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包丁は月に一度は研ぐべし⁉「大阪・堺」の食文化と包丁を学ぶ【上方食文化研究會・Wあさこの大人の社会見学vol.2】

  • 2024.12.14

左から、日本料理家・吉田麻子先生、さかい利晶の杜学芸員・矢内一磨先生(さかい利晶の杜・観光案内展示室)

お料理教室を通じて上方の家庭の味を伝える日本料理家・吉田麻子先生と、奈良在住の編集者・ふなつあさこの“Wあさこ”がお届けする、上方(関西)の食にまつわる大人の社会科見学。前回に引き続き、大阪・堺の食文化を学んできました。

その土地の文化を知るにはまず、その土地のミュージアム! と、調べていたところ「さかい利晶の杜」でまさに企画展「近世堺の豪商 米屋甚兵衛の家業と文化」(〜2025年1月13日・月)が開催されているという情報をキャッチ。これは行かねば! と見学へ。
 
そして「堺の庖丁ってめっちゃ歴史あるみたいやねん」とお料理道具にこだわる麻子先生に教えていただき、庖丁屋さんも訪れました。“歴史あるみたいやねん”の“歴史”ってそんなに前!?ってぐらい、前でした。ぜひ、びっくりしてください!

サステナビリティあふれる堺町衆のポリシー“始末の心”

中世の物流の要としてモノと人が集まる街だった堺を牛耳っていたのは、時の権力者……ではなく、堺の町衆(町の人たち)。国内外との交易を通して、ものすごい富が集まっていたからです。織田信長、豊臣秀吉も、堺を天下統一の拠点にしようとしたほど、たいへんに栄えていたのです。

そんな堺でしたが、大坂夏の陣の前に豊臣方の焼き討ちに遭ってしまい、江戸時代に入ってから復興を目指します。「それでも、中世のような交易による繁栄を取り戻すことはできなかったんです」と教えてくれたのは、「さかい利晶の杜」の学芸員、矢内一磨先生。その一因となったのは、このエリアの中心地が大坂(現在の大阪府大阪市あたり)に移ったこと。

──江戸時代の文学者・井原西鶴は、『日本永代蔵』などに当時の人々の暮らしを生き生きと書き残していますが、そのなかで“大坂から三里離れた堺は格別の世界(大坂と堺は全く気質が違う)”と述べています。

一番の違いが“始末の心”ですね。食でいうと、お祝いごとなどのいわゆる“ハレの日”には豪華な食事を食べ、“ケの日(ふだんの日)”には質素な食を心がけるんです。そうしたつつましく堅実で無駄を嫌う気質は、ライフスタイルにも商売のスタイルにもあらわれています。「始末をつける」といいますが、堺の町衆は物事を最後まできちんと収めることを美徳としていたんです。

堺にはいわゆる成金はおらず、公儀御用(当時は幕府ですが、今でいう公的機関御用達)の豪商や代々のお金持ちがほとんどでした。たくわえた富は金融や土地で運用して、住宅や道具なども代々大切に使い続け、派手な服装もせず、手堅く商売をしていたようです。西鶴は「堺は始末で立つ」とも評しています。地に足のついた、成熟した都市社会だったのでしょう──。

堺というと、はなやかで派手なイメージがありましたが、矢内先生のお話をうかがうにつれ、それは中世に限ったことで、江戸時代には今に通じるサステナブルな暮らしを営んでいたことがわかりました。

左上から時計回りに《引札(清酒八千世)》、《伝具足屋宗專肖像》、《蘭亭序屏風》、《米屋甚兵衛家屋敷図》(以上全て堺市博物館蔵)

江戸時代の堺は醤油・酢・酒などの醸造業がさかんで、大道筋(だいどうすじ)の西側にはずらりと南北に酒蔵が並んでいたそうです。上神谷(現在の堺市南区)産をはじめとするよいお米や、地下から汲み上げた良質な水から造られる堺のお酒は、まったりと甘口だったのだとか。

そうした酒造業の多くが、第二次世界大戦を経て廃業してしまいます。米屋甚兵衛家は建物疎開(※)により取り壊されましたが、代々伝えられてきた文献は無事今に残ったのです。

米屋甚兵衛家で大切に受け継がれてきた商売に関する資料を見ていると、堺商人らしい実直なビジネススタイルをうかがい知ることができます。一方で、米屋甚兵衛をはじめとする堺の豪商たちがバックアップしていた江戸時代の書家・趙陶斎の作品を所有しているところを見ると、お金を出すべきところには出していたこともわかります。お金の使いどころがわかっている、それが真のお金持ちなのでしょう。

実は、「さかい利晶の杜」が建つ場所こそ、この米屋甚兵衛家の酒蔵だった場所! 今回の展示は、なんと80年ぶりに米屋甚兵衛家の文献が里帰りしたことによるものなんです。さぞや米屋甚兵衛家の人たちも喜んでいることでしょう……!

※建物疎開:空襲によって火災が広がらないよう、あらかじめ建物を壊しておくこと

ミュージアムショップでは、堺に関する食品や工芸品などがラインナップされていました。

「金の鳩」は、米屋甚兵衛と同じくかつて堺にあり、廃業してしまった益田酒造で造られていた日本酒。百舌鳥(もず)八幡宮にも献上されていた銘酒だったようです。時を経て、そのご子孫が同じ名で復刻したのだそう。かつてと同じく上神谷のお米を使い、古くから関わりの深かった奈良県橿原市の今井町の蔵元で製造されています。

堺出身の文化スター、千利休&与謝野晶子の功績を辿る「さかい利晶の杜」

「さかい利晶の杜」の“利”は千利休から、“晶”は与謝野晶子に由来します。ふたりの共通点は、そう! 堺出身ということ。通常展では、時代は違えど「さかい利晶の杜」の半径500m以内で生まれ育った利休さんと晶子さん、ふたりの功績を学ぶことができるんです。

利休さん登場以前からの堺とお茶の歴史を学べるのが「千利休茶の湯館」。こちらは、利休さんが69歳のときに開催したお茶会で供された食事を再現したもの。左のお膳には「串鮑(くしあわび)」「鮒の膾(なます)」「ミソヤキ汁」「飯」、右は菓子として「フノヤキ」「シイタケ」。「フノヤキ」は小麦のフスマで作った一種の小餅だそうです。

どうも、食品サンプルってものが好きなんですよね……私。どんな味したんだろうなぁ、と麻子先生と話しながら、じーっと見入ってしまいました。

シイタケが菓子。どうも「菓子」という言葉の意味合いも、今と昔では違いそうですね。

堺の老舗和菓子屋「駿河屋」に生まれ、店番をしつつ和歌を投稿するようになった晶子さん。歌を通して出会った与謝野鉄幹と結婚、12人の子を出産・子育てしつつ精力的に作品を発表、今でいうフェミニズムの運動に参加したり、海外にも出かけたりと、とにかくアグレッシブ。

そんな与謝野晶子さんの代表作といえば『みだれ髪』。

「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
「むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子」
「くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」
「人の子の恋をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願ひ」

今読んでもそのストレートさにドキドキするような歌ばかり。レトロな装丁も美しいので、一堂に会している発刊当時の作品集のデザインを眺めるだけでも、訪れがいがあります。

さかい利晶の杜のお隣にある「梅の花 さかい利晶の杜店」には、利休さんと晶子さんにちなんだオリジナルメニュー「利晶」をいただくことができます。矢内先生も監修に関わったそう。

ただし、3日前までに要予約とのことで、残念ながらWあさこは取材当日にはお味は確かめられず……次に堺を訪れるときには、ぜひトライしたいです。

 

堺の名産品・庖丁のルーツは古墳造り!?

「堺は庖丁有名やねん」と麻子先生に連れられて訪れたのが「堺刀司(さかいとうじ)」さん。江戸時代後期、文化2年創業の老舗です。8代目の信田尚男さんに「堺の庖丁ってどんな歴史があるんですか?」とカジュアルに尋ねてみたところ、「古墳時代らしいですわ」と信田さん。……え? 古墳?

なんでも、5世紀ごろ仁徳天皇陵古墳(日本最大の古墳にして世界でも最大クラスのお墓)を築造する際に、鋤や鍬などの鉄製の道具が大量に必要となり、このあたりに職人さんたちがたくさん暮らしていたのだそう。言われてみれば確かに、重機なんかもなく、全て、全部、オール人力であんなに大きいものを造っていたわけで、道具ももちろん人の手で作られたはずです。

堺の庖丁が全国的にメジャーとなったのは、江戸時代に入ってから。16世紀にポルトガルからタバコが伝わり、幕府がその生産や流通を管理していました。そのタバコを刻む庖丁が、堺産だったのだそうで「堺極」という刻印が許されていたといいます。

江戸時代後期には、鍛造技術が発達し、繊細な刃物が作れるようになったことから、用途に合わせて使い分けられるようになりました。料理庖丁が発達したのも、同じ頃のようです。

堺刀司さんのショップにほど近い「堺刀司庖丁歴史資料館」では、庖丁の歴史や作り方を学ぶことができます。現在の上皇陛下・上皇后陛下をはじめ、皇室の方々へも献上されています。

名だたる職人さんたちも愛用しているという堺刀司さんの庖丁。ありとあらゆる形のものがあり、信田さんを質問攻めにする麻子先生。最近では、堺の刃物は世界的にも人気で、海外の方が堺刀司さんまで庖丁を買い求めに訪れるそう。

私はというと、お料理は超初心者。一般的なサイズより少し小ぶりの三徳庖丁を愛用しているのですが、切れ味がイマイチ。取材あるあるですが……買っちゃいました。元々持っているものとサイズは同じぐらいなんですが、全ッ然切れ味が違います。

フルステンレスよりは手入れすることで切れ味が長続きすると教えていただき、一部に鉄が使われたタイプを選んだので、油断すると錆びます。使ったらすぐ洗って、拭くように心がけるようにもなりました。

その道のプロに相談しながらお買い物するからこそ、良いものに出合えるんですね。

庖丁のお手入れについて尋ねてみると、月に1度は砥(と)いだほうがいいとのこと。初心者が砥ぎ石を使うのは難しいので、いわゆるシャープナーでも砥がないよりは良いそうです(最近では、砥ぎ石に刃を当てる角度を固定できる補助具もあるようです)。

そして、半年〜1年に一度をめどに、プロに砥いでもらうと切れ味を長くキープできるとのこと。できれば庖丁を購入したお店へ砥ぎ直しに出すのがベストだそうです。堺刀司さんでは、郵送でも受け付けています(堺刀司商品のみ、詳しくはWebサイトでご確認を)。

ちなみに、名入れも可能。私はまだなんだか気恥ずかしくて、名入れはしませんでしたが、もうちょっとお料理できるようになったら、砥ぎ直しに出す際に入れてみようかな……(いつになることやら)。

 

この記事を書いた人

編集者 ふなつあさこ

ふなつあさこ

生まれも育ちも東京ながら、幼少の頃より関西(とくに奈良)に憧れ、奈良女子大学に進学。卒業後、宝島社にて編集職に就き『LOVE!京都』はじめ関西ブランドのムックなどを手がける。2022年、結婚を機に奈良へ“Nターン”。現在はフリーランスの編集者として奈良と東京を行き来しながら働きつつ、ほんのり梵妻業もこなす日々。

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