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【ネタバレ解説】現代の“南北戦争”を描いたディストピア映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』徹底考察

  • 2024.12.13

A24史上最大の制作費が投じられたディストピア・アクション、『シビル・ウォー アメリカ最後の日』。大統領選挙が差し迫るなか、アメリカの内戦を描くこの話題作が10月4日より公開された。

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監督・脚本を手がけたのは、『エクス・マキナ』(2014年)、『MEN 同じ顔の男たち』(2022年)のアレックス・ガーランド。主人公の戦場カメラマンをキルステン・ダンストが演じ、TVドラマ『ナルコス』のワグネル・モウラ、『ボーはおそれている』(2013年)のスティーブン・ヘンダーソン、『エイリアン:ロムルス』(2024年)のケイリー・スピーニーが脇を固める。

という訳で今回は、『シビル・ウォー アメリカ最後の日』についてネタバレ解説していきましょう。

映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(2024)あらすじ

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連邦政府から19の州が離脱し、政府軍とテキサス州とカリフォルニア州による西部軍(WF)との内戦に陥ったアメリカ。もはやワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。戦場カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)、ジャーナリストのジョエル(ヴァグネル・モウラ)、ニューヨーク・タイムズのベテラン記者サミー(スティーヴン・ヘンダーソン)、若手カメラマンのジェシー(ケイリー・スピーニー)の4人は、大統領の独占インタビューを敢行しようと、車で一路ホワイトハウスへと向かう。

※以下、映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のネタバレを含みます。

カリカチュアされた近未来のSF寓話

そもそもシビル・ウォー(Civil War)とは内戦という意味で、アメリカでは南北戦争(1861年〜1865年)を表す表現として使われる。当時アメリカでは、自由貿易 VS. 保護貿易、奴隷制度存置 VS. 奴隷制度廃止をめぐる対立によって、南軍と北軍による激しい戦いが繰り広げられた。本作はアメリカで4月12日に公開されたが、ちょうど163年前のこの日に南部軍がサムター要塞を砲撃。南北戦争が勃発した日を『シビル・ウォー アメリカ最後の日』公開日に選んだことからも、「分断化が進む現代アメリカの第二次南北戦争」を描いていることは明白だろう。

アレックス・ガーランドの父親は政治の風刺漫画家で、祖父は海外特派員。彼の血には、旺盛なジャーナリズム精神が宿っている。8月25日に丸の内ピカデリーで開催された監督来日プレミアでは、映画を通して伝えたいメッセージを問われて、「トランプを選出するな、トランプに投票するな」とはっきり答えていた。イギリス人監督の彼は、欧州連合を離脱するか・否かで国が真っ二つにわかれた経験がある(最終的には、ボリス・ジョンソン首相主導のもと欧州連合を離脱)。同じく分断化・分極化が進行するアメリカで、ドナルド・トランプのような唯我独尊型、独裁者タイプがリーダーになることの危惧を、アレックス・ガーランドはこの映画を通して伝えたかったのだろう。

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もちろん、ジャーナリズムの力が年々弱まっていることへの危機感もあった。本作の主人公にジャーナリストを配置したのも、ジャーナリズムによって抑制が効かない世界の恐怖を描く意図あったものと思われる。

「ジャーナリストには社会的な役割があり、腐敗した政府から人々を守る役割がある。私はずっと考えていた。もし今ウォーターゲート事件が起こったら、成功しただろうかと。ワシントン・ポスト紙の2人のジャーナリストは、悪党のニクソンを失脚させた。今でも同じことが起こるだろうか?おそらく、そのほとんどは明るみに出ないだろう」
(The Reel Roundupによるアレックス・ガーランドへのインタビューより抜粋)

とはいえ『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、現代のアメリカを正確に引き写したものというよりも、カリカチュアされた近未来の寓話として構築されている。

「未来のある不確定な時点を舞台としている。私なりのひねりを加えるには十分先のことだけど、現在私たちが直面している二極化の苦境をSF寓話として描いているんだ」
(テレグラフによるアレックス・ガーランドへのインタビューより抜粋)

思えば彼が2022年に発表した『MEN 同じ顔の男たち』でも、『スキャンダル』(2019年)や『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020年)といった作品とは異なる寓話的アプローチで、トキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)を描いていた。寓話という形式にのっとることで、ものごとの輪郭をはっきりと浮かび上がらせ、メッセージを直裁に伝えることができる。

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『シビル・ウォー アメリカ最後の日』もまた、『MEN 同じ顔の男たち』のような手法で社会問題をあぶりだす、アレックス・ガーランド節が炸裂する映画なのである。

情報を曖昧にすることで強まる、物語の寓話性

この映画では、政府に対する分離独立運動が激化し、テキサス州とカリフォルニア州による西部軍(WF)がワシントンD.C.に向かって進軍する、という設定になっている。テキサス州は共和党の支持層が強い“赤い州”であり、カリフォルニア州は民主党の支持層が強い“青い州”。つまり、政治信条が真逆な州が結託している。どちらかの党派性に与してしまうことで、メッセージが偏狭に伝わってしまうことを、アレックス・ガーランドは精妙に回避している。

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そのアプローチは、リーたちが旅の途中で出会う人々が、どの党派に属しているのかを決して明らかにしない演出にも顕著だ。武装したガソリンスタンドの男たち。農家に潜む狙撃者。民間人を大量虐殺する民兵。彼らが政府/WFなのか、共和党支持/民主党支持なのか、保守/リベラルなのかは判然としない。大統領が属している政党すらも示されない。情報を曖昧にすることで寓話性を強め、この物語が全ての人たちに向けられたものであることを頑強にしている。

ひとつだけはっきりしていることは、本作のアメリカ大統領が非常に権威的で、独裁的な人物であるということだ。彼が3期目に突入しているということは、最大2期8年という任期を何らかの方法によって無理やり延長しているということだし、14カ月にわたって一度も取材を受けていないということは、マスコミとの接触を避けるほどにデモクラシーとは程遠い圧政を敷いているということなのだろう。

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リーたちに「どんな種類のアメリカ人だ?」と尋ねる正体不明の民兵も、明白な人種差別主義者として登場する。彼は香港出身という理由だけでリーの同僚を撃ち殺し、白人至上主義を隠そうともしない。アレックス・ガーランドは党派性を曖昧にしつつ、独裁者・差別主義者の恐怖を植え付けていく。

ちなみに民兵を演じたジェシー・プレモンスは、もともと予定されていた俳優が降板したため、撮影の数日前にキャストに加わったんだとか。アレックス・ガーランドに推薦したのは、リー役のキルスティン・ダンスト。彼女は実生活でジェシー・プレモンスと結婚しており、ジェーン・カンピオン監督の『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021年)では夫婦役を演じている。

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『地獄の黙示録』的な構成、『時計じかけのオレンジ』的な寓話演出

筆者が『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を鑑賞して感じたのは、全体の構成がフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』とよく似ていることだ。

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、コントロール不能の独裁者と化したアメリカ大統領に会うために、リー一行がニューヨークからワシントンD.C.へと向かう、ある種のロードムービー。そして『地獄の黙示録』も、カンボジアのジャングルに独立王国を築いたカーツ大佐(マーロン・ブランド)を暗殺するため、ウィラード大尉(マーティン・シーン)一行がヌング川を遡って基地へと向かう物語だ。彼らは地獄めぐりの果てに、世界を支配する王と出会い、その死を目撃するのである。

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『シビル・ウォー アメリカ最後の日』のクライマックスは、首都を舞台に繰り広げられる真夜中の大攻防戦。西部軍(WF)のヘリコプターが国議会議事堂やリンカーン記念堂やワシントン記念塔を眼下に見下ろす一連のショットは、「ワルキューレの騎行」をBGMにして、キルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)を乗せたヘリコプターが森林地帯にナパーム弾を撃ち込む『地獄の黙示録』のシークエンスを思わせる。

だが、現実をよりカリカチュアさせて社会問題を描くというアレックス・ガーランドの寓話的演出は、スタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』(1972年)により近いのかもしれない。

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実際アレックス・ガーランドは、インタビューでこの作品について語っている。

「『時計じかけのオレンジ』は、常に現実により近かった。なぜならそれは、持てる者と持たざる者、体制側から見た暴力犯罪への恐怖、対抗措置とその機能が、反動的になりえることを語っていたからだ。その議論は、おそらくあの時代特有のものだったと思う。映画が公開された時点で、スタンリー・キューブリックは明らかにひどく怯えていた。“これは思ったよりも早く、深刻に現実のものになりつつある”とね」
(VULTUREによるアレックス・ガーランドへのインタビューより抜粋)

「思ったよりも早く、深刻に現実のものになりつつある」という意識は、おそらくアレックス・ガーランドも抱えていたことだろう。

続けて彼は、「映画製作者の意図と物語の受け止められ方には常に断絶があり、それ自体は決して悪いことではない」とも発言している。国家の断絶を描いた『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、作り手と受け手の断絶という要素も(意図的に)孕んでいるのだ。アレックス・ガーランドはそれを知り尽くしたうえで、真反対の意見がぶつかり合ったとしても、そこからコンセンサスは得られるだろうと信じている。だからこそ、安易な結論=クローズド・エンディングには逃避しない。

本作は、『地獄の黙示録』を彷彿とさせるロードムービー的構成によって“アメリカの分断”を描き、『時計じかけのオレンジ』を彷彿とさせる寓話的演出によって“観る者に思考を促す”のである。

印象的に使われる、バラエティーに富んだ楽曲たち

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『シビル・ウォー アメリカ最後の日』では、古いロックからヒップホップ、クリスマス・ソングに至るまで、バラエティーに富んだ楽曲が印象的に使われている。

映画の冒頭、リーがテレビの大統領の演説を見ている時に流れるのは、シルヴァー・アップルズの「Lovefingers」。そして、リー一行がワシントンD.C.を目指して車で出発する時に流れるのが、スーサイドの「Rocket USA」。どちらも陰鬱としたサイケデリック・ロックで、しかもニューヨーク出身のグループによる楽曲。ニューヨークからの旅立ちを、60年代・70年代のいかにもニューヨークっぽいアート・ロックで彩っているのである。

リーたちが西部軍(WF)による攻撃を取材するシーンで流れるのは、デ・ラ・ソウルの「Say No Go」。1989年にリリースされたアルバム「3 Feet High and Rising」に収録されているナンバーで、当時コカイン(クラック)がアメリカ全土に蔓延し、特に黒人居住区で暴力事件が頻発していたことが背景に歌われている。

Now let’s get right on down to the skit
A baby is brought into a world of pits
And if it could’ve talked that soon in the delivery room
It would’ve asked the nurse for a hit

さあ、早速本題に入ろう
赤ん坊がこの世に生み落とされた
もし赤ん坊が話せるなら
産室で看護師にクスリをせがんだだろう

この世に生を受けたばかりの赤ん坊でさえもコカインを欲しがる、狂った世界。リーたちは目撃した現実を写真に収めるしかないが、そのやるせない想いは、劇中に流れる音楽によって表象されている。

命乞いする大統領をあっさり銃殺し、皆で記念写真を撮影するエンディングで流れるのは、スーサイドの「Dream Baby Dream」。同じリフがひたすら反復される、トリッピーな一曲だ。

Dream baby dream
Dream baby dream
Dream baby dream
Dream baby dream
Forever

夢見るベイビー 夢見る
夢見るベイビー 夢見る
夢見るベイビー 夢見る
夢見るベイビー 夢見る
永遠に

この映画で描かれていることは単なる夢で終わるのか、それとも現実に起こってしまうのか。願わくは、『シビル・ウォー アメリカ最後の日』が予見的な作品にならないことを祈るのみだ。

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※2024年10月10日時点の情報です。

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