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時を経て、旧姓を名乗る今。夫婦別姓は精神的自由と結びついている

  • 2024.12.15

結婚前の職場では、夫婦別姓の人がかなりいた。そのため私も自然とそれに意識が向いた。
その人達は大学院卒のエリートで、格好良くて、憧れた。

◎ ◎

いざ自分が結婚するとき、相手からは一応「どうする?」と問われた。が、そこは惚れた弱み、「あなたの姓でいいです」と答えていた。結婚前に面倒を起こしたくなかったのだ。

結婚してすぐに二人でイギリスに渡った。彼の地ではファーストネームで呼び合い、姓を使うことはまずなかった。もちろん夫の姓を使うこともほとんどなかった。

帰国してから、結婚前にのめり込んでいた演劇を再開することにした。家庭を中心とするため、当分は趣味として。その際、名前をどうするか、はた、と考えた。昔の仲間達は旧姓になじみがある。私も旧姓で出たい。演劇で結婚したからと言って名前を変える人なんているんだろうか。芸名で変える人はいても。それに演劇活動はお金がかかる。もし万一、借金、となったら、夫に迷惑がかかるといけない。いろいろ考えて旧姓を使うことにした。

ほぼ同時期に仕事に就いた。さすがに戸籍上の名前でなくてはまずいだろうと、新姓にした。というより職場でそのようなことが問題になるとは誰も気にしていないようだった。

夫の名字で呼ばれるというのは、結婚後数年経つものの、初めてで新鮮だった。名前を呼ばれても、「だれのこと?」ときょとんとすることもままあった。

◎ ◎

仕事では新姓、演劇では旧姓、と使い分けるようになった。

この頃、夫にたずねたことがある。

「私が旧姓を使うことで、家族の絆が薄れたと思う?」
「別に」
「私が旧姓を使ってもいい?」
「いいよ」

これで夫の承認も得られた。その後は堂々と旧姓を使うようになった。演劇関係以外の人間関係にも旧姓を使い始めた。郵便受けには夫の姓と私の旧姓が並んだ。年賀状も旧姓で出した。初めは離婚したのかと心配して電話をくれた友人もいた。一人だけれども。

◎ ◎

ただ、仕事と親戚関係では新姓を使っている。親戚には要らぬ気遣いをさせないためである。しかし、ふとそれでいいのかという気にもなる。年配の親戚に説明するのは難しい、とはなから面倒を避けていたが、むしろ身近にもそういう人がいると分かってもらえるのも良いのではないか。

今のマンションに住み始めて30年。2つの姓が並ぶ郵便受けは確実に増えてきている。
振り返ってみると、子供がいないことも旧姓を使い続け易い要因のひとつだと思う。学校現場で困惑する場面に接する機会がなかった。

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私は元々、夫婦別姓には賛成だ。一律に夫の姓に変える慣習は男女平等とは思えないから。
しかし各論となると話は別だ。戸籍を入れないで事実婚にする勇気はなかった。法律上不利益を被ることもあるからだ。私は結婚してから病を患って夫の扶養に入れたことは大きな助けだった。

家庭内で稼ぎが全く同じとというのはありえない。それによって家庭内に力の強弱ができることもあるかもしれない。しかしそれではぎくしゃくしてしまう。夫婦は対等であるべきだと思う。我家のように夫婦の稼ぎの点で経済格差が大きくても、夫婦別姓はまた別の話だ。

長い時間をかけて夫婦別姓を名乗るようになれたことは、私にとって水から浮かび上がって息をするようなことだ。頭上に自由を感じる。夫婦別姓は私にとって、便利とかキャリア形成とは関係なく、もっぱら精神的自由と結びついている。

■やっちのプロフィール
演劇は観るのも演じるのも好き

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