1. トップ
  2. ファッション
  3. 命が短いからこそ次世代へと繋がっていく名字、その脈動を感じて

命が短いからこそ次世代へと繋がっていく名字、その脈動を感じて

  • 2024.12.9

我が家のクリスマス・イヴは、イエス・キリストの誕生を拝んだ東方の三賢者ならぬ、洛中の中年四紳士が現れる。毎年12月24日の昼下がりに、中年の四紳士が大きなクリスマスケーキの入ったボックスを携えて我が家を訪れ、仏壇に手を合わせ、ケーキを置いて去っていく。その来訪は私が11歳のときに始まり、13年間続いた。

◎ ◎

クリスマス・イヴの四紳士というのは、京都青年会議所の父の仲間だった。恰幅のいい紳士はフランス料理店の3代目、低音ボイスが魅力の紳士は銀行の重役さん。うちの家業は、薫香と文具を扱う鳩居堂だ。1663年に創業して以来、鳩居堂は寺町姉小路に店を構えている。父は10代目当主熊谷直清の長男に生まれ、跡継ぎとして育てられた。

そんな父が母と出会ったのは学生時代だ。大学の合唱部で出会い、大学卒業ほどなく父と母は結婚した。母の名字は、森から熊谷に変わった。新居は義父母宅と庭続きの二世帯住宅で暮らすことになった母。二世帯をつなぐインターホンがあって、お隣りによく呼び出されていた母は、「若奥さま」とお手伝いさんに呼ばれていた。もう傘寿を過ぎた母をずっと、若奥さま、と呼んでくれるキヨさん。お手伝いさんを引退してからも、滋賀県の実家からおいしいものを送ってくれた。

◎ ◎

私が10歳になったばかりのクリスマス・イヴの朝に、父は胃がんで逝ってしまった。夏に病気が判明して、半年の闘病生活。最後の1ヵ月は父の入院する病院に寝泊りして、私は病院から小学校に通った。36歳の若さで、父は天国へ旅立ってしまった。母はその日を境に、「若奥さま」から「若き未亡人」になった。

私が23歳になった年の暮れ、父の十三回忌を迎えた。その夕方、我が家に初老に近づいた4人の紳士がクリスマスケーキを持って現れた。「今年でお参りするのは最後になります」と言って、彼等は深々と頭を下げた。13年間もありがとうございました、と母も頭を下げた。

その日の夜。私は押し入れにあった子どもの頃のアルバム写真をなんとなく眺めていた。布張りアルバムの中に、小さな私と父と母が写った写真があった。まだ1歳にもならない私を抱く母と、寄り添う父。父はタイトなジャケットとパンツ、母は水玉模様のワンピース姿だ。父のはにかんだ表情や長い指先がナイーブなものを感じさせた。大きく写った父の姿は貴重な1枚だ。愛用のカメラで写真を撮るのは大抵父だったから。

◎ ◎

ふたりは幼い私のことをかおりこちゃん、と呼んだ。かおりこちゃんが短くなり、かいこちゃん、かいちゃん、に変化していった。私の名前の由来を書いたエッセイも残されている。「女の子が生まれたので、そのものずばり、かおりと名づけた」と、父は雑誌に書いていた。かおり、と言っても鳩居堂の薫香ということなので、抹香臭い感じではあるけれど、私はこの名前が気に入っている。ひらがなで、かおり。かおりこちゃん。生まれた子が男子なら、直樹、だった。と言うのも、熊谷家は800年前の鎌倉時代から、当主となる跡継ぎには「直」から始まる名前がつけられる慣わしだからだ。跡継ぎにはなれなかったけれど、ふたりにとって、私はほんのり薫る絆だったのかもしれない。自分自身が、家族が存在していた証拠そのものなのだと私は気がついた。

◎ ◎

熊谷という名字に歴史が刻まれている。その明らかさ。命が短いからこそ、次世代へと繋がっていく名字のいわれ。そこから聞こえてくる脈動。私は将来、愛し愛されて結婚することがあったとしても、この名字のまま生きてゆきたい。名字を受け継ぐことの意味を問い続けながら、熊谷かおりの人生を歩んでいきたい。

■くまちゃむ31のプロフィール
京都生まれ。ピアノとボーカルを教えています。シンガーソングライター。市民参加型ミュージカル劇団を主宰。脚本・音楽オリジナルの創作劇で、出演者は年齢・性別・国籍を問わず公募。日本ペンクラブ会員。

元記事で読む
の記事をもっとみる