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革ジャンを羽織りピアスを空けたその男は、本の匂いを纏っていた

  • 2024.12.12

図書館や本屋に足を運ぶと、当たり前だが本特有の香りといったものが鼻腔をくすぐる。

紙の匂いか、その紙たちと長らく付き合ってきた人達の匂いかは分からないが、私はその匂いを嗅ぐと、どうしてもとある日の夕暮れ時に見かけた男の人を思い出してしまう。

◎ ◎

その男は、本の匂いを纏っていた。

私は落ちかけの陽によって橙色に染まる池袋をぶらぶらと散歩をし、折角だからと池袋ジュンク堂で本を購入した。普段、本はあまり読まない。そうするほどの体力が、ここのところ忙しさに殺されている私にはなかったからだ。

それでも本を手にしたのは何となくとしか言いようがないが、もしかしたら干からびた心を生き返らせてくれると思ったからかもしれない。

買ったばかりの本を片手に引っ提げながら、私は早足で駅へと歩いた。早足、といっても都会の道は大層狭く、急ごうと思っても人が邪魔をしてなかなか思うようには進めない。そうして手狭な道で足を躍らせていると、ふと、本の匂いが鼻腔をくすぐった。

ジュンク堂からもう随分と離れている。それなのに、先ほど嗅いだばかりのあの埃とも似つかない紙の匂いが、息苦しいほどに商業ビルに囲まれた道路にスッと一筋通った。

◎ ◎

一体どこから、と視線をあげると、目の前には一人の男の背中があった。いかつい黒の革ジャンを羽織り、その耳にはピアスが二、三個空いている。視界に映ったのはその背中だけだったが、それでも十分なほどに、俗に言う”柄の悪い男”だった。
なんだか意外、と思った。
偏見かもしれない。こういった見た目の人は本とは無縁のように思えてしまう。しかし、本から漂うどこか人を安心させる懐かしい匂いは確かにこの目の前の男からしたのだった。

実のところ、私はそういった格好が好きだった。私も黒い革ジャンを羽織って、派手に穴の空いたダメージジーンズを履いて、銀色の鎖のネックレスをつけて、世を歩いてみたいものだった。

しかしそういった格好は偏った目で見られることが多く、大抵の場合怖がられてしまう。女の子なのに、という視線を感じることもある。それゆえに尻込みをして、服屋で一旦手に取るもののその場に戻してしまうのだった。

◎ ◎

私は目の前の男が唐突に羨ましく思えて仕方がなかった。革ジャンを羽織って格好つけて、そして本の匂いを香水代わりに漂わせる。

本の匂いがなかったら、もしかしたら私も彼を周りと同じように怖がったのかもしれなかった。しかしその匂いのおかげで、彼はきっと好きな服を好きなように着て好きな本を好きなように読む、そういったことができる人なのだと感じた。

本を読むというのは、ひとりですることだ。周りの目を気にせず、ひとりの時間をひとりで自由に楽しむ行為の象徴だと私は思う。

私はその男の人に声をかけたくてたまらなかった。「おい、そこのお兄さんや。いかした上着を羽織っているね」とか、「本屋にでも行ってきたの?だとしたら、どんな本を買ったの?」だとか。しかし、彼からしたら見ず知らずの私がそんなことを聞いたらあっという間に不審者の風体だと思って自制してしまった。

ついに男の後ろ姿を交差点で見失ったとき、まるで夢から覚めたような思いだった。
一週間後、私は革ジャンを羽織って大学へ向かった。窓際の席について、あの日買った本を開いた。

■とくつみのプロフィール
綺麗な文章を読むのも書くのも好き。十一月は秋なのか冬なのか曖昧なため自分の好きなように解釈して良いとし勝手に冬生まれを名乗る。

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