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嫌いな名字だったがペンネームが調子よさげに収まるので愛用している

  • 2024.12.10

私は私の名字が好きではない。

山の下で「山下」。自分の先祖は山の麓で過ごしていたのだろうかと簡単に予測できる。なんてつまらないのだろう。

それに学生のときはずっと出席番号が後ろの方になる。身体測定やテストの返却など、何かと番号順で行われるのでなんとなく損をした気になってしまう。

そして、好きになれない最大の理由がもう一つ。それは父方の名字だということ。

父とは折り合いが悪い。さらに家族の中で血液型が同じB型なのは私と父だけである。

馬が合わない相手と同じ血を引いているという証を一つでも捻り潰したいので、名字を変える機会があれば面倒臭い書類申請だとかも我慢しながらやる。

もし母方の名字の「野田」なら、名字二音、名前二音でフルネームの収まりもとても良くなっていたのに、と中学生の頃から現在まで、半年に一度ほど考えてしまうときがあるほど、自分の名字を手放したくてしょうがない。

◎ ◎

もし好きな名字に変えることができれば何にするだろう?

まず思い浮かぶのは、鰻さん。それから兎さん?芸人さんの顔が脳裏にホワホワ出てくる。調べてみると、兎さんは芸名らしい。あれほど自己紹介しやすい名字もないだろう。珍しい名前はすぐに覚えてもらえる。そして何より、かわいい。

名前はいくらかその人を印象付ける代物になる。名字のみ、名前のみのそれぞれの印象があるし、フルネームだとまた少し変わる。字面と音のバランスもあるので、視覚と聴覚での認識も少し違ってくる。これほどアイデンティティに直結するものもない。

私が大学で所属していたのは国文学科で、幸い同じように言葉にうるさい人が周りに大勢いた。名前も自分が所有する固有名詞だ。そのような、先生も含めた数人のメンバーで飲んでいた際に名前の話でなぜか一時間程大いに盛り上がった。
「佐藤」は平凡すぎるのに画数が多すぎるのでテストのとき不利だとか、「鈴木」はウ音が続いて発音しにくい、いや逆にそれが良いだとか。その際に満場一致のなりたい名字は「道明寺」だった。皆、『花より男子』を通った事実が明白になった。

私はその際自分の名字が嫌いだと高らかに宣言したが、先生はそれを穏やかにたしなめた。生まれてからずっと付き合った名字といざ離れるとなると意外にも寂しいものらしい。しかし、それらは酒のつまみになるかならないかほどのくだらないことのような気もしていた。

◎ ◎

名字が嫌いだと散々言いながら、エッセイを書くときのペンネームを「山下ハイビスカス」にしている。上が本名で、下は作り物である。

このペンネームになってしまったのは、中学生の頃、子どもができた場合にどのような名前をつけるかという話をしていたときに由来する。「綺麗だから花の名前をつけたい」と言った私に友人が「山下ハイビスカス?」とすかさず提案してきた。

まさか子どもに「ハイビスカス」と名付けることはない。しかし「山下ハイビスカス」は口に出してみると何とも滑らかな響きなのである。

その数年後、大学の研究会にて文章を書く企画に参加した際にペンネームをつけることになり、中学生の頃の話をすると満場一致でその名前を使えということになり、引き返せなくなった。

ちなみにその後、「山下」は続けてカタカナの単語をあてがうとどれでも調子良さげに収まってしまうマジックワードであることに気づいた。「山下ディスタンス」「山下プロパティ」「山下エッセンシャルオイル」どれもどこかの界隈にいそうじゃない?
このペンネームを使えば使うほど、私は今の名字を手放すことがあった場合にどのような感情が湧いてくるのか、少し楽しみになってきている。

■山下ハイビスカスのプロフィール
高校受験、大学受験、就活と順調に落ちない人生を送ってきたはずなのに入社半年で仕事を辞めた。地元が好きじゃない。

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