜と、

勝手に適当に座ってくれて、お茶飲みながら雑談がはじまる、そんな気が抜けた、なんか不思議と落ち着く家。

背中をさするように、「はいはい、おつかれさん、」と、そんな気持ちで迎え入れられる空間を私もつくりたいし、そして、そんなあったかい人になりたい。

思い浮かぶ理想はいつも変わらずひとつ、山梨県北杜市のギャラリー『Gallery Trax』。

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オーナーである三好悦子さんのやさしさにいつも、時間も自分も溶けそうになる。

長野へ戻る前にまた、寄って帰ろうっと。八ヶ岳にはもう本格的な白い雪が乗っているだろう。

edit : Sayuri Otobe

アーティスト 中瀬萌

出典 andpremium.jp

神奈川県藤野町の麓で生まれ育ち、現在長野県在住。古代から使われる自然的顔料である蜜蝋を主に用いて、溶融した蜜蝋に色素を混ぜ合わせるエンカウスティークを独学で試み、自身が自然と触れある中で感じた景色、匂いや感情を記憶として閉じ込めるように絵画を制作している。

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