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お茶の聖人・千利休のふるさと「大阪・堺」でお茶と老舗和菓子をおいしく学ぶ「【新連載】上方食文化研究會・Wあさこの大人の社会見学vol.1」

  • 2024.12.25

2年前に40歳で結婚するまで、仕事を言い訳に全然お料理をしてこなかった私。しかも東京生まれの東京育ち。上方(関西)のお料理、食べる専門で、作れない! だし巻き卵も巻いたことない! ……そんなわけで、以前お仕事でお世話になった大阪の人気料理家・吉田麻子先生に泣きつきました。

予約が取れないことで知られる麻子先生のお教室で超初歩からお料理を教えていただきつつ、先生が主宰されている「上方食文化研究會」の末席に加えていただき、関西の食文化を学ぶことに。

「あさこちゃん、まずは堺いこ!」という麻子先生に連れられて、千家茶道の祖・千利休のふるさと、大阪・堺へ。Wあさこでお茶屋さんと老舗の和菓子屋さんを訪ね、楽しくお茶しながらおいしく学んできました。

 

堺の老舗茶商「つぼ市製茶本舗」で目からウロコのお茶ばなし

幕末の嘉永三年(1850年)、堺に創業した「つぼ市製茶本舗」さん。全国にお茶を卸しているほか、堺となんばにある「茶寮 つぼ市製茶本舗」では、喫茶を楽しむことができ、オリジナルのお茶が取り揃えられています。そんなつぼ市製茶の5代目・谷本順一さんに、お茶の歴史や裏話をたっぷりうかがいました。

摂津(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)・和泉(現在の大阪府南西部)の“境”であり、奈良に都が置かれていたころから海の玄関口でもあった堺は、国内だけでなく海外からも人とモノが集まり、とても栄えていたそう。

お金のあるところ、文化も栄えるもの。堺の豪商たちは、海に面した西側以外の三方を濠で囲んで防御する「環濠都市」を形成し、ハイカルチャーを生み出します。そのひとつが、お茶。今でこそ誰もがお茶を楽しめますが、それは江戸時代以降の話。

堺の繁栄が“黄金の日々”とたとえられるほどのピークを迎えた中世、つまり平安時代後期(11世紀後半)から戦国時代(16世紀)頃のお茶は、日本中のほとんど誰も飲んだことがない高級品でした。でも堺では、その頃の茶道具が出土しているそうですから、飲んでたんですね、お茶。

日本人なら、お茶を飲むのが当たり前だと思っていました……。お茶が飲めなかった中世日本の大多数の人は何を飲んでたんでしょう!?

つぼ市さんの茶寮では、お茶をたっぷり使ったスイーツも楽しめます。四季折々のパフェに、夏はかき氷。現代人でよかったです。

夏に義母・年上の義妹・姪と私の4人で女子会を開催し、つぼ市さんのなんばのお店でお茶しました。とにかく、お茶の味が濃い! 食べるお茶です。個人的には、ほうじ茶スイーツ推しです。

堺商人はお茶がお好き そのスターこそが千利休

恥ずかしながら、ちゃんと茶の湯を習ったことがない私。それでもお茶といえば表千家や裏千家などがあり、その祖が千利休さんであるということぐらいは知っています。堺ご出身というのも習っているはず。改めて、そうです。利休さんは、京都の人ではないんです。

物流の要であり、一方を海、ほかの三方に濠をめぐらせた中世日本のお金持ち都市・堺の豪商たちは全国に先駆けてお茶を楽しんでいました。そんなバックボーンがあってこその、利休さんということなんですね。

ちなみに、信長、秀吉など天下統一を目指す武将たちが拠点としたのも堺だったそうです。あちこちでドンパチ(南蛮渡来の火縄銃をいち早く国内製造したのも堺!)やっては、戦利品を床の間にかけて茶会を開いていたとか。当時の茶会は、おもてなしの場というより権力アピールの場だったのかもしれませんね。

今私たちがお茶といわれて思い浮かべる「侘び・寂び」の源流とされているのが、村田珠光(むらたじゅこう)さん。京都・大徳寺真珠庵でかの有名な一休禅師(いわゆる一休さんです)に禅を学び「仏法も茶の湯のなかにあり」という教えを受け、「茶禅一味(茶も禅も同じ)」という境地に至ったのだといいます。庵を結び、お茶を供したことから「草庵の茶」ともいわれるそうです。

珠光さんとバトンタッチするように現れたのが、武野紹鴎(たけのじょうおう)さん。堺の豪商で、当時の最高の文化人であった三条西実隆さんとも交流を持つ文化人にして、禅宗のお寺である大徳寺で出家しています。それまで日用品だった国産のうつわを「用の美」として取り入れるなど、お茶文化をブラッシュアップしていきます。

そのお弟子さんが、千利休さん! 堺の町衆が育んだ茶文化に、当時最先端の「禅」を取り入れた、いわばミックスカルチャーを微に入り細に入り、美しくととのえていった、というところでしょうか。

堺でお茶のあれこれをうかがううちに、伝説の茶人たちが歴史の教科書を飛び出して、確かにここで生き、それまでにないお茶の文化を生み出したんだなぁと、リアルに感じられました。

つぼ市さんのお店先にずらりと並んでいるお茶も、昔からお茶を楽しんできた堺のまちの人々と、お茶の道の偉人たちからの贈り物のように思えてきます。

つぼ市さんオリジナルデザインのフィルターインボトルがカラフルで可愛かったです。私もフィルターインボトル、愛用しています(スクエアタイプですが)。水出しでいろいろなお茶を楽しめるので、便利ですよね。

いつでもおいしいお茶を手軽に楽しめるって、幸せ!

秀吉が名付け親! 堺でしか味わえない幻の甘味「かん袋」のくるみ餅

関西はもとより、全国の和菓子好きがこの甘味をお目当てに堺を訪れるほどの人気を誇る「かん袋」さんのくるみ餅。添加物や保存料などは一切使われておらず、消費期限は当日限りです。それもあって百貨店などの催事には出店されないそうで、当日渡せない人にはお土産にもできない……ということは、このお店にうかがって味わうしかない! というわけ。

まったりとした味わいの餡のレシピは門外不出で、材料をうかがってもご主人はニコニコされるばかり……。実際にいただいてみると、クルミの味はしませんでした。豆の風味がするような? 気になる方は、ぜひ堺へ。

創業は鎌倉時代。えっ。鎌倉時代!? 二度見ならぬ、二度聞きしてしまった当代のご主人は、なんと27代目。和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりだそうです。

「かん袋」は商号で、ご先祖様が豊臣秀吉が大坂城築城の際の工事を手伝い、瓦を紙袋(関西弁で音読すると“かんぶくろ”)のように軽々と屋根の上に投げ上げて運んだために、その腕の強さを称え「以後かん袋と名付けよ」と命じたのが由来だとか。お餅つきで培った筋力がすごかったんでしょうか。

ちなみに、くるみ餅の“くるみ”は、餅を餡で“包む(くるむ)”から来ているそうです。

くるみ餅が現在のような形になったのは、室町時代の中頃だろうとご主人。伝統を守りながらも、時代に合わせてレシピの改良を重ねているそうです。明治時代には、氷が簡単に作れるようになり「氷くるみ餅」を開発。今でも年中大人気で、こちらをオーダーするお客さんの方が多いとのこと。

通常のくるみ餅は、持ち帰りも可能(ですが、消費期限は当日です)。売り切れ御免で、閉店時間より前に売り切れてしまうこともしばしばだそうです。Wあさこは13時ごろに訪れましたが、それほど混雑はしておらず、くるみ餅も氷くるみ餅も無事いただけました。

この記事を書いた人

編集者 ふなつあさこ

ふなつあさこ

生まれも育ちも東京ながら、幼少の頃より関西(とくに奈良)に憧れ、奈良女子大学に進学。卒業後、宝島社にて編集職に就き『LOVE!京都』はじめ関西ブランドのムックなどを手がける。2022年、結婚を機に奈良へ“Nターン”。現在はフリーランスの編集者として奈良と東京を行き来しながら働きつつ、ほんのり梵妻業もこなす日々。

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