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名字を変えても私のままでいられるのはオリジナルの人生を創れるから

  • 2024.12.18

私の父は在日韓国人で、新井という。本来は朴なのだが、日本では新井という通名で生きてきた。祖父母が10代の頃に日本へ渡って来て、新井家が始まった。在日といえど、私の体に流れる血は半分韓国の血であるということは、私のアイデンティティの1つだ。

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私は24歳で結婚し、小林になった。入籍してから2年経ったが、小林という名字はもうすっかり馴染んできた。小林の字面は左右対称だから気に入っている。濁点が入っているのも好きだ。選択的夫婦別姓を求める声が上がっている中、私は呑気にも「新しい名字なんて新鮮!名前が変わるって面白い」なんて考えていた。

実際、新しい姓に変わったことで不便を感じたことはない。むしろ「なるほど、名字が変わるとこんな感じなのか」と人生で数少ない貴重な体験を楽しんですらいる。ただ一つ文句を申し上げるのであれば、パスポートの変更手数料6,000円の出費は手痛かった。

今年の春、父方の祖母が他界したことをきっかけに私は韓国を想うことが増えた。祖父は私が4歳の頃に他界したので、新井家の祖父母がこの世を去ったことは、私たち家族に大きな衝撃を与えた。私は今まであまり韓国語に興味を示さなかったのに、韓国語を勉強し始めた。韓国に住んでいる親戚のことがもっと気になるようにもなった。そして、新井という旧姓を懐かしむことも増えた。

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韓国は夫婦別姓なので、朴さんと金さんが結婚しても朴は朴のままで、金は金のままでいられる。また、金は金でも、「金海金氏」や「慶州金氏」など、韓国には本貫という祖先の発祥から成る氏が存在し、本貫は金氏だけでも200以上あると言われている。父方の本貫は朴の中でも7割を占める密陽朴氏という。本貫はあれど、やはり日本に比べたら韓国の名字の種類は少ない。500年後には日本も韓国のように名字が数種類に減るとも言われている。そういった仮説を踏まえれば、選択的夫婦別姓の導入に緊急性はないと思う。

曽祖父は韓国南西部、光州の町医者で、日本へわたり兵庫県尼崎市で焼肉店をしていた祖父の兄を頼りに私の祖父は10代の頃に自らの意思で日本へ来て、どういうわけか新潟へ移ったらしい。

祖父は「新潟は酒が美味いから」と新潟に来たらしいが、それが本当なのか、父ですらその祖父の真意はわからないという。祖父は半生で大きな礎を築き、79歳で他界した。本当にパワフルな人だった。

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こういった親戚のことを知ろうと思ったのは、私が社会人一年目の時に、尊敬している上司が「自分のルーツを知っている人は地に足がついている気がする」と言っていたのがきっかけだ。 私は地元の新潟の大学を卒業して関西へ移り、就職し、それ以来関西に住み続けている。夫も新潟出身だが、二人とも地元に戻る気はない。

関西には在日韓国人が多く、在日特有のコミュニティが多く存在していて、ルーツを探るきっかけとなった。ルーツ探しを手助けしてくれる人にも出会った。私たち夫婦はお互いの家族は皆新潟にいるが、私たちはすでに知っている街じゃなく、自分たちが見つけた街で生きていきたいと思っている。

引っ越し、就職、結婚、挫折、寄り道、遠回り。こういった人生の変化が折り重なって自分の人生は作られていく。名字だけの変化など、私には些細なことだ。 私はまだルーツ研究の途中だが、上司の言っていた通り、自分のルーツを知るということは人生の土台を強固にしてくれる気がする。

なぜ自分は生まれてきて、ここにいるのか。今を生きるために過去を知ることは決して無駄なことではないと思う。人にとって生まれ育った家庭環境がその後の人生に大きく影響を及ぼすように、命の源を探ることは生き抜く上でのヒントを私たちに与えてくれるはずだ。

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24年生きた頃に突然名字が新井から小林になっても、私の体には母と父の分け合った血が流れている事実は変わらない。字が変わったくらいでアイデンティティは揺るがない。私が名字を変えても私のままでいられるのは、己のルーツを知り、オリジナルの人生を創っていきたいと願っているからだろう。

■かめこのプロフィール
26歳。故郷の新潟を離れ、関西で転々として生きている。趣味はフラ、特技はイラストと占い。

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