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【連載】大型ライブフェスティバルでのラッキーな出来事/onodela「アナーキーアイドル」#4 アイドルを脱退して初めて、ステージに上がった日の話

  • 2024.12.4
浴衣姿で会場にいるお客様に向けて手を振る私 本人提供写真
浴衣姿で会場にいるお客様に向けて手を振る私 本人提供写真

【写真】TVアニメ「ポプテピピック」のポプ子のコスプレをしてDJにチャレンジしたイベント 本人提供写真

2019年7月に、ステージ上でいじめを告発した動画がバズり、アイドルを引退した「小野寺ポプコ」。その後、早稲田大学を卒業、カリフォルニア大学バークレー校へ留学し、卒業生代表としてスピーチをしたことも話題だ。そして、現在はonodelaとして活動している。物議を醸したあの日から一体どんな未来に繋がっていったのか、自身の言葉で書き綴るエッセイ「アナーキーアイドル」。連載第4回は、「アイドルを脱退して初めて、ステージに上がった日の話」についてお届けします。

#4 アイドルを脱退して初めて、ステージに上がった日の話

路線変更した後は、小野寺ポプコではなく、DJ Onodela名義で活動していた。この名前で最初に出演したのは、某アイドルグループのメンバーの生誕祭で、お昼からの時間帯はDJが回し、夜になったらアイドルがライブ出演する祭りのようなイベントだった。

自分なりのブラックジョークで、「ポプテピピック」のポプ子のコスプレをしてDJブースに臨んだ。短い時間でDJに必要なスキルを披露するには、アドリブ一切なし、流す曲の順番や繋ぎ方から煽りまで、全て丸暗記というストラテジーで挑もうとした。臨場感を楽しむ現場でこの丸暗記スタイルは本末転倒感だけど、無事初披露できて心安らかなり。

続いては、特典会。来てくれたファンが1人だけだった。その方から容姿や問題行為までたくさん褒められて自分を全肯定してくれる人間が存在していることに驚いた。たまたまいた仲のいい別グループのチェキスタッフがツーショットチェキを一枚撮ってくれた後、お願いされてもう一枚を追加した。アイドルではなくDJというステータスなので、特に料金を戴かなかった。「よーし、この方を1人目のファンにするぞー」と上手くファンサービスできたと思ったものの、二度とお会いすることはなかった。人の心を掴むことがいかに難しいか痛感した。

アイドルの現場には”動員”という集客の数を表す用語があり、その日の動員はこのファンの方の「1」だった。友達が何人か来てくれたけど、関係者枠で通したので動員には計上されない。動員の数x500円のチケットバックを貰えるシステムなので、DJ初日の給料は500円であった。

最初から芸能活動に利益が出ることを期待していなかったため、そんなことを全く気にしていない。逆にアイドルしていた時の事務所が給料を払ってくれなかったため、初めての芸能収入でめでたい。晴れてDJデビューできたことを祝うべく、来てくれた友達と六本木ヒルズのシュラスコ店でワイワイ打ち上げをした。500円の給料が5000円の肉によって無事成仏した。

このイベントのおかげで主催者であるグループのメンバーや運営の方と仲良くなり、その後もお世話になる機会がたくさんあった。なによりも規模感があるおしゃれなクラブでDJデビューできたことがうれしく、箱自体が想い出となった。ちなみに再びこの始まりの場所を見かけたのは、その2年後のコロナ禍の中。風の噂を聞き、ネットの海にアップされていた乱交もののポルノの舞台で使われたのを見かけて、爆笑した。けど、コロナ禍が経済にダメージを与えた故なのかなと考えると気持ちが淡い切なさに変わった。

DJデビューの次にさらに嬉しいことが続き、大阪造船所アイドルフェスに出演することになった。マネジャーがいなかったため1人で大阪に行き、現地の友人に1日マネジャーとして手伝ってもらった。夏の野外音楽フェスということなので、浴衣で出演したく現地の着物屋で予約を入れた。友人までもなぜか格好を合わせてくれ、家から浴衣を着て、来てくれた。グリコの看板下で記念撮影をしたら、どうみてもふらふら遊んでいる観光客のようだった。常識より遊び心を優先したことは重々承知しながら、そのまま会場入りした。会場の方に「ここで浴衣デートしてんじゃねーよ」と突っ込まれないかとても心配した。

大阪での動員は0だった。その上、DJ機器が古かったため、日本語の曲名が非対応で文字化けして、音を流さないと何の曲かわからなかった。そのせいで繋ぎがとても不自然になってしまって、0.5秒ぐらい音が止まったこともあった。けれど、優しい参加者たちが知っている曲が流れている限り、オタ芸をたくさん打ってくれたから盛り上がり続けた。

これをきっかけに、DJ機器に差し込むUSBに入れる曲のタイトルはローマ字に統一すべきだと学んだ。当時は経験が浅すぎた。2回目のDJ出演が大型フェスなのは助長抜苗(じょちょうはつびょう)かもしれない。ステージを降りてすぐに、主催者の方にたくさん謝りにいった。重大なミスだと思い自分をたくさん責めていたが、あっさり「いいよ」と励ましてくれた。

着物屋が閉まる前に浴衣を返却しなければならないため、午後の出演が終わったら友人と共に一旦郊外にある会場から梅田に戻った。夕方になると友人が前から決まっていた用事があるからと、先に帰ることになり、私は特典会のために再び会場に向かった。予想はしていたがやはり動員0はつらかった。自分のために来てくれる人が1人もいないのに、特典会に出る必要があるのだろうか。嫌々駅に向かう道中で、「ぶっちすれば?」と友人が冗談を交えながらいじってきた。「するわけないじゃん!行ってきまーす」とバイバイしてお別れして、地下鉄に乗った。全く知らない線路の上を走る車両の中で急に一人なって、気づいたら不安と寂しさに襲われて目がうるうるしてきた。

でも1人もファンがいない割に、自分からたくさんの人に声をかけ、私のことを知ってもらえるように努力した。このフェス以来、大阪には行けていないが、いまでもあの日に知り合ったファンの方がネット上でエールを送ってくれて、感慨無量。演者としての義務だが、その日遅くまで、特典会にいてよかったと言える。

特典会が終わってから、新大阪駅まで結構時間がかかるため、もう新幹線の終電に間に合わないことに気づいた。乗ったことのない夜行バスも調べたら、どこも満席だった。行く果てがなく、仕方なくSNSで「東京に帰れない困った(泣)」とつぶやいたら、前回デビューを遂げたライブの主催者グループもこのイベントにゲスト出演していて、「よかったらうちらの車で一緒に東京帰らないか?」とDMをくれた。

「こんなラッキーなことあるの!?」と喜びながらすぐに「本当にいいですか?」と返信し、心斎橋で合流した。1日を通して、ライブや特典会といったハードスケジュールだったのに、「まだまだ大阪観光するぞ」なんていうもんだから、グループのメンバーと若いスタッフたちの体力に感服した。歳が近いメンバーたちと慎重に言葉を選んでぎこちない雑談をしながら、かわいくてオーラが違うなと密かに感じていた。それだけではなく、不思議ちゃんコンセプトのグループだけれど、メンバーはおとなしい人ばかりだけど、しっかり者だった。若い男性のスタッフまで「メンズアイドルになる!」と目を輝かせて言っていて、すごい活気を感じた。

深夜2時頃にやっとミニバンに乗り、東京へ出発した。運転できないから交代できないことに申し訳なさを感じながら、最終的に寝落ちしてしまった。翌日の朝にやっと都内に着き、みんなそれぞれの電車に乗り換えた。これで、昨日まで赤の他人だったのに、不思議な縁で仲良くなったアイドルグループと共に長い旅を終えた。

今まではファンとして、知らないアイドルを一つずつ覚えてきたが、同業者のように近くで認知しあって、関係を築いたことが初めての経験だった。これがとても新鮮で、また違う角度からアイドル文化とこの仕事の魅力を感じることができた。ファンとして眺めていたらきっと、キラキラで眩しいと感じただろう。私にとってアイドルは儚いって思っていたけど、その裏では、実は人間の逞しさがある。そんな生命力に強く惹かれ、その後、有言実行してメンズアイドルになれたスタッフさんも含め、このグループにいたメンバーたちを今でも遠くから見守っている。

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