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通称で旧姓を使う母。家族が困っているなら、私は考え続けたい

  • 2024.12.9

私は名字の問題には敏感だ。なぜなら私の母親は通称で旧姓を使っているからだ。私は授業で社会問題について自由に調べることができる時は、毎回と言っていいほど夫婦別姓について調べてきた。私は当事者ではないけれど、家族が困っているのなら、それは当事者並みに気になるのだ。

それなのに、政治家は家族の形が壊れるだとか、子供が可哀想だとか言って、夫婦別姓を拒んでいる。はて?家族の絆はそんなものでは壊れない。むしろ、大切な人が守りたいものを守れないことの方が重大な問題だ。

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母親が旧姓を使うことを法的に認められ、使われることを祈っている私だが、私自身は自分の名字を結婚してからも使いたいとはあまり思わない。なんたって、私の名字は「大塚」。平凡な名字なのだ。できたら、もう少しかっこいい、珍しい名字がいいな〜なんて思ったりもする。

皆さんも幼い頃にかっこいい名字を考えたことはないだろうか?私は、祖父が養子になる前の名字「星野」がかっこよくて、なんで養子になってしまったんだろう、なんて考えたこともある。もしかしたら、私の名字は「星野」だったかもしれないのだ。まあ、祖父が養子に取られなければ、私はいなかったかもしれないが。

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そのような話はさておき、名字なんてこのぐらい気楽に自由に選んで良いのではないだろうか。家族は一つの名字を名乗るべきだなんていう政治家の意見は、子供が可哀想だなんて言いながら、古い形の家族だからこそ、男性が優位に立てる、言い換えれば、政治家として座ってられる体制が壊れることを懸念しているのではないか?なんて考えてしまったりもする。

だって、選択的夫婦別姓という制度は、「選択制」なのだ。変えたかったら、変えたら良い。変えたくないのなら、変えなければ良い。個人の自由だ。強制ではないのだ。だから、名字は一緒がいいよと思って夫婦別姓に反対の人にとってはな〜んも問題はないのだ。当事者の子供である私もなんにも問題はないのだ。反対する理由はどこにあろうか?

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私はただ、その人らしく生きていけないということに憤慨してしまうのだ。母は「今林」の方がしっくりくる。そのほうが羽を伸ばして羽ばたける白鳥のように生き生きと感じる。名前ってそんなにも力を持っているのだな〜。私は、将来結婚することになったらどうするのだろう。やっぱり、ありきたりな名前だけど「大塚」がいいわ!なんて思ったりするのだろうか。相手の名字が大塚より輝いて見えなかったら、相手になんて伝えよう。きっと、あなたの名前が平凡で、私のファーストネームに響きが合わないわ。なんて伝えることはしないだろう。私の名字が好きなの!ということにしておこう。

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今日、授業のプレゼンで夫婦別姓について発表した。あるクラスメイトが、そんなにも名字を変えたくない理由がわからない、と言った。人にはそれぞれ守りたいものがある。なくなったら傷つくもの。大切なものって貶されたり、無視されたりすると、とてつもなく傷つく。ある人にとったらそれは、名字ではないのかもしれない。けれど、あなたはそれを重視するんだね〜と受け止め合ったら良いだけなのだと思う。

簡単なことかもしれない。気軽で自由でいいじゃないか。その人がその人らしく生きられる。個性が見える。話は大きくなるけれど、そんなふうに個性を認め合えたら、個性を出しやすくなって生きやすいな〜。私は、自分らしく生きるために選択的夫婦別姓を可能にしようと声を上げる人たちがかっこいい。私の母もかっこいい。そして、そんな母を見ていると私の選択肢は固定されない。広がってゆく。

■わがふうのプロフィール
紅茶とおやつ、手芸と絵本、散歩と自然、街歩きが大好きな19歳

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