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【インタビュー】アスルクラロ沼津・齋藤学が語る 故障を乗り越え、自分らしさを探し続けた6年間「もっとギラついてもいいのかなと思った」

  • 2024.12.6
 【インタビュー】アスルクラロ沼津・齋藤学が語る 故障を乗り越え、自分らしさを探し続けた6年間「もっとギラついてもいいのかなと思った」
【インタビュー】アスルクラロ沼津・齋藤学が語る 故障を乗り越え、自分らしさを探し続けた6年間「もっとギラついてもいいのかなと思った」

Text by Senior Editor

熾烈な昇格争いを繰り広げたJ3リーグが24日に今シーズンを終えた。

惜しくもプレーオフ進出を逃したものの、リーグ戦での粘り強い戦いが印象的だったのが「ゴン」の愛称で親しまれる中山雅史監督が率いるアスルクラロ沼津だ。

その沼津に今季から加入し、ベテランとしてチームを支える齋藤学選手に、これまでのキャリアや自身初のJ3で戦った2024年を振り返ってもらった。

「もう一度成長を見せていきたい」

2022年6月に名古屋グランパスを退団した齋藤は、その後に水原三星(韓国)、ニューカッスル・ジェッツ(オーストラリア)を経て、2023年7月にJ2のベガルタ仙台に加入。今季からはJ3のアスルクラロ沼津に在籍し、存在感を示している。

「今年は攻撃的な部分で、もう一度成長を見せていきたい」と意気込みを語った今シーズンは、3月6日に行われたルヴァンカップのJ2ベガルタ仙台戦で初出場。

1点リードを許す場面で登場した齋藤は、後半ロスタイムに濱託巳の逆転ゴールを演出し、前年に所属した“格上”にあたる相手から勝利を掴み取った。

「昨年よりも良いコンディションで試合に臨めている」と言う公式戦でも、今季は途中出場をメインに34試合に出場。

味方のチャンスメイクに徹する場面も多く見られる中、9月21日の琉球戦では華麗なパスワークで相手DF陣を崩したところを蹴り込み、今季初得点を奪うと、途中出場した11月10日のテゲバジャーロ宮崎戦でも得点をマークした。

「出場時間の割には攻撃のチャンスが作れていますが、一方では、FWとしてエゴイスティックに得点に執着していきたい気持ちもある。一番大切なのはチームが勝つことですけど、その中でも個人の数字が求められる難しさと向き合いながらのシーズンを過ごしています」

怪我や移籍決断も…。キャリアの転機となった2年間

 【インタビュー】アスルクラロ沼津・齋藤学が語る 故障を乗り越え、自分らしさを探し続けた6年間「もっとギラついてもいいのかなと思った」
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©azul claro

横浜F・マリノスのユースで育った齋藤は、2008年にリーグ戦初出場を果たすと、愛媛FCへのレンタル移籍を経て大きく成長を遂げ、日本代表にも選出。屈指の快速ドリブラーとしてその存在を知られることとなる。マリノスで過ごした最後の2シーズンは、斎藤にとってさまざまな形の試練と向き合う時間でもあった。

2016年にはチームの強化方針の違いなどにより、長年横浜F・マリノスを支えてきた中村俊輔が退団。この年に全試合フル出場を果たした中澤佑二の大幅な年俸減が伝えられるなど、混沌の渦中にあった。

齋藤も海外移籍を目指して交渉に臨んだものの、合意には至らず。チーム残留を決断し、背番号10と主将の座を引き受けることとなったが……。9月23日のヴァンフォーレ甲府戦で右膝の前十字靭帯を損傷。全治8ヶ月を言い渡されることとなった。

半年後にロシアワールドカップを控える難しい状況の中、齋藤は移籍を決断。クラブとの目指す方向性やさまざまな思いのすれ違いの末、8歳から在籍した“古巣”を後にすることとなった。

苦しくも「自分を大きくしてくれた」川崎フロンターレの3年間

 【インタビュー】アスルクラロ沼津・齋藤学が語る 故障を乗り越え、自分らしさを探し続けた6年間「もっとギラついてもいいのかなと思った」
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©azul claro

ロシアW杯を控えた2018年は、新天地の川崎フロンターレでスタートを切った。

前十字靭帯断裂は一般的に「復帰までに大体8〜10か月かかる」そうだが、トレーニングを重ねた右膝は「奇跡的な回復」を見せ、齋藤は約半年後の2018年4月、古巣の対横浜F・マリノス戦で戦線復帰を果たした。

電撃移籍の影響が色濃く残る試合でも安定したパフォーマンスを見せたが、試合翌日に右足を捻挫。

前ももの肉離れによってコンディションを落としてしまった齋藤は、一連の望みを託した日本代表入りを逃し、4年前に立つことが出来なかった夢の舞台に踏み入れることは叶わず。

この年、川崎フロンターレはリーグ連覇を成し遂げたが、齋藤は怪我の影響もあり、リーグ戦を16試合1得点に終わった。

「もし、自分が持ち味とするドリブルが出来なかった時、自分の何が活かせるのかを必死に考える時間でした」

前年(2017年)にポゼッションサッカーと細かなパスワークを武器に初のリーグ優勝を勝ち取ったチームの中で、「“異質”な存在だった」という齋藤は自身のプレイスタイルについて思い悩むこともあったという。

「鬼木監督は『1人でドリブル突破できるのは学の持ち味だから、どんどん外に開いて仕掛けていい』と言ってくださいましたが、右サイドはエウシーニョとアキさん(家長昭博)。左サイドには(車屋)紳太郎やノボリ(登里享平)と阿部(浩之)くんが培ってきた攻撃のスタイルがあって、DF陣が攻撃参加するためのスペースを空けている場面が多くありました。これまでのようにドリブルで切り込んでも良いのか。もしくは他のプレイスタイルを見出さないといけないのか。試合中のポジショニングや動きについても考える場面が増えました」

2019年には右膝の内側側副靭帯損傷を損傷。2020年はガンバ大阪戦(11月25日)でチームのJ1最速優勝を決める得点を奪ったものの、在籍した3年間は負傷する前の活躍を見せるほどは出来なかった。

「フロンターレでは不動のレギュラーとして毎試合出場できたわけではありませんでしたが、思うようなパフォーマンスが上がらない中で、どうすればチームに貢献できるのかを必死に考える時間だったと思います。当時はかつてのようなプレーが出来ない自分に対して苛立ちを感じたり、いろいろなものが心に突き刺さってきましたが、今では、その時の経験が自分を大きくしてくれたのではないかと思えるんです」


自分と同世代の選手たちが引退しつつある現実も…

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2024年の齋藤学は、J2昇格に向けて熾烈な戦いを続けたアスルクラロ沼津の一員として、33試合(22日時点)に出場し、チームを支えている。

試合の途中から起用される場面が目立っているが、FC琉球戦(9月21日)では華麗なパスワークから狙い澄ましたシュートを決め、今季初ゴールをマーク。テゲバジャーロ宮崎(11月10日)では途中出場ながらも、後半終了間際に同点に追いつくゴールを決めて健在ぶりを示した。

「もっとギラついてもいいんじゃないかと思うことがあるんですけど、それだと僕が起点になるプレーが減って、チームのバランスを崩してしまうかもしれない。チームが勝つために足りないところを補いつつも、得点やアシストを増やしていきたい。自分と同世代の選手たちが引退しつつある現実も見え隠れしますが、自分自身にさらに磨きをかけて、クラブと共に成長し、一緒に上を目指していけたら」と話すその言葉からはチームへの配慮がありながらも、今も衰えることがないゴールを追い求めるストライカーらしさも覗かせる。

「応援してくださる皆さんのためにも沼津をJ2 昇格に導きたいという思いでやってきました」と今季を振り返る齋藤だが、終盤の失速も影響し、残念ながらその目標にはあと一歩届かなかったが、幾多の試練を乗り越えてきた34歳のプレーにこれからも注目したい。

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