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「明日は目覚めないかもしれない」若き天才、オードリー・タンの仕事観をつくった死と隣り合わせの幼少期

  • 2024.12.16

「若き天才」と呼ばれ、起業家であり台湾のデジタル担当大臣にも抜擢された経歴を持つオードリー・タンは、どんなアイデアや権利も独占せず、無償で広く公開し、共有することを重視している。それはなぜなのか。約2年ぶりの最新刊『オードリー・タン 私はこう思考する』(かんき出版)より、一部を紹介する――。

2020(令和2)年5月20日、台湾新内閣発足時のオードリー・タン氏(最前列右)。
2020(令和2)年5月20日、台湾新内閣発足時のオードリー・タン氏(最前列右)。
「明日は目が覚めないかもしれない」と思った日々

2020年、世界中を襲った新型コロナウイルスのパンデミックが台湾にも到達した。同年6月、台湾全土で感染状況が悪化し、警戒レベルは第3級に引き上げられた。日夜、街中で救急車のサイレンが鳴り響き、人々は初めて死の影が迫っていることを実感した。

その台湾で先天性の心臓病を患っていたオードリーは、幼いころから死と隣り合わせで生きてきた。12歳で心臓の手術を受け、健康な体を手に入れたとはいえ、4歳から12歳まで10年近くの間、「明日は目が覚めないかもしれない」と思いながら眠りについたことは、人格形成に大きく影響した。

幼いころのオードリーを家族は献身的に世話した。明日を迎えられるように、欠かさず薬を飲ませた。また、たくさんの思い出を残すことにも労を惜しまなかった。当時、オードリーの世話をしていた祖母は、オードリーが歌ったりしゃべったりする声をたびたび録音した。医者が言うように、手術を待たずに死んでしまうかもしれないのなら、せめて一緒に過ごした数年の記録を残しておきたかったのだ。

早くから死を意識していたオードリーは、どんなアイデアもすぐに共有しようとするようになった。もし明日、自分が死んでしまったら、頭のなかにしまっておいたアイデアも消えてしまうからだ。タイミングを逃すことを恐れるあまり、「今日のことは今日終わらせる」という習慣ができた。「考えたことを吐き出してしまえば、もう怖くはありません。安心して眠れます」

逆に死を意識したことのない人は、「考えが明確に整理されてから人に話そう」と思うだろう。これにはプライドの問題もあるかもしれない。まだ下書きのような段階の、まとまりきっていない思考を人に話せば、相手の時間を無駄にしてしまうように感じるからだ。

「知識を共有する」ウィキペディアの精神

新型コロナウイルスのパンデミックは、人々に死への危機感を抱かせただけではなかった。これまで積み上げてきたものには本当に価値があったのか。それを分け合ってこそ価値が生まれるのではないかと、多くの人々が考えるきっかけにもなった。

たとえ明日、自分が消えても、積み上げてきたものをみんなで分かち合ってくれたら悔いは残らない。今、分け合わなければ、明日にはその機会が失われるかもしれない。分け合わないことこそが損失だ。オードリーは幼いころからそれを知っていた。

この「分け合っても損はない」という考え方は、中学でホームスクーリングを始めてからますます強くなっていった。ネットコミュニティで触れ合う人々は、毎日それぞれ何かしらの価値を提供し合い、「共好ゴンハオ」(ネイティブアメリカンの言葉で「共同で仕事をする」という意味を持つ「Gung Ho」を中国語に音訳したもの)の状態を作り上げていた。

知識や知恵の共有だけでなく、クリエイティブ・コモンズ(クリエイターが一定の条件下での作品の自由な使用を許可したことを示すライセンス)などのプロジェクトも、より多くの人が関与することで、より多くの価値を生み出すことができる。

インターネットには時間と空間の制限を受けないという利点がある。新しいアイデアが湧いたときにはタイムゾーンにかかわらず、自分の都合のいい時間にいつでもネットにつながり、ほかの人たちが残した記録を見ることができる。毎日、みんなで共に生み出した価値が少しずつ蓄積されていく。まさにそれが「ウィキペディア」(ブラウザから誰でも編集が可能なウェブサイトを作成するシステム)の精神だ。

ビジネスネットワークの概念
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「技術を持ち独占する者」から「技術を開放し与える者」へ

現実の伝言板ではこうはいかない。伝言を残すには特定の場所へ行く必要があり、別の誰かの考えをコピー&ペーストすることもできない。

下書き状態の思考や、ごく一部しか進んでいない作業でも、自分では処理しきれない、あるいは自分が処理するには適さないと感じたとき、オードリーはその理由を書き添えてプラットフォームでみんなに公開し、適した人に処理してもらう。たとえ明日、自分がこの世から消えても、考えたことは無駄にはならない。自分のアイデアはすでにプラットフォームに公開され、その価値は広く拡散されているからだ。

未来の社会において、「共創」が最も重要な価値となる理由とは何だろうか? これにはオードリーが若いころにたずさわった仕事の経験と、10代と20代の二度にわたって経験した世界周遊の学びの旅「世界ツアー」が影響している。若き日の経験が未来の仕事観を形作ったのだ。

かつてのオードリーは「自分だけが特定の技術を持っている場合、それをどのように運用すべきか」と考えていた。「世界ツアー」を経験したことで、この考え方は一変する。自分の技術を特許で囲い込もうという考えを捨てたのだ。

初めてシリコンバレーを訪れたときには、誰もが互いに「どんな特許を申請したか」「特許の障壁は何か」を気にしていた。だが時が経つにつれ、「どうすれば互いの要求に応じられるか」にみんなの関心が移っていったのである。

勤務時間の20%を興味あるプロジェクトに使う文化

特許取得を第一に考えていると、自分の技術を共有し、役立てることを嫌がるようになる。そこでオードリーは、技術や特許ばかりに目を向けるのではなく、仲間が何を求めているのかを考えるようにした。

たとえば、コミュニティ内ですでに80%から90%のレベルまで完成している技術があり、自分がその技術に対する知識を持っている場合、足りない20%から10%を自ら完成させて連動させたり、あるいは必要に応じて修正するだけで十分だ。

互いの専門技術を共有し、協力して仕事をするというやり方は、旧来の従属関係を打ち破るものだ。肩書きで呼び合うこともなく、同じ研究テーマのために集まって、互いに協力し合えばいい。これこそ未来の働き方だと、オードリーの目には映った。

2005年のシリコンバレーには、すでに広く定着していた文化があった。勤務時間の20%を自分自身が興味のあるプロジェクトのために使うよう、社員に推奨するというものだ。誰でも自分で研究の方向性を決めることができ、上司の指示を仰ぐ必要もない。

グーグルはこのルールを取り入れていることを公にしていた。インテルやアマゾン、マイクロソフトなどから講演に招かれたオードリーは、今すぐ実現可能なビジネスモデルではなく、自分が興味を持っている仕事とは無関係のプロジェクトの話をした。

限界を乗り越え、アイデアや能力に挑戦
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理念を明確に記せば仲間が増える

オードリーにとって、シリコンバレーは紛れもない新天地だった。当時の台湾には、このような文化はほぼ存在しなかったからだ。台湾ではもともと純粋にソフトウェアだけを作るメーカーは少なく、ハードウェアの開発周期に合わせてソフトウェアを開発するのが主だったため、ソフトウェアのエンジニアも製造業的な思考から抜け出せていなかった。

社員にはオフィスでの勤務を求め、上司が帰るまでは帰れない。シリコンバレーの企業のように、勤務時間の20%を使って好きなことを自由に研究させるなど論外だった。

この印象深い体験を経て二度目の世界周遊から戻ったオードリーは、銀行のためにプログラムを書きながら、プログラミング言語「パール6」の開発を進める。このとき、すでに彼女の仕事に対する考え方は大きな転換を遂げていた。

オードリー・タン『オードリー・タン 私はこう思考する』(かんき出版)
オードリー・タン『オードリー・タン 私はこう思考する』(かんき出版)

一つ目は、「技術を持つ者」から「与える者」への転換だ。かつてはプログラムを書くのが非常に速かったが、現在は、重要なのは結果よりも過程の共有だと考えるようになった。

ブログに文章を書くときは、どんな推論に基づいてプログラムを開発しているのか、思考の道筋ができるだけわかりやすいように書く。結果、プログラムを書くスピードが落ち、生産性が低下したかに見えるが、思考と理念を明確に記してネット上に残すことで、より多くの人がオードリーの文章を参考にすることができる。

「理念を明確に語るほど、より多くの人が仲間になってくれます」

思考の道筋をたどる良い方法は

プログラムを書くのがそこまで速くない新人でも、それぞれ別の国に住んでいても、技術を共有しながら学び合い、みんなで協力して研究開発をすれば、一人でやるよりもはるかに大きな力となる。特に印象深かったのは、ソフトウェア設計者の章亦春ジャン・イーチュンだ。

パソコンとノートで作業する
※写真はイメージです

これまでパール6の開発に携わったことがなかった彼は、オードリーがネット上に発表した文章をすべて手書きで書き写した。つまり、思考の道筋を最初からたどったということだ。

「あれはとても効果的な方法でした。その後、彼は世界的なソフトウェア設計者になりました」とオードリーは語る。

オードリー・タン(おーどりー・たん)
元台湾デジタル担当政務委員(閣僚)
1981年台湾台北市生まれ。幼い頃からコンピュータに興味を示し、12歳でPerlを学び始める。15歳で中学校を中退、プログラマーとしてスタートアップ企業数社を設立。2005年、トランスジェンダーであることを公表し、女性への性別移行を始める(現在は「無性別」)。米アップルのデジタル顧問などを経て、2016年10月より史上最年少で台湾行政院に入閣、無任所閣僚の政務委員(デジタル担当)に登用され、部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担っている。

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