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感動の最終回!「嵐が来るわ」と道長に呼びかけるまひろ。新しい時代の到来。でも、まひろが前を向いている限り物語も続いていきます。

  • 2024.12.16

「光る君へ」言いたい放題レヴュー

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光る君へ 最終回 「物語の先に」あらすじ&今週も言いたい放題臨終の道長の枕元に座すまひろが、新たに紡ぐ三郎とまひろの物語。「嵐が来るわ」訪れる新しい時代の予感。心ざわつく、感動のエンディング。

M男です。とうとうこの日を迎えてしまいました。最終回です。最終回スペシャルで1時間となりましたが、2時間でも3時間でもやってほしい気分です。それにしても素晴しかった。これまでのさまざまな物語を回収するだけでなく、次への展開をも予感させてくれる濃い最終回でした。

「殿とはいつから?」穏やかに、でも刃を忍ばせて問う倫子さま。恐わっ!!

「殿とはいつから?」ごくごく穏やかに、でも奥底には刃を忍ばせて問う倫子さま。後半は、ばればれでしたからね。倫子さまでなくともわかります。

倫子さまのただならぬ気配に、まひろも白状せざるを得ませんでしたが、賢子が道長との間にできた子どもだということだけは、隠し通しました。明かしてしまったら、女房として彰子に仕えていた賢子の立場がビミョーなものになりますから、母親として娘を守ったのでしょうね。

冒頭部分のこの展開、じつはM男は、最初のころは今さらそこを突き詰めてどうするの? ストーリー展開として無駄じゃね?と思っていました。でもよくよく考えたら、倫子さまが「妾になってほしい」とまで頼むほど、まひろと道長の長年に及ぶ深い関係を半ば認めたという前提がないと、臨終の道長の枕元にまひろが出向くという設定を作ることができないので、ある意味では当然の、体育館裏呼び出しですね。

でも、「彰子の心にわけいり、私からあの子を奪っていったのね。私たち、あなたの手のひらの上で転がされていたのね」というのは、ちと言い過ぎという気がしないでもありません。そんなことは、まひろは考えていませんでしたよ倫子さま。まあ、でも正妻としてはあまりにもやるせなく、そんな言葉も吐いてみたくなるのでしょうね。

なんと『更科日記』の作者まで登場。世代を超え受け継がれていく物語の系譜

元気溌剌の菅原孝標娘、のちの『更科日記』の作者が登場します。うーむ、『更科日記』まで登場するのかと、これもまた感無量。まひろが『源氏物語』の作者だとは露知らず、『源氏物語』の第40帖「幻」の最後の部分を読み上げます。

実際、『更科日記』のなかには、作者こと菅原孝標娘が、『源氏物語』オタクだったことを明かしている部分がありますから、こんな場面があってもおかしくはないかも。なぜ『源氏物語』はこんな終わり方をしたのか。世代の異なる、若い女性の解釈に、当のまひろはただ微笑むだけ。でも、この場面のやりとり、やはり臨終の道長との会話につながっていきます。

世代の異なる若い女性といえば賢子もそう。なんと、自分の局に道長の息子を誘い込んでいます。おいおい腹違いの兄妹だよ、近親相姦だろ、と言いたいところですが、二人には預かり知らぬ話ですので仕方ありませんね。

歴史的にも恋多き女といわれている賢子ですから、あれくらいのことは日常茶飯事だったかも。でも、まひろから託された、のちの「紫式部集」を散逸させなかったので、許してあげよう。実際のところ、賢子はやがて母にも劣らぬ大歌人となり80歳近くまで長らえた女性です。

清少納言とも、恩讐を乗り越えて仲直り。よかったよかった

清少納言とも仲直りします。よかったよかった。いくらフィクションとはいえ、仲たがいしたままではどうも落ち着きませんから。まさに、恩讐を乗り越えて、という間柄ですね。

二人の会話がなかなか痛快です。「まひろ様も私も大したことを成し遂げたと思いません?」と清少納言。「大したこと」というのは、彼女たちが手掛けた物語が、一条帝の心や政をも動かしたということです。まひろも「米や水のように、書物はひとに無くてはならないものですから」と応えます。

歴史的に見れば、この当時は漢文で書かれた書物こそが読むべき価値のある書物とされていて、いくら男性も読んだとはいえ、かな文字で書かれた『枕草子』や『源氏物語』は、ワンランク下の、いわば大衆文学的な扱いだったはず。

それが今では、平安女性文学の最高峰として読み継がれています。もっと胸張ってよいですよ、お二人とも。そうそう、白髪となった『栄華物語』の作者、赤染衛門さまも。そして、まひろの「書物はひとに無くてはならないものですから」の言葉は、道長臨終の場面につながっていきます。

まひろに抱かれて安らぐ道長。なんと美しいシーン、涙、涙

その道長臨終の場面です。倫子さまに許され、まひろは枕元に。そこで明かされるのは、菅原孝標の娘とのやりとりでも上がった、『源氏物語』の終わり方の秘密です。我々は、「光る君」とは道長のことだと、薄々分かってはいましたが、まひろ自身は、モデルは誰だとは明かしてきませんでした。

そのまひろが、道長こそが光る君だったと、吐露します。「光る君が死ぬ姿を描かなかったのは、幻がいつまでも続いてほしいと願ったゆえでございます」と。その幻が、今消えようとしています。

ああ、これでまひろと道長の物語も、ようやく終わりを迎えるのだなと思いきや、物語が持つ力はこの場に及んでも光を放ちます。

まひろの胸に体を預け、途切れ途切れながらも力を振り絞って最後の会話を交わす道長。そんな道長を優しく受け止めるまひろ。大勢の僧侶の読経よりも、阿弥陀如来と五色の糸で繋がっていることよりも、まひろの胸でさぞ道長は安らぎを得られたことでしょう。まひろこそが阿弥陀如来だったのです。そして、このシーンのなんと美しいことか。もう涙涙です。

命を繋ぎとめるのは物語の力。新たに始まる、まひろと三郎の『千夜一夜物語』

まひろは、新しい物語を紡ぎ始め、「この続きはまた明日」と、アラビアンナイトのシェヘラザードを思わせるセリフで、燃え尽きようとしている道長の命をつなぎとめます。

「書物はひとにはなくてはならないもの」清少納言と交わしていた会話がここで思い起こされます。新しい物語は、三郎とまひろの物語です。でも今度は『源氏物語』ではありません。まったく新しい世界、「俺は何をやってきたんだ」と自責の念に捉われつつ死を迎える三郎の救いの物語です。

「三郎はこれまでに味わったことのない喜びを感じておりました」。まひろの口からそれを聞いた道長は、さぞ嬉しかったことでしょう。

でも、「川の畔で出会った娘は名を名乗らずに去っていきました。三郎がそっと手を差し出すと、なんとその小鳥が手のひらに乗ってきたのです。続きはまた明日」と語った雪の夜、道長は旅立ちます。

小鳥とはまひろのことでしょうか。ようやく二人は新しい物語のなかで、一緒になることができた、ということでしょうか。深く深く考えさせられます。

翌朝、倫子さまは道長が息絶えていることに気が付きます。布団から手が出ていました。おそらくまひろの手を求めてのことでしょう。倫子さまは胸が潰れる思いだったでしょうね。この期に及んで、求めているのは私ではなく、まひろだったのかと。でも、冷静な倫子さまはゆっくりと、冷たくなっているその腕を布団の中に戻します。倫子さまは倫子さまで哀しい。

 

まひろが看取るというのも、いくらなんでもあまりにも無理がありますし、かといって倫子さまが看取るのもなんだかなぁですので、道長が一人で最後を迎えるというのが、極めて妥当で落ち着いた、とても格調高い大往生だったと思います。

なんと道長と同じ日に死んだ行成のことを、実資が『小右記』にしたためています。事実だけが極めて簡潔に記された『小右記』。筆者の実資も、常に沈着冷静で、極めて理知的な人物でしたが、さすがに二人の死を筆にする時は、目に光るものがありました。この場面にも大感動です。

 

粉々になった鳥籠。終わりを迎えたまひろと三郎の物語。でもまひろは前を向き続けます

 

道長の死後、まひろの自宅に吊るしてあった鳥籠が落ちて壊れます。思えば、この鳥籠から逃げた鳥を探すために鴨川の畔まで来たまひろが三郎に出合うことから、この物語は始まりました。

それはじつは光源氏と紫の上が出合うシーンとの重ね合わせでもあったわけですが、長きに渡って吊り下げられたままだった、すでに朽ちかけていた鳥籠が、地面に落ちて粉々になってしまいました。

でも、じつはまひろも鳥籠を取り外そうとしていました。つまり、文字通りまひろと三郎の物語は終焉を迎えたということ。でも、まひろは気落ちしていません。鳥となって新たな旅にでようとします。大丈夫、乙丸も一緒だよ。

自由を求め新たな旅に出たまひろを追い抜く騎馬武者たち。ざわつくエンディング

乙丸を従えて旅に出たまひろは、途上でも時々何かを書き付けています。新しい物語の着想が浮かんだのでしょうか。物語は終わりません。まひろがいる限り、新たな物語が生まれるのです。

そんなまひろたちを、騎乗の武者たちが追い越していきます。なんとそこには双寿丸が。東国で戦が始まり、朝廷の討伐軍に加わるために出掛けるところです。

ここで深い意味を持つのが、武者たちとすれ違ったのではなく、武者たちが追い越していったということ。つまりまひろも、東へ向いて歩を進めていたわけです。西国ならまだしも、まだまだ未開の地であった東国へ向かうとは。

武者の一団を見送ったまひろに、一陣の風が吹き付けます。風を受け、まひろは心の中で道長に呼びかけます。「嵐が来るわ」。風上に向かって歩き始めるまひろのアップのストップモーションで終了……。

なんと凄いエンディングでしょう。これまでの大河は、ほとんどが大団円的な終わり方でした。それに比べ、今回は貴族の時代が終わりを迎え、新たな、でも波乱に満ちた武士の時代の到来が描かれています。

それだけでなく、アップになったまひろの、なんとも言えない複雑な、さまざまな感情を秘めた表情には、不安におののきながらも、どこかしらその新たな時代を見て、なんなら物語にしてやろうという好奇心すら感じさせます。吉高由里子さんの演技に拍手拍手。

その複雑な表情の素晴らしいこと。ハラ軍曹ことビートたけしさんが泣き笑いしてた、『戦場のメリークリスマス』のラストにも匹敵するエンディングです。こんなにも心がざわつく(もちろん良い意味で)エンディングって、いまだかつて大河ドラマにあったでしょうか。素晴しいのヒトコトに尽きます。

長いようで短い1年でした。このロスから抜け出すためには……

長いようで短い1年間が終わりました。感無量です。あら捜しと目くじらを立てることから始まった「言いたい放題」でしたが、気が付くとどっぷりはまり、次の放映が待ち遠しくてたまらないほどの、深~い”沼”状態になっていました。

何度も書きましたが、宮中の権謀術数のドロドロドラマだった展開が、まひろが「源氏物語」に着手し始めたあたりから、「なぜ書くのか」「物語とは」という、もう少し大きな普遍的なテーマにシフトしていったような気がします。それがM男の胸に、いたく刺さりました。

大石静さんや出演者の方々、そして『光る君へ』に関わったすべてのスタッフの方々に深く深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

じつはM男、「百人一首」が結構好きでして、子どもの頃は、必死になってカルタ取りをやったものです。「むすめふさほせ」なんて覚えたりして。

今回の大河の恩恵のひとつは、長年文字面だけが頭に入っていて、その人となりなんて考えてもいなかった、右大将道綱母、赤染衛門、大弐三位、三条天皇、藤原公任など「百人一首」の人々が、たとえテレビの中のフィクションとはいえ、鮮やかに立ち上ってきたことです。

もちろん、紫式部や清少納言、そして百人一首には採られていませんが道長も。

今年のお正月は、絵の付いている読み札をしげしげと眺め、ドラマを反芻しながら、当面抜け出すことのできなさそうな「ロス」を癒やそうかなと考えています。

一年にわたり、駄文におつきあいいただきありがとうございました。自分のパートを読み返すと、見当違いも甚だしい部分もあったりして、お恥ずかしい限りです。

早晩、総集編振り返りスペシャルとして、文字通りの「言いたい放題」対談をN 子さんと 行う予定ですので、しばしお待ちください。

「光る君へ」言いたい放題レヴューとは……

Premium Japan編集部内に文学を愛する者が結成した「Premium Japan文学部」(大げさ)。文学好きにとっては、2024年度の大河ドラマ「光る君へ」はああだこうだ言い合う、恰好の機会となりました。今後も編集部有志が自由にレヴューいたします。編集S氏と編集Nが、史実とドラマの違い、伏線の深読みなどをレビューいたしました!

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