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食パンの耳、冷めたフライドポテト…案外、誰しも独特のおいしさを感じる好物を持つ?/好きな食べ物がみつからない⑥

  • 2024.12.11

『好きな食べ物がみつからない』(古賀及子/ポプラ社)第6回【全6回】 周りからどう思われるかも気になり、本当に好きな食べ物がわからなかったエッセイストの古賀及子さん。「好きな食べ物はなんですか?」この問いに、うまく答えられない人は多いのではないでしょうか。自分のことは、いちばん自分がわからない。どうでもいいけど、けっこう切実。放っておくと一生迷う「問い」に挑んだ120日を、濃厚かつ軽快に描いた自分観察冒険エッセイ『好きな食べ物がみつからない』をお届けします。

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『好きな食べ物がみつからない』(古賀及子/ポプラ社)

フェティッシュとして好きな食べ物を語る

今度から好きな食べ物を聞かれたら「鍋のあとのうどん」って言おう。

作家の柴崎友香さんによる日記風エッセイ『よう知らんけど日記』(京阪神エルマガジン社 2013年 102ページ)に、こんな一文があった。雑誌の『dancyu』の2012年1月号の表紙「鍋の感動は〆にあり!」を見た流れでのひらめきとして書かれたものだ。

柴崎さんは冬になったら毎日鍋でもいいというほどの鍋好きらしく、しかもそれを、あとでうどんを入れるためにやっているようなもの、と書いている。

好きな食べ物のアンサーとして、お手本のようではないか。この文章を読んで、好きな食べ物がオムライスというのはやっぱりちょっと違うんじゃないかと思えてきた。

「鍋のあとのうどん」は、おいしい。まず共感が強い。そうしてそのあとでちょっとした「そうきたか」「それがあったか」との意外性がしみじみ感じられる。

「うどん」ではなく、「鍋のあとのうどん」であるところに、語り手がおおらかでありながら雑には生きていない雰囲気が立ち上がって、答えとして立体的だ。うまい、面白い、とっかかりのあるピックアップで、うなった。

好きな食べ物を聞かれたときに、こだわりよりももう少し深く斜めに自分を暴いて答える、フェティッシュを語るような回答をすることに、思えばずっと憧れがある。

アボカドだったら「熟れたアボカド」くらい言ってもいいし、チーズケーキだったら「レアチーズケーキの土台のところ」くらいまで狭めることで回答にゆるぎなさと頼もしさが感じられる。

私はせっかちなたちで、食事に関してもできるだけ待たずにすぐに食べたいという気持ちが根底にある。温かくして食べるべきものを、温めずに冷えたまま食べても平気な性質があって、かつてはむしろ積極的に冷めたまま食べるのを好きと広く公言していたアナーキーなころがあった。

パーティーの翌日に残った冷めてへにょへにょのフライドポテトとか、香ばしさがなくしょっぱさの際立った衣と冷たい肉汁がだらしない唐揚げ、チーズが固まって生地から乖離したピザ。そこには独特のおいしさがある。

今ではほんのすこし心に余裕ができて、時間があったら温めて食べた方が、やっぱりおいしいなと思い直したところだけど、当時周囲に同じような好みがないか聞いたところ、続々と手が挙がったのは忘れられない。

「伸びたうどん」が好き、「湿気らせたスナック菓子」が好き、「乾いて固くなったグミ」が好きという声が次々と寄せられて、そういう悪食的なフェティシズムは案外誰もが持つもののように感じる。

ここではないどこかとしてのパンの耳

それで思い出したのがパンの耳だ。私はかつて、真剣にパンの耳を食べていたことがあった。

20代の終わりのころ、住んでいた街の小さなパン屋が大袋で安く売っていた。4斤分の金型から出した食パンを詰めるくらいの長い袋にいっぱいに入ってただみたいな金額で売られていた。みつけたら必ず買ってどんどん食べた。最初は節約のためだったけれど、切れ端をこれで十分とおいしく食べるさまに胸がすくというか、食事を攻略しているような興奮があった。

食パンの4辺をカットした棒状の耳だけじゃなく、平べったく薄く切られた正方形の側面も入っていたのがよかった。そのままでジャムやバターを塗って食べたり、トーストしたり、揚げパンにしたり、なにしろ熱心に食べた。あのころだったら一番好きな食べ物として「パンの耳」を挙げて胸を張っていいくらい執心していた。

古いパン屋で、高齢のご夫婦が営んでいた。そのうち消えるように、気づけば閉店してしまった。以来近所にはパンの耳を売る店はなくなって、私の熱意もやむを得ず冷めていった。

今でもカステラの切り落としとか、割れせんべいとか、半端な部分は大好きだ。

私だけではなく人間にはそもそもそういう性質があるらしい。B級品、訳あり品への人気がさばききれず、わざと訳あり的な品を作って売るケースもあるらしいから、まさにこれはフェティッシュの話なのだと思う。

同じように、魚のあらも好きでよく買う。ぶりのあら煮が、私はぶりの煮つけよりもずっと好きだ。

鍋のあとのうどんも、冷めたフライドポテトも、食パンの耳も、共通するのは、〝ここではないどこか性〞ではないか。

うどんではなく、フライドポテトではなく、食パンではないどこか。たどりついたからこそ尊い。

<続きは本書でお楽しみください>

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