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譲れないのは組み合わせ。今の姓以上に合う名字はきっとない

  • 2024.12.18

私は名字への思い入れというより、姓と名前の組み合わせが譲れない。姓名で運勢が決まるなどと100%信じるわけでは全くないが、総画数や意味など思案を重ね、生まれた時に名付けられる。私の名前とその漢字は非常に珍しい。

「芸名ですか」と聞かれたことさえある。姓もありふれてはいない。その名前に今の姓以上に合う名字などないのに、なぜ名字を変えるという選択肢があるのかわからない。

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周囲の同姓のSNSへの投稿やLINEの名前を見て、一体どんな気持ちで名字を変えているのだろうといつも不思議に思う。よくそんな簡単に「今日から◯◯になりました」などと書けるなと内心冷ややかに見ている。彼女たちの中には、名字が変わって初めて結婚したという実感が湧き、幸せを掴んだと思っている人もいるだろうし、一方、モヤモヤしながら変えざるを得なかった人もいないとは思わない。

女性が嫁いで旧姓を名乗らなくなるというのは、残りの人生は男性の家の一員になるということである。特に、珍しい名字から、どこにでもいるような姓に変わってしまうような場合、アイデンティティを失いかねないように感じる。

私は夫婦別姓が当たり前の国に生まれたかったし、日本も今後そうならなければ、女性の社会的地位は低いままで、他国よりさらに劣るようになると考える。昔から日本は、女性側が男性側の姓に変えて当たり前で、どちらの名字にするかの選択の余地もほとんど与えられていないに等しい。

例えば、私はひとりっ子で、継ぐべき会社もあるので姓を変えて嫁に行くつもりは毛頭ない。たとえどれだけ好きで尊敬する相手でも、男性側の名字を名乗ってほしいと言われた地点で破談にするだろう。かと言って、婿に入ってほしいわけでもない。

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夫婦別姓が認められるならもう少し結婚しても良いかと思うが、認められないなら私はずっと恋愛関係のまま(事実婚)でいたいというのが本音である。その方が男女平等でバランスは保たれるし、名字の変更に伴う義理を負担に思うこともない。私が本来嫁に行くべき所を婿に来てもらったなどということになれば、一生恩に感じ続け、生きなければならないから。

親の世代ではその考え方が根強いし、都会ではないので周囲もそう言う人は多いだろう。

自分の名字を守らなければならないから、結婚がハードルとなり、人を好きになるのが怖いとか恋愛できないとか言っているわけでは全くない。現に、私には恋い慕う人がいる。ただ、年齢相応になると恋愛の先にあるのは籍を入れる結婚だと、ほとんどの日本人は言う。

籍を入れ、どちらかの姓を選ぶということに固執しなければ、もっと結婚のハードルは下がり、子供も設けやすい世の中になるだろう。幸せな時は、名字のことなど考え過ぎだ・理屈っぽい、いずれ気にならなくなると世の人は言うだろう。しかし、離婚するとなった際、名字を変えた方に圧倒的に負担がかかり、社会からの目も厳しくなるのが現実だ。

そして、子供を設けやすい世の中の仕組みにしてしまえば、少子化・人手不足などと騒がなくても、企業が女性の管理職◯%確保などと躍起にならなくても、自然と男女均等な割合の職場になるはずである。また、仕事・家事ともに女性に皺寄せが来ることも少なくなるだろう。現在の法律が大きな足かせとなり、身動きが取れなくなっている。一部の企業や家庭がどれだけ騒いだところで、足掻いて小手先のことをしているだけで、根本からの解決にはならず、人々の考え方も変わるまい。

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たかが名字、されど名字だ。「結婚する際、女が変えるもの」では、イノベーションは生まれない。当たり前のことに違和感を感じねば。日本経済が再び活発化し、政府が高らかに掲げる賃上げ・男女雇用機会均等まで良い循環を生み出したいのなら、夫婦別姓を認め、選択肢を与えるのが一番の近道ではないか、私はそう考える。

■シンギュラリティのプロフィール
大学院修了後、駆け出しのエンジニア女子。異動が続き、混沌とする職場に身を置くが、なんとかこなし日々生き延びている。趣味は旅と酒蔵・美術館巡り。

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