1. トップ
  2. 恋愛
  3. 子どもが3人いるのにおやつは2人分しか買わない…3人娘をハーバード大に入れた母が貫いた"しつけ"の中身

子どもが3人いるのにおやつは2人分しか買わない…3人娘をハーバード大に入れた母が貫いた"しつけ"の中身

  • 2024.12.10

子育てにおいて、子どもの意思はどの程度尊重するべきなのか。3人の娘をハーバードに合格させたシム・ファルギョンさんは「親がある程度の枠組みやルールを作るべきだ。また、なんでも満たしてやるのではなく、あえて不足する状況を体験させることも必要だ」という――。

※本稿は、シム・ファルギョン『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)の一部を再編集したものです。

罰として「1年はマクドナルドに行かない」

長女ヘミンがあるときマクドナルドに行きたいがためにささいな嘘をついたことがあった。夫はヘミンに「何があっても嘘をつくのはよくないよ」と言い聞かせ、詳しく説明した後、「嘘をついた罰として、これから1年はマクドナルドに行かない」と宣言した。私は内心、1年は長すぎないかと思ったけれど、止めることはせずに実行に移した。

韓国スーパーと韓国レストランが一軒ずつしかない町で、1年間もマクドナルドに行けないとは。ヘミンが感じた絶望は、どれほど大きかったことだろうか。おもちゃ欲しさについた嘘の代償としては厳しすぎると思ったかもしれない。だが、嘘をつけば必ず罰が伴うという事実は、頭に焼きついたことだろう。

マクドナルドの看板
※写真はイメージです
親の言葉は一貫性が重要

それからちょうど1年経った日、私たち家族はマクドナルドに行った。そのときの子どもたちの喜ぶ姿といったら、今も目に浮かぶ。

1年の我慢は、子どもたちばかりか、私たち夫婦にとっても大変なことだった。貧しい留学生一家の私たちにとってマクドナルドは、外食しながら子どもたちを遊ばせ、気分転換できる唯一の場所だったからだ。それでも、親の言葉には一貫性が重要だ。

いったん決めたことを、状況が変わったからと親自身がやめたり変更したりしたら、一番混乱するのはそれを見ている子どもたちだからだ。

1年間マクドナルドに行かないと言ったなら、何があっても行ってはいけない。韓国から親が訪ねてきたとき、子どもたちを連れてマクドナルドに行こうと言われたが、それでも行かなかった。外で用事があって遅くなり、お腹が空いていても、家に帰ってからご飯を食べた。知り合いの家族と食事をして、マクドナルドでデザートを食べようと誘われても、丁重にお断りをして先に失礼するか、家に帰ってデザートを食べるよう提案した。それがどれほど面倒だったことか。子どもたちだけでなく、親も決まりを守るのは大変だった。

ここでもう1つ大事なのは、夫婦のうち片方が内緒で約束を破ってもいけないということだ。時折、子どもが父親か母親のどちらか一方に、そっと助けを求めることもある。それでも親は団結して、決まりを守り通さねばならない。こうした一貫性を守ることで、子どもを混乱させることなく、他のルールも守らせるカギになるのだ。

子どものやりたいようにやらせていいのか

幼い頃から親の愛を独占し、何のルールや制裁もなく、やりたいように育ってきた人が、社会に出てからは成功できない例を、私たちはよく見てきた。逆に貧しい家庭環境で、親が子どもに目をかけてやれず、何の支援もないまま何でも自分で決めて育った場合も、望みの結果を成し遂げられるケースは少ない。どうしてだろうか。

垣根のなかでうまく育つのは、守られているという安心感のおかげでもあり、親が作った枠のなかで限度を理解し、適切な態度と姿勢を学べるからだ。

ルールという垣根、限度という枠がなければ、もっと自由で、創造的で効率的な人間になりそうなものだが、絶対にそうはならない。むしろ家庭で縛りを経験した子どもは、家を出て学校や職場などに行ったとき、自分の属する社会で望むものを手にできる人間に育つのだ。

親がある枠組みやルールを作ったとき、子どもがそれを理解してくれることもあれば、ときには理解してくれないこともある。とにかく従順にそのルールのいい点を受け入れ、習慣として身につけ、いい結果を出すこともある。あるいは、自分の望むものを手にするため親と交渉をしたり、親のしつけを甘受しながら、より多くのことを手に入れたりもする。子どもはその過程で、上の世代とどう話し合うべきか、どうすれば欲しいものが手に入るのかを、自然に学んでいく。社会のなかで望むものを得るための訓練をしているのだ。

また、コミュニケーション能力も向上するし、相手の意見を聞いて説得する技術も上達する。つまり、このような能力は生まれつきのものと言うより、親から学ぶ後天的な能力だと言える。

ポーチで会話をしている母と娘
※写真はイメージです
親が明確に基準を決める

では、何を基準に線を引けばいいのだろうか。明確な限度をどう決めるべきなのか。

まず、親がしっかり考えるべきだ。親としての権威を賢く使い、はっきりした線を決めよう。そして、それを決めたら責任感を持たねばならない。子どもの成長のために重要だからだ。そうやって決めた基準を子どもに説明するときは、それが子どもの幸せを考えてのことであると伝えるべきだ。

他人に配慮でき、礼儀正しく、道徳的な子を育てる道のりは、決して簡単ではない。しかし、それはすべての親ができることであり、親にとってこれほど重要でやりがいのあることはないだろう。

お菓子は3人で2つ

子どもが3人いるため、買い物にはよく行った。買い出しに行くと必ず子どものおやつも買っていたのだが、1つだけルールがあった。3人分のおやつは、2つだけ買うことだ。買い物から帰ってくると子どもたちは買い物カゴに飛びつくが、3人で2袋のお菓子を分け合う状況になる。そして、各自が少しでも多く食べようとして、厳しい駆け引きが始まるのだ。

「私が一番お姉ちゃんだから、一番多く食べるべきよ」
「何よ、育ち盛りの私が食べるべきでしょ」
「私、食べるのが遅くていつも少ししか食べられないから、今回は私がたくさん食べる」

こんな具合で、大騒ぎになる。ついには誰か1人が泣き出すこともあった。いっそ3袋買っておけば、各自の分を部屋に持っていって食べるだろう。そうすれば喧嘩になることもなく、家庭は平和になるのかもしれない。なのに、どうして2人分しか買わなかったのか。

経済的に余裕がなかったから? ぜいたくな暮らしはできなかったので、それも間違いではないが、お菓子も買えないほどの貧乏ではなかった。真の理由は、子どもには多少の不足を経験してほしかったからだ。

2杯のアイスクリーム
※写真はイメージです
「少し足りない」状況をつくる

何でも手に入るよりも少し足りないほうが、子どもにとっていい場合がある。限られた物を分け合う過程で、相手の立場を理解しないといけないことを学べるし、自分の立場を理解させるための理屈を考える機会にもなるからだ。足りないということは、逆に言えば未来への期待と欲求がある状況を意味する。

不足を埋めようとしたとき、苦労せずに簡単に手に入れば、それで満足してしまう。反対に、努力して手に入れれば、自信と達成感を味わうことができる。

幼い子が食事をするとき、親が食べさせるよりも自分で食べられるように見守るべきなのは、こういう理由からだ。さらに、常に残るほどの量を与えて腹いっぱいにさせるより、少し物足りないくらいの量にしておいたほうが、次の食事への期待が高まるだろう。

服も着せてあげるより、自分で着るようにさせた。そして、あまり着ない服をたくさん買い与えるのではなく、我慢させて本当に気に入った服だけを買ってあげるようにした。

早期学習も同じ

趣味として楽器を始めたときも、同じルールを設けた。

最初からよい楽器を買うのではなく、知り合いから譲ってもらったり、お手頃な練習用楽器を与えたりして、子ども自身がもっとよい楽器が欲しいと言ってくるまで待った。そうすれば、自分の楽器を大切にし、音楽を愛するようになるものだ。

このように、子どもが欲しいと言わないのに、親が出しゃばって先に買い与えることはなかった。食べ物であれおもちゃであれ、子どもは何の努力もなしに与えられたものには興味を示さない。あって当たり前としか思わないのだ。不足を感じ、それが満たされたとき、より大切に思うものだ。

早期学習についても、それと同じではないだろうか。

学校より先回りして知識を詰め込むのは、勉強への好奇心と意欲を削ぐだけだ。塾で難しい勉強をするより、学校の授業に集中させるほうがいい。自分よりできる子を見れば、自分に何が足りないかを考え、もっとできるようになりたいと思うものだ。

受け身で勉強するのではなく、主体的に取り組み、もっと知りたいことは何かを自分から考えさせることが重要だ。やみくもに塾に行かせなくても、子どもの心に学習意欲さえ生まれれば、自分から勉強するようになるのだ。

青の背景に鉛筆、本の山と卒業キャップ
※写真はイメージです
「何をしないでおくべきか」を考える

自分の子どもの1日の過ごし方を、一度じっくり観察してみよう。ひとときも休まずに、何かをしてはいないだろうか。おもちゃやゲームなど、遊ぶもので部屋があふれていると、子どもたちは暇になる時間がない。それは空白の時間がない、という意味だ。

最近の子どもの1日は、YouTube、ゲームアプリ、パソコン、塾や家庭教師などで大忙しだ。子どもには、空白の時間も必要なものだ。暇になれば、自分が何がしたいのかを考えたり、さまざまな想像をしたり、本を読んだりするようになる。暇をつぶすだけの人工的なおもちゃなどで囲まれていると、子どもの年齢で経験できるはずのことを逃してしまう。

子どもにとって一番かわいそうなこと

恵まれて欠乏を知らずに育った子にとって一番かわいそうなのは、欲望を抑えられずに成長し、自分で満足することができなくなることだ。

自然主義的教育の思想家ルソーは、著書『エミール』で「子どもを不幸にする一番確実な方法は、いつでも何でも手に入れられるようにしてやることだ」と述べた。

簡単に欲望が満たされる子どもは、欲しいものがどんどん増えていくばかりで、見るものすべてが欲しくなる人間になってしまう。すると最終的にどうなってしまうのか。

親がしてやれることには限界がある。いつかは子どもの要求を断らないといけなくなるだろう。ところが、断られることに慣れていない子どもは、欲しいものが手に入らなかったことよりも、断られたという事実によって苦しむことになる。

親が神様でもない限り、このような要求をどうやって満たしてやれるのかとルソーは言う。

膝を抱えて泣く子ども
※写真はイメージです
欠乏が動機を生む

今の子どもは、欠乏という言葉を知らない。韓国でもアメリカでも、あふれんばかりの豊かさのなかで生きている。だから、自分から何かをしたいという欲が生まれないのだ。

シム・ファルギョン『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)
シム・ファルギョン『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)

欠乏があってこそ動機が生まれ、動機があると原動力になり、何でも自分の力でやってみようという意志と、努力する気持ちが生まれる。この過程で達成感も味わえる。よって、子どもを育てる際には、ある程度の欠乏が必要だ。

子どものために何をしてあげようかと考えるより、何をしないでおくべきかを考えるほうが賢明だ。私は親として、どうすればやってあげないですむのか、どうすれば子どもに苦労させることができるのかを真剣に考えた。

だから、うちの子どもたちは、私から何かをもらおうとするなら、とても面倒だとわかっている。しっかりと論理立てて母親を説得し、妥協し、同意を得るために努力しないといけなかったからだ。

シム・ファルギョン
主婦
韓国でキリスト教教育で修士学位を取得した後、同じ大学で神学を学んでいた夫と結婚。夫の留学を機にアメリカに移住。アジア人移民は社会的にはマイノリティーであり、さらに牧師の家庭だったため経済的にも苦しかったが、入試コンサルティングはもちろん、塾にも行かせず、一般の公立学校に通った3人の娘全員をハーバード大学に入学させた。三姉妹がハーバードに合格したあとも「私はごく平凡な人間で、特別なところは一つもない。すべて子どもたちが成し遂げたことだ」と述べ、多くを語らなかったが、『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)で初めてそのストーリーを惜しみなく公開。子どもの教育や育て方に関する講演を活発に行いながら、多くの親の悩みを聞いて共感し、読者一人ひとりと目を合わせるような温かいメッセージを伝えようとしている。

元記事で読む
の記事をもっとみる