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私は私の名字が今や精神となって私の中で生き続けることを知っている

  • 2024.12.11

名字、それは私の中で、良くも悪くも特別な場所を占めてきた。生まれたときから私を社会的に識別・証明するために与えられたこの名字に関して、幼い頃からさまざまな思いを抱いてきたし、人よりも強い思い入れがあると言っても過言でないだろう。

今では、家族から継承した大切な遺産でもあるとともに、一つの精神として私の一部として存在しているようにすら感じている。私はこのことに驚かざるを得ない。そして、この機会を通じて名字について振り返ることが私には必要だと思われる。なぜならば、子供時代、私は自分の名字が嫌いでたまらなかったから。

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ああ、私は「名字」という実体の持たない言語的レーベルに、何度悩まされ、時に傷つき、どれだけ手放したいと願ったことか。私の名字を一言で表すのにとっておきの言葉、それは、「めずらしい」。現実で家族以外に出会ったことのないこの名字を、正確に読んでくれる人はまずいない。惜しいところまでいく人もいるのだが、しかし実際の私の名字より、なんだか格好悪くされてしまうのが常だ。

絶対に読まれないもどかしさ、間違われる恥ずかしさ、望まない注目の心地悪さ。これら三つを日常的に、繰り返し経験することの苦痛は、小さい私にはなかなか辛いものであった。

同時に、私が女である(ここでは女とは何かという議論はさておき、そう自覚していることとして進めたい)という現実とは対照的に、私の名字はとても男性的である。そのため、女性的自意識が強い私にとって、勇ましい字面と、いかつい響きによって自分を名指されることは非常に不快であったのだ。

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ところで、結婚という社会的制度は、現在の日本国においては夫婦が一つの名字のもとに一緒になることを要している。そしてそれは、多くの場合、妻となる女性が夫たる男性の名字になる習慣を有してきた。このことについて、過去の私であれば、自分の名字からの解放のために喜んで結婚相手の名字を受け入れたであろうと思う。その理由として、私にとって名字とは、一方で自分のアイデンティティでありながら、その中にいつも不和を含んだ心地の悪い関係性によって特徴づけられ、また、その男性的要素への私の内なる女性的身体的感覚による抵抗を表すものであったことが挙げられる。

しかし一体、名字とはなんだろう?名字は私を表しているのだろうか?冒頭で、私は名字が私の一部であると言ったが、私の本質でないものが、どうして私を構成する一要素となり得るのだろう?私が名字に抱く特別な感情は、単に私の個人的経験のみによるものなのだろうか?でも、もしそうであったなら、夫婦別姓によって自分の名字を残したいと思う人々の説明がつかないことにならないだろうか?もちろん、役所での書き換えの作業が面倒という理由でそれぞれの名字を残す方がいいと考える人もいるだろう。しかし私には、人は自分の名字について何かしらの自己を見出しているのではないかと思われるーー例えば自分を貫く精神のような。

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名字に対するこの感覚は、明らかに経験的である。私は決して、名字が私の本質であるという意味でそれが精神であると言っているのではない。おそらく、それは私たちが生きてきた現実を通して象徴的に刻み込まれた後天的自我のようなものではないだろうか。名字なんてたかがレーベルで、そこに何の自己も見出さないという者もいるだろう。だが少なくとも私は、さまざまな経験をしてきたからこそ、自分の名字に、アイデンティティという土台においてある種の非互換性を感じている。誇りとでもいうのだろうか。今では、この名字と共に戦ってきた過去が私の中で消せない軌跡となり、私の名字は、強さと優しさと、受容と寛容と、違和と両義性を育んでくれた。

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私は自分の名字を残したい。私がこの名字の最後の継承者であることもあり、できることなら目に見える形で形式的に繋げたい。しかし、夫婦別姓にこだわろうとする立場に立つわけでもない。もし、将来結婚して、どちらかの名字に変えなくてはならなくなったとしても、それでもいい。でもそれは以前のような否定的動機からではなくて、私は私の名字が今や精神となって私の中で生き続けることを知っているから、たとえ戸籍上の可視性を失ったとしても、心の内に内在的に永続的に存在するからである。

ゆえに、私の名字が私に与えてくれた豊かさを享受するとともにこれを今回の名字に関する考察に対する結論としたい。そしてどうか、名字に悩むすべての人々が、その素晴らしい価値に気づき、自分の内に平和を感じることができますように!

■Lil Meowのプロフィール
チョコレートがあれば生きていけます。チョコレートの食べすぎで死にたい。

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