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印鑑売り場で自分の名字を探す友人と、その遊びの入場券すらない私

  • 2024.12.9

私は、それはまあ珍しい名字の持ち主だ。生まれてから22年その名前で生きてきた。
どれほどまでに珍しいかというと、全国では私の親戚しかいないような名字であり、ここで言ってしまえばきっと私が特定されるレベルのものだ。

◎ ◎

さて、全国名字ランキングのトップランカー佐藤・鈴木・高橋では体験できない話をしよう。

一番日常生活で困るのは、呼び・読み間違いの多発だ。
私は、イベント運営の単発アルバイトをしている。朝、自己紹介をしても正確に、一発で、聴き取ってもらえた試しがない。それもそのはず、私の名字はかの有名な「山崎」と音が近く、必ずそちらが採用される。言い直すのが億劫な時は、「はいそうです」と肯定してしまう。

もし正確に聞き取られたとしても、大抵数時間、いや数分後には珍しさ故忘れられてしまう。
時にはバリエーション豊かな呼び方で呼ばれる。たまに一文字も合っていない時がある。ほとんど当て勘で呼んでくる人も多い。

中国人の知り合いが、名前の漢字を日本読みすると中国語の読みと全く違うので、呼ばれる音が大きく異なり、当初は自分が呼ばれているのか分からずすぐに反応できなかったと話していたが、私は日本名でありながら同じようなことが起こっている。
今では、相手が名前を呼べず困っていたら「私ですか?」と率先して聞くことにしている。別に私が望んで得た名字ではないのだが。

ただ、ごく稀に記憶力の良い方がいて、一切間違えない場合がある。私の経験上、その人は仕事ができる。名字が試金石になるのだ。

◎ ◎

また、印鑑が身近に売っていないことも厄介だった。
印鑑がずらっと並んでいる某格安ショップで、自分の名字を探す友人を見ている私はその遊びの入場券すらないのだ。

また厄介なのは私の名前は読めないだけでなく、書けない。
珍しいけど1文字1文字は見たことがある状態ならまだ良いが、私は見たことない×見たことないなのだ。見知った人であっても骨が折れるこの名字を楽々と漢字で記せる人はいない。毎回、「片仮名で大丈夫ですよ」とフォローが必須なのである。何度も言うが、私が望んで手に入れたものではないのでなんだか癪だが。

◎ ◎

前述のトップランカーには経験したことのない話であろう。
こう記すと恨んでいるように聞こえるが断じてそのつもりはない。それに、彼らには彼らなりの苦悩があるだろう。

ただ、彼らと私の人生が同じ瞬間に終わるとして計算してみたいものではある。
名字に関して費やした時間の差を。
私は生まれた瞬間から面倒くさいこの名字と生きていくことが確定しており、自分のこの厄介な性格も少なからず名前とそれに付随する思い出から来ている気がする。私のように名字だけでなく、名が厄介な人もいるだろう。

名字は親のものから変えられないが名は親や周囲の人間の誰かしらが自由につける。どうしてこんな名にしたのだと怒りが湧いてくるだろう。
名字は責める対象がいないので余計にやるせない。しかも私の親もその上もそのまた上もこの名字で生活してきた。どこかで簡単な名字を持つ方に路線変更しようとはならなかったのが不思議だが、そこまで簡単でもないのかもしれない。

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いや、簡単でも良いのかもしれない。
夫の名字にするという暗黙の了解は少しずつ薄れているし、別姓を選択する場合も増えた。

もし、この記事を読んでいてどちらの名字にするか悩んでいる方がいるならば、今回の私の恨み節を少しだけ頭に入れておいてくれたら嬉しい。

私の場合は名字だが、身体的、環境的など様々な面で皆少なからずハンデを背負って生まれてくる。名字ごときでハンデとはと、ここまで読んで言う人がいるなら、心の中で往復ビンタである。恨み節を全開にしておいてなんだが、私はこの名字で良かったと今は思っている。私がトップランカーならまた違った人間になっていた気がするし22年も一緒にいるとなんだかんだ愛着も湧いてくる。
たかが名字。されど名字。

ただ、来世は絶対佐藤になりたい。

■尾形まおのプロフィール
千葉県在住の大学生。映画・ドラマ・本などミーハー心爆発中。
現在は終わりの見えない卒業論文と新社会人になる恐怖で日々震えている。

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