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“運命の人”に出会ったとき、それを見分ける方法。映画のような恋の始まりは実在するのだろうか

  • 2024.12.4
Street Style - September 2024 - New York Fashion Week

出会った日を振り返ってみると、会って2時間ほどで「運命の人だ」と感じていた。私たちは晩春の日差しを浴びながら、一緒に何かを飲んでいたはず。1990年代のSF音楽、あるいはサイコパスについて話していたとき、自分が正しい人と正しい場所にいるという圧倒的な感覚に襲われ、「この人が運命の相手だ」と半分冗談で、でも半分本気で思ったのを覚えている。あれから6年、ほとんど何も変わらないまま、私たちは来年結婚する。

もちろんこれには2つの見方がある。ひとつはどんな理由であれ、誰かと出会って運命を感じることがあるということだ。映画『(500)日のサマー』のラストで、前のパートナーとはいつも感情的になれなかったサマーが、突然誰かと結婚するシーンがある。もしかしたら相性やライフステージ、めぐり合わせ、そして2人が適切なタイミングで出会うことで歯車が動き出すのかもしれない。疑いや後悔はなく、ただこれが運命だとわかるのだ。

もうひとつの見方をすれば、お互いにロマンチストで、結果的に二人の関係がうまくいっている場合にそう感じているだけの可能性もある。考えてみてほしい、誰かとデートをしていて一瞬だけでも「運命の相手なのかもしれない」と思ったことが何度あるだろうか。手が触れ合い、相手の髪が自分の額に当たったとき、「ああ、私たちは運命だ」と感じる。しかしその後、何度かデートすると、相手の態度や言動、些細なことに嫌悪感を覚え、最初の感情が完全に誤解だったことに気がつく。猛スピードで好きになり、一時的に妄想しすぎただけなのだ。

『(500)日のサマー』映画内シーンより
(500) DAYS OF SUMMER, (aka 500 DAYS OF SUMMER), from left: Zooey Deschanel, Joseph Gordon-Levitt, 20『(500)日のサマー』映画内シーンより

また、誰かに出会ってすぐに運命を感じるというのは、長期的な関係性を築くのにかかる労力を軽視している。例えば、すぐに相手に夢中になることはできるけれど、3カ月から6カ月後には喧嘩やコミュニケーションの欠如に向き合う必要があるだろう。一緒に暮らしていてどれだけ愛し合っていたとしても、それを常にきちんと表現できるとは限らない。両者にとってちょうどいいリズムを見つけるには何年もかかり、場合によってはセラピーが必要なことも。どちらかが相手を失望させるかもしれないし、乗り越えられないかもしれない。タイミングや状況によって上手くいかないことももちろんある。

さらに、運命の相手がいるはずだと思うこと自体がときに非現実的な期待を生み、健全な関係を損なうことも。それに備えて私の友人の一人は、今幸せかどうかに関係なく、万が一相手が運命の人でないケースをいつも想定していた。ほかにも、完全にお互いに夢中にならない限り、恋愛関係を持つ相手とは一定の距離を置くことを好む友人もいる。運命ならすぐわかるはずだという考えは常に役立つとは限らない。私たちの直感は間違った信号を送ったり、不安を愛と取り違えたり、現実と一致しないありえない妄想を作り上げることもある。

そしてもし誰かに会ってすぐに「運命だ」と思っても、相手が同じように感じているかはわからない。私が16歳の頃、ある人がとても素敵で息ができないほど夢中だったのを覚えている。寒い日の海のような灰緑色の瞳に惹かれ、私たちが一緒に暮らしながら野菜を育て、ともに大人になることを漠然と想像していた。しかし実際には私たちはまったく相容れなかった。相手が私を恋愛対象として見ておらず、運命の人ではなくただの片思いだったのだ。

Street Style - Paris Fashion Week - Menswear Spring/Summer 2024 : Day Four

最近パートナーに、私に恋に落ちたのはいつかと聞いてみた。すると、初めて出会ってから数カ月経ったある朝、私が二人分の朝食を作ったときだと言う。卵をスクランブルエッグにし、ステーキに胡椒を振り、レコードをかけたその日、外は明るく霜が降りていた。「毎朝こうだったらいいのに」と思ったそうだ。愛とは、ちょうどいい量の水と光を与えられた植物のように、ゆっくりと自発的に育っていくものなのかもしれない。その方がずっと健全だと私は思う。運命だったからではなく、時間をかけてお互いに努力したからともにいるのだ。

頭では、運命だからという理由でパートナーと一緒にいるのではないとわかっている。でもだからといって、運命を感じなかったわけではない。たとえ一瞬でも、世界が私たちのために回っているような感覚を楽しんだ瞬間があった。

本当は私たちは、運命についてきっと何も知らない。すべてが混沌とし、それに動揺させられている。人生で起きるのは驚くようなサプライズばかり。だからこそ、その意味を掴もうとしてしがみつきたくなる。予測できないことばかりだからこそ、「運命だ」とわかる、そんな感覚を大切にしてみてもいいのかもしれない。

Text: Daisy Jones Adaptation: Nanami Kobayashi

From: VOGUE UK

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