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母の実家が魚屋だから寿司好きと言っていい? 自分のルーツから好きな食べ物を考える/好きな食べ物がみつからない⑤

  • 2024.12.10

『好きな食べ物がみつからない』(古賀及子/ポプラ社)第5回【全6回】 自分が本当に好きな食べ物がわからなかったエッセイストの古賀及子さん。「好きな食べ物はなんですか?」この問いに、あなたはうまく答えられますか? 自分のことは、いちばん自分がわからない。どうでもいいけど、けっこう切実。放っておくと一生迷う「問い」に挑んだ120日を、濃厚かつ軽快に描いた自分観察冒険エッセイ『好きな食べ物がみつからない』をお届けします。

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『好きな食べ物がみつからない』(古賀及子/ポプラ社)

血が魚好き

母の実家が、東京の都心で魚屋をやっていた。一般的な魚屋ではなく、卸しに近い、配達がメインの商売だ。長靴で歩き回る土間のような店舗には大きな水槽が両端と真ん中に重ねて置かれ、店の奥には靴を脱いで上がる板張りの事務スペースがあって、窓ガラス越しに店が見えるようになっている。店頭に向かって事務机が3台並び、よく祖母が座って帳面をつけていた。

遊びに行くと、焼いたぶりを食べさせてもらうことが多かった。切り身を塩で焼いて、醤油をかけた大根おろしと一緒に食べる。親戚が集まると大皿でまぐろの赤身が出た。大人は酒を飲みながら、子どもは白いご飯にのせてどんどん食べた。

離れて暮らす私たち家族の家にも魚類の物資は定期的に届いていたようだ。子どもの頃はやたらに鮭を食べた。あと、たらこ。

祖父母や店で働く魚屋の人々からはとくべつ「魚が好きだ」と聞いたことはない。けれど、あの店の誰もが商いに対して愛と誇りを持っているように見えた。みんな機嫌よくてきぱき働いていた。とくに祖母は魚屋の仕事が大好きで、亡くなったときに伯父が弔辞で「商売ほど面白いものはないと、母はよく言っていました」と読みあげたときはみんな泣いた。

そんなわけだから、私も血の時点ですでにそれなりに魚は好きでもおかしくない。

魚に対し、ベースの部分で素養がある。握り寿司は食べ物としてあまりにも人気すぎて、好物とわざわざ言うなんてと距離を置いてしまっていたけれど、考えてみれば筋道はぴかぴかに舗装されているとも言える。

母方の祖父と父方の祖父、それぞれの寿司

祖母はなにしろ商いが好きだったが、魚を食べることについては、もしかしたら祖父の方が好きだったかもしれない。寿司は祖父の好物で、よく出前をとった。魚屋は刺し盛りは作れても寿司は握れないから、祖父母の家でも寿司は懇意の寿司屋が樽をかついでやってきた。

ある日、いとこ勢も来て子どもが多く集まった日、子ども向けにひと樽まるごと、わさび抜きのお寿司を親の誰かが取った。それに気づいた祖父が、ちょっとでいいからわさびをつけろと、子どもたちに熱心にすすめてきたのを覚えている。

祖父は遊びと祭りの好きな人だ。全体的に適当で、だからわさび入りの寿司こそ寿司であると、それだけは譲らないようすで言って迫った態度は珍しく説得力があった。

母方の祖父がわさびにこだわりを見せるいっぽう、父方の祖父もまた独特な寿司へのこだわりを私に見せた。

中学生くらいのころ、学校が休みの日に妹と一緒に祖父母の家に遊びに行くと、今日は寿司でも食べに行こうかと、行きつけのお店に連れて行ってくれた。

広い、ロの字のカウンターと座敷のあるお店で、祖父は人数にかかわらず必ず座敷を選んだ。

注文は毎回決まって茶碗蒸しと、寿司げた1台分の中とろと、穴子、それにみそ汁。中とろと穴子だけ頼むのが、祖父の寿司の食べ方だった。

私も妹も、そういうものだと思って他に何か食べたいと言ってみたり、なぜ中とろと穴子だけをとたずねることもなかった。一緒に来る祖母もこの注文で満足のようすで、とにかく、そういうことになっていた。

子どもは大人の自信に弱い。大人がこうだと言えば、いやそうじゃないと思うより先に「へぇ〜」がくる。「そうなのか〜」だ。

それになにしろ、このお寿司屋の中とろと穴子はおいしかった。どちらもやわらかく口でとけるようにほぐれる。祖父はお酒を飲まない。その分甘いものが好きだった。寿司にも、解りやすく甘さややわらかさを求めていたのだと思う。

茶碗蒸しもとても丁寧で品があって、1枚入っているかまぼこの味が優しい味のなかで突如パンチを持って舌に迫り驚くほど。みそ汁は出汁をとった海老の頭がそのまま入っていて、いつも私はこっそりくわえて吸った。祖父の不動のセレクトの妙が、この店ではいつも光った。

祖父はお寿司屋のあとに喫茶店に連れて行ってくれた。孫たちにしきりにデザートのケーキをすすめ、自分はコーヒーを頼む。祖母が、本当はおじいちゃまがケーキを食べたいのよ、子どもたちが食べたら、仕方ないから私も食べようかって言えるから、といつか教えてくれた。お寿司でお腹がいっぱいで、私はいちどもケーキまでたどりついたことはない。祖父を喜ばせることはできなかった。

祖父は軍人で、父によるととても厳しい父親だったそうだ。とにかくせっかちで、電車では座っていても降りるひと駅前から立って下車の準備をした。段取りが得意で強いリーダーシップを持って人をまとめる。筆まめで、手先が器用で、孫にはとことん優しかった。

模範的、規範的な印象が強かったけれど、こうして思い出すと寿司を食べたあとケーキを食べようとは食に対してなかなかクリエイティブだ。どこかで自由な人だったのかもしれない。あのころ、祖父はもう70代に入っていたはずだ。健啖でもある。

血筋からの魚好きというプライド、それに祖父たちとの思い出を携えて、「好きな食べ物はお寿司です」と、私は声高に叫べるだろうか。そのことばに本気の手ざわりが、ちゃんとあるか。

一度あらためて食べて確かめねばならない。

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