1. トップ
  2. 恋愛
  3. ここまでの人生、泣いて笑って共に苦労を分かち合ってきたのは旧姓だ

ここまでの人生、泣いて笑って共に苦労を分かち合ってきたのは旧姓だ

  • 2024.12.8

私の旧姓は珍しい部類に入る。名前を告げれば聞き返され、印鑑は売っておらず、家族以外に同じ名字の人に出くわしたこともない。小学生の頃はクラス替え後の初めての出席確認で必ず先生に読み間違えられ、思春期の私を赤面させた。嫌な思い出もてんこ盛りの名字ではあるが「不便極まりないんだよね」と言いつつ内心では珍しさに若干得意気で、私はひそかにこの名字を愛していた。

◎ ◎

そんな私は「もはや結婚する気ないだろお前」と、ほとほと周囲を諦めさせた矢先の三十四歳で結婚した。晴れて私の名字はとんでもなくありふれたものに変わった。病院の待合室で呼ばれたら、他に一人や二人くらい立ち上がっちゃうような名字だ。今までではありえない事態に毎回笑ってしまう。旧姓の頃は読み間違えられないありふれた名字にあこがれを持ったりもしたが、これはこれで大変なんだなと知った。

結婚して姓が変わるということは、結婚したことをわかりやすく実感できる喜ばしいことである反面、今まで慣れ親しんできた旧姓を手放すという心寂しいことでもある。単純に名残惜しいという気持ちの問題だけではない。女性の社会進出が進んだ現代、晩婚化が進み、若くして結婚するのが当たり前というわけではなくなってきている。それなりの年齢で女性が結婚した場合、姓が変わることで少なからず弊害が起こりうる。仕事など、すでに旧姓でその女性の社会的地位は確立され浸透しているからだ。総務的手続きの問題だけではなく、業務上煩雑になるシーンが多々発生する。顧客との付き合い、名刺も一新、メールアドレスに名字がつかわれていたりなんかしたら、関係各所へ通達するにしても相手へも手間をかけさせることになり、心苦しいものだ。幸い、私の職場は旧姓のまま業務が続けられる規定だったため、社内的にも社外的にも何ら支障なく継続できている。公的書類においても少しずつ旧姓併記できるものも増えており、対応はされてきているように思う。

◎ ◎

晩婚の場合、旧姓の人生歴を新姓の人生歴が上回るのは相当先のことになる。今ここまでの自分をつくりあげてくるのに一緒に汗水鼻水垂らして、泣いて笑って共に苦労を分かち合ってきたのは旧姓だ。私としては旧姓のまま仕事ができることに喜びを感じている。彼女をいきなり裏切って、新姓だけを猫かわいがりなんてできるわけないじゃないか。どうしたってこの先、新しいコミュニティへと入るときには新姓を名乗ってやっていくことになるのだ。今、限りある旧姓とのつながりを大切にしても罰は当たらないだろう。その分、プライベートでは新姓になったことへの喜びにずぶずぶに浸るようにしている。

◎ ◎

私には夢がある。笑われるかもしれないけれど、小説家になることだ。突然思いついたのだ。でも何歳だって誰だって夢をもっていいと思っている。三十四年も旧姓人生を歩んできたくせに、恥ずかしながら私は旧姓を漢字で書くのがものすごく下手だ。何というか、踊っているような感じでバランスが悪い。漢字練習帳でも手紙でもお習字でもいつも真剣に取り組んだけれど、どうしたって下手だ。だがいいのだ、この先いつか夢を叶えて小説家になった暁には、ペンネームは旧姓をつかおうと思っている。そしてファンに求められたら、流れるような筆運びで旧姓のサインを書くのだ。私の下手っぴなサインは、どんなに踊り狂った字であろうが味わいという魅力に変貌を遂げる。大変都合がいい。こうして後世まで残していけることになるわけだ。夢を語るだけならタダなのだから、くだらないなんて呆れないでほしい。

ちなみに兄も弟も結婚しておらず、さらに私には子どもができる見込みはない。ということはだ、近い将来私の旧姓は消えるかもしれない。我が旧姓を引き継ぐ者が限られている今、私は生まれたときに授けられ、多くの時間を共に過ごした大切な姓をできる限り長く愛していきたいと思っている。

■ぺこしょのプロフィール
低体温低血圧でたいへんヘニャル体質ではありますが、本を読むことと文章をかくことだけには熱意ムラムラです。

元記事で読む
の記事をもっとみる