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歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10

  • 2024.12.17
歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10
歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10

Text by 石井彰(編集部)

サッカー選手はタイトルの数で評価されるとよく言われるが、それが実力と必ずマッチするかといえばそうではない。

怪我やタイミング、そしてチーム事情などによって様々なものが左右され、その個人の能力や活躍度合いに見合わない結果になってしまう選手も少なくない。

今回は『Givemesport』から「世界で最もアンラッキーだった名サッカー選手たち」をご紹介する。

ハリー・ケイン

歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10
歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10

所属したクラブ:トッテナム・ホットスパー、バイエルン・ミュンヘン

国籍:イングランド

イングランドの歴史上最も優秀なストライカーでありながら、これほどまでにタイトルに恵まれないキャリアを送ることになるとは。

トッテナム・ホットスパーの下部組織から輩出されたが、チームは2008年以降トロフィーを勝ち取ることができず、イングランド代表も評判に値する結果を残せなかった。

それを払拭しようとバイエルン・ミュンヘンに移籍すれば、今度はブンデスリーガのタイトルをレヴァークーゼンに奪われてしまった。またもや彼の手にチームレベルでのメジャータイトルは収まらなかった。

マルコ・ロイス

歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10
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所属したクラブ:ボルシアMG、ボルシア・ドルトムント、LAギャラクシー

国籍:ドイツ

マルコ・ロイスはドイツが生んだ最も才能豊かなアタッカーでありながら、そのキャリアは怪我に悩まされるばかりであった。

2014年ワールドカップでは主役を演じるはずだったが、大会前の親善試合で足首に壊滅的な怪我を負った。世界王者に輝く仲間たちを遠くから見守るのみであった。

しかも今年LAギャラクシーでMLSを制覇するまで、意外にも一度もリーグタイトルを獲得したことがなかった。とても不運なキャリアだったといえる。

ジャンルイージ・ブッフォン

歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10
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所属したクラブ:パルマ、ユヴェントス、PSG

国籍:イタリア

サッカーの歴史上最も偉大なゴールキーパーであり、彼以上に素晴らしいショットストッパーはあの時代に間違いなく存在しなかった。

ユヴェントスやパルマでセリエAのタイトルを10回獲得し、イタリア代表でも2006年のワールドカップを制覇。しかもその際の彼の活躍は際立っていた。

ところが、彼はチャンピオンズリーグだけに縁がなかった。3回も決勝戦に進みながら、その全てに敗北。またバロンドールにも輝くことができなかった。

ヘルマン・フレイザルソン

歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10
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所属したクラブ:クリスタル・パレス、イプスウィッチ・タウン、チャールトン、ポーツマスなど

国籍:アイスランド

ヘルマン・フレイザルソンという名前はプレミアリーグのコアなファンしかわからないかもしれないが、とても珍しい記録を持っている。

彼はアイスランド出身の優れたサイドバックだったが、プレミアリーグを戦った際に所属した5つのクラブ全てで降格を経験している(クリスタル・パレス、ウィンブルドン、イプスウィッチ・タウン、チャールトン、ポーツマス)。

ミヒャエル・バラック

歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10
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所属したクラブ:レヴァークーゼン、バイエルン・ミュンヘン、チェルシーなど

国籍:ドイツ

最終的にはドイツやイングランドなどで主要なトロフィーを数多く獲得することになったバラックであるが、キャリアの初期にはとても不運な出来事があった。

2001-02シーズン、彼が大活躍していたレヴァークーゼンは3つのトロフィー獲得に迫った。ところがブンデスリーガ、DFBポカール、チャンピオンズリーグと3つの決勝戦で全て敗北。さらにその年のワールドカップでも決勝で敗れた。

そしてチェルシー在籍時の2008年も、プレミアリーグ最終節で首位から陥落、リーグカップではトッテナムに決勝で敗れ、チャンピオンズリーグ決勝でもマンチェスター・ユナイテッドに負け、EUROも決勝でスペインに負けている。

スティーヴン・ジェラード

歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10
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所属したクラブ:リヴァプール、LAギャラクシー

国籍:イングランド

間違いなくプレミアリーグの歴史上で最高のセントラルミッドフィルダー。彼ほどにリーダーシップがありながらもあらゆる能力に長けた選手はいなかった。

しかしながら同時にプレミアリーグの歴史上最も不運な選手とも言われる。彼が愛してやまないリヴァプールは、その時代に不安定な状況であったからだ。

リーグタイトルを手にしようとした2013-14シーズンには、チェルシー戦でアンフィールドの芝に足を取られて滑り、デンバ・バにゴールを許すという悪夢も。チャンピオンズリーグは制覇したが、彼は結局プレミアリーグのトロフィーは手にできぬまま引退しなければならなかった。

ロナウド

歴史上「最も不運だった名選手たち」TOP10
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所属したクラブ:PSV、バルセロナ、インテル、レアル・マドリーなど

国籍:ブラジル

世界で最も恐れられたフォワードであるロナウド。しかし彼は最も恐ろしい怪我に直面した選手でもある。

圧倒的なスピードを発揮しながらその中で繊細にボールを扱うことができ、走った後でも正確で強いシュートを打つ。そのスタイルが影響したのか、体が悲鳴を上げるのが早かった。

インテルで怪我を経験し、さらに故障からの復帰からまもなく靭帯を断裂。PSVやバルセロナで見せていたような最高の状態に戻ることはなく、20代前半でそのパフォーマンスは衰退してしまった。もし彼が万全でプレーできていたら、メッシやロナウドをはるかに超えるような存在になっていただろう。

また、1998年ワールドカップでも決勝戦前の痙攣によって万全な体調で臨むことができず、フランスに優勝を掻っ攫われている。

アレッサンドロ・ネスタ

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所属したクラブ:ラツィオ、ACミランなど

国籍:イタリア

イタリアにおける伝説的なディフェンダー。絡め取るようなディフェンスは数多くのアタッカーを封じ込め、数多くのビッグマッチで活躍を見せた。

しかし彼は需要なところで怪我を抱えてしまうというタイミングの悪さがあった。3回のワールドカップで、彼はすべて難しい状況に直面していた。

1998年は準々決勝を怪我で欠場。2002年もあの悪名高い韓国戦には出場できていないし、2006年も決勝戦で欠場を余儀なくされて優勝に貢献できなかった。なんとタイミングが悪いのか…。

ジミー・グリーヴズ

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所属したクラブ:チェルシー、ミラン、トッテナム、ウェストハムなど

国籍:イングランド

イングランドサッカーの歴史でも輝かしい栄光を持つ選手として知られているジミー・グリーヴズ。歴史上最高のストライカーの一人だ。

地元開催の1966年ワールドカップでは、主力の選手として最初の3試合に先発出場したものの準々決勝から怪我で離脱してしまった。しかも、その代役として起用されたジェフ・ハーストが大爆発し、決勝戦でもハットトリックの活躍を見せた。

さらに当時のワールドカップでは決勝戦終了時にピッチにいた11人にしかメダルが授与されなかったので、ジミー・グリーヴズは2009年まで表彰されることすらなかったのだ。

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