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エリザベス1世を死に至らしめたのは「白塗りメイク」だった⁈

  • 2024.12.14

エリザベス1世(1533〜1603)は、イギリス史上最も有名な女王の一人です。

1558年〜1603年にかけてイングランドとアイルランドを統治し、その治世は”黄金時代”と称されました。

また「私は国家と結婚している」と宣言して、生涯独身を貫いたことから、彼女は「ザ・ヴァージン・クイーン(The Virgin Queen、処女王)」とも呼ばれています。

一方で、エリザベス1世の代名詞といえば、メイクアップです。

どの肖像画を見ても、顔はぶ厚く白塗りされ、唇には真っ赤な紅が引かれています。

このメイクはエリザベス1世を象徴するものでしたが、同時に、彼女を死に至らしめた一因でもあったのです。

一体どういうことなのか、彼女がメイクをするようになった経緯から見ていきましょう。

目次

  • エリザベス1世が「化粧」をするようになった理由とは?
  • 女王を衰弱させた「化粧品」の成分とは?

エリザベス1世が「化粧」をするようになった理由とは?

1546年(13歳頃)のエリザベス1世の肖像画/Credit: ja.wikipedia

女王即位から4年が経った1562年、当時まだ29歳のエリザベス1世は、激しい高熱にうなされ、一時寝たきりの状態になりました。

診断の結果、彼女は「天然痘」に感染していることが判明します。

1796年に天然痘ワクチンが発明されるまで、致死性の高い感染症として人類を苦しめ、エリザベスの時代には、感染者の30%が死亡していました。

天然痘にかかると、40度前後の高熱や体の痛みが発生し、やがて全身に膿疱(のうほう)ができます。

2〜3週間すると、膿疱は治癒に向かいますが、患部に瘢痕(はんこん)を残してしまいます。

天然痘ウイルス/Credit: ja.wikipedia

エリザベス1世は運よく一命を取り留めたものの、もはや以前の姿ではありませんでした。

顔を含む全身に瘢痕や傷跡が無数に残ってしまったのです。

人の前に立つ者の性か、エリザベス1世は自分の外見を気にしており、少しでも気にくわない肖像画はすべて破り捨てるほどでした。

そんな彼女が全身にできた瘢痕に耐えられるはずもありません。

これを機にエリザベス1世は、過剰なメイクアップをするようになります。

当時にはすでに「ヴェネチアン・セルーズ(Venetian Ceruse)」と呼ばれる人気の化粧品がありました。

品質の高さからヨーロッパの上流貴族がこぞって愛用した美白化粧品で、皮膚の傷跡を隠すためにも使われたそうです。

エリザベス1世はこれを顔に厚く塗ることで、瘢痕を隠し、色白の肌を手に入れました。

さらに彼女は、唇に鉱物からなる染料を使って、真っ赤な紅を引くようになります。

こうしてエリザベス1世は、後世に伝わる象徴的なルックを完成させました。

エリザベス1世の肖像画/Credit: ja.wikipedia

以来、彼女の肖像画の多くは、白塗りされた顔と赤い口紅が描かれるようになります。

しかしこのメイクアップは女王に美しさを取り戻させたと同時に、衰弱させる原因ともなったのです。

女王を衰弱させた「化粧品」の成分とは?

ヴェネチアン・セルーズは、顔の美白にとても有効な化粧品でしたが、原料に「鉛白(えんぱく)」という白色顔料が使われていました。

鉛白は今では有毒な化学物質であることが知られており、鉛中毒を起こして、抜け毛や肌の劣化を招きます。

ヴェネチアン・セルーズを愛用したエリザベス1世も、この症状に悩まされることになりました。

※ ちなみに、日本で古くから重宝された「白粉(おしろい)」にも鉛白が使用されていました。
こちらも鉛中毒が問題になり、明治に入って、無鉛白粉が発明されるとともに、1900(明治33)年には鉛白粉が使用禁止となっています。

また、口紅の染料には辰砂(しんしゃ)が使われており、これはよく知られている通り毒性の高い「水銀」を主成分とする鉱物です。

水銀中毒はうつ病や記憶喪失の原因となり、最悪の場合は死に至ることもあります。

加えて、エリザベス1世は、抜け毛を隠すためにかつらをつけ始めたのですが、そのかつらも辰砂で赤く染められていたのです。

辰砂の結晶/Credit: ja.wikipedia

さらに悪いことに、エリザベス1世は、メイクによる容姿の衰えをメイクによって隠そうとしました。

皮膚が劣化していくにつれ、化粧の量を増やす悪循環に陥ったのです。

それから化粧を1週間もつけっぱなしにすることが多く、鉛や水銀がどんどん体内にしみ込んでいきました。

次第に、彼女は心身ともにボロボロの状態になり、後年に深刻なうつ病を発症したのは有名な話です。

彼女はもはや、宮廷のどの部屋にも鏡を置くことを拒みました。

また記録によると、うつ病の他に、認知能力の低下とせん妄(時間や場所がわからなくなる見当識障害)の兆候も見られたといいます。

後年のエリザベス1世の肖像画(1595年頃の作品)/Credit: en.wikipedia

しかしどれだけボロボロになっても、女王の仕事を投げ出すことはありませんでした。

彼女は一度座れば、二度と立ち上がれなくなることを恐れたのか、休むことなく、何時間も立ち続けて政務に当たりました。

医師に自分の体を診断させるのも固く拒んだといいます。

彼女はすでに自分の死期を悟っていたのかもしれません。

その後、エリザベス1世は、スコットランドのジェームズ6世を後継者に指名したのち、1603年3月24日(69歳)に静かに息を引き取りました。

死後の解剖が行われなかったため、正確な死因については定かでありません。

一説には、がんや気管支炎が原因だったとする意見もあります。

しかし、数十年にわたるメイクの蓄積が、彼女の死期に関係していた可能性は高いでしょう。

※この記事は2022年9月に掲載したものを再編集してお送りしています。

参考文献

Was Queen Elizabeth I Killed by her Poisonous White Makeup?
https://www.ancient-origins.net/history-famous-people/elizabeth-makeup-0016887

ライター

大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。

編集者

海沼 賢: 大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

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