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自分を守銭奴だと思っていた私の最終決定権はお金ではなかった

  • 2024.12.6

私は自分を守銭奴だと思っていた。小さな頃からもらったお年玉は1円残さず大切に貯金したし、大学生になり、1人暮らしを始めた今では、家計簿をつけたり、溜まっていく貯金額を見たり、拙い知識で将来のために投資したりするのが楽しかった。

やりがいが数値として具現化しているみたいだったから。

給料は自分の1時間の価値や、スキルの価値をそのまま反映しているようで、稼げるということは、自分に価値があると言われているようで嬉しかったから。

そして、そのお金で自立して暮らせるのが私は嬉しかったのだ。

配偶者の収入がなければ生きていけない大人にはなりたくなかったし、教育費を出してもらっている上、生活費まで親にずっと養ってもらいたくもなかった。そんな未来を想像するのが怖かった。
でも、周りにお金にあまり執着しているようにみられると良い気はしない。それに、明確な使い道の決まっていないお金を貯めるのが楽しい時点で、そして、周りの同年代の何倍かの貯金をしている時点で、私は多かれ少なかれ守銭奴なのだろうと、半分戒めの気持ちを込めて思っていた。

◎ ◎

でも、実際、そこまでではないのかもしれないと最近思うようになった。お金が大事というのは変わってないけれど、私にはお金より大切にしたいものもあるのだとふと気がついたのだ。

きっかけは、恋人との別れだった。彼は、医学部生で、しかも実家も太い。私を溺愛してくれてもいる。このままいけば、将来、お金に余裕のある暮らしができるというのは想像に難くなかった。それでも、私は彼の言動のいくつかに目をつぶることができなかった。

私には、裕福であることよりも私の大切にしていることや努力していることを蔑ろにしたり、雑に扱ったりしないでいてくれることの方が大切だった。

別に私と同じ温度感で話を聞いてほしいわけじゃない。ただ、よく知りもしないのに、私が大切にしていることを否定したり、簡単に、大変なら辞めればとか言ったりされるのが、私は許せなかった。

◎ ◎

思えば、今までも私の最終決定権を握っていたのはお金ではなく、成長や人間関係だった。
長期インターンを辞めたのは、私が学業の隙間に費やせる時間内では、これ以上成長が見込めないと判断したからだった。家庭教師や塾講師を始めたのは、自分が高校生の時に一番努力をしたと自信を持って言えることを役立てたかったからだった。

私が薬剤師を目指すのは、人の当たり前を守れる人になりたいと思うからだし、エッセイを書くのは、私が理系だからとかいう言い訳で好きなことを諦めたくないからだ。

私はお金が大切だと思っている。それは私の価値を具現化してくれるし、お金がなければできないことも世の中たくさんあるから。でも、それが全てではない。

周りがどう思うかは知らないが、こう見えて、私にはお金よりもっと大切なものがある。私にとってのお金の価値が下がるわけではない。それより大切なものがあったと、自分でも意識していなかったことに気がついたのだ。

■なつめの抹茶のプロフィール
料理と茶道が好きな女子大生。
いわゆるリケジョだけど、言葉を紡ぐこと、紡がれた言葉を読み解くことも大好きです。

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