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石原裕次郎主演5作品を5夜連続放送 妻・石原まき子から直筆の手紙も到着「裕次郎さんにとって映画製作は青春だった」

  • 2024.12.4
「富士山頂」より (C) 石原音楽出版社
「富士山頂」より (C) 石原音楽出版社

【写真】石原裕次郎をそばで支え続けた妻・石原まき子直筆の手紙

BS松竹東急(全国無料放送・BS260ch)の放送枠「よる8銀座シネマ」と「土曜ゴールデンシアター」では、12月17日(火)より、「生誕90年 永遠の挑戦者 石原裕次郎特集」と題して石原裕次郎主演の5作品を5夜連続放送。石原プロモーションの作品を一挙放送するのは史上初となる。また本特集にあたり、石原裕次郎の妻で石原プロモーションの元会長・石原まき子が、当時の想いなどを綴った直筆の手紙も公開された。

富士山レーダー設置に情熱を燃やす「富士山頂」

12月17日(火)夜8時からは「富士山頂」を放送する。富士山頂にレーダーを取り付ければ、日本列島の南方800km先の台風が察知できるという。しかし、こんな標高のある過酷な環境にレーダーを設置することに前例などない。気象庁測器課長の葛木(芦田伸介)は台風の被害を少しでも減らすべく、富士山レーダー設置に情熱を燃やしていた。大蔵省へ歩を運ぶこと3年、葛木の夢は実を結ぶこととなった。三菱電機技術部員、梅原(石原裕次郎)、大成建設の伊石(山崎努)とともに、建設予算2億4千万円の工事が始まったが、極寒、高山病と作業は難航する――。

12月18日(水)夜8時からは「ある兵士の賭け」を放送。フリーの報道カメラマンである北林宏(石原裕次郎)は「星条旗紙」に掲載された広告を見て、激しい怒りを覚える。内容は「米兵士アレン大尉が座間から別府までの1300キロを2週間で歩けるか賭けをしてほしい。成功すれば、掛け金を別府の孤児院に寄付する」というものだった。しかし北林は、朝鮮戦争でアレンが市民夫婦を誤って射殺した現場を目撃しており、孤児を作り出した人間に孤児院への寄付などする資格はないといい、本人に歩くことをやめさせようとした。その後、アレンは賭けに勝ち、孤児院の改築工事が始まったが――。

12月19日(木)夜8時からは「甦える大地」を放送。寛保・弘化の利根川大洪水や度重なる水害から鹿島の農漁民を救うため、水戸の郷士・中館広之助(渡哲也)は住民を集め治水工事に励んだが失敗。中館は自殺し、狂人と呼ばれた。数百年後。茨城県知事岩下三雄を中心に鹿島開発の気運が盛り上り、開発職員で熱血漢・植松一也(石原裕次郎)は、建設省の辣腕家・野田鋭介(三國連太郎)を動かし、鹿島開発がスタートした。しかし農漁民の土地への執着は開発工事を進める大きな壁となり、土地買収は困難を極めた。気の強い教師・添島美奈子(司葉子)は工事に反対をしていたが、次第に植松を理解するようになり――。

「ある兵士の賭け」より (C) 石原音楽出版社
「ある兵士の賭け」より (C) 石原音楽出版社

世界中を渡り歩きながらレースに参戦する「栄光への5000キロ」

12月20日(金)夜7時からは「栄光への5000キロ」を放送。世界中を渡り歩きながらレースに参戦している五代高行(石原裕次郎)。モンテカルロ・ラリーに参加するが、途中クラッシュしてしまいナビゲーターを亡くす。車のメカニックを担当していたケニア人・ジュマは整備不良が事故の原因であると自らを責め、チームから忽然と姿を消してしまった。五代を看病してくれていた恋人の優子(浅丘ルリ子)もまた、彼のもとから去ろうとしていた。自動車レースこそが最大の生き甲斐だった五代は、日産自動車常務の高瀬(三船敏郎)からの打診で、サファリ・ラリーへの参加を決意。レース直前、行方不明となっていたジュマと再会した五代は彼をナビゲーターに指名しラリーに挑む。ゴール地点には、パリに向かったはずの優子の姿があった――。

12月21日(土)夜9時からは「黒部の太陽」を放送。関西電力は、黒部川上流に発電所を建設するため、太田垣社長総指揮の下、社運をかけて黒四ダムの工事を行うことになった。岩岡剛(石原裕次郎)はトンネルを掘るためにどんな犠牲も省みない父に反抗し、家を出て設計技師となっていたが、工事の現場を訪れた剛は、責任者の北川(三船敏郎)の熱意にほだされ、体の弱くなった父のかわりにトンネル掘りの指揮を執る。しかし工事が進むにつれて犠牲者は増え、山崩れと大量の水がトンネルを襲い、剛らはダム工事の難しさを痛感する。やがて、莫大な資金の投入と技術陣の科学的な処置の甲斐があり難所を突破。剛は北川の娘・由紀と結婚。翌年2月、北アルプスを抜いてトンネルが開通する。その瞬間を躍り上って喜ぶ労務者たちの中で、北川は由紀の妹、娘・牧子の死を知らせる電報が届き、激しく慟哭した。数年後、彼は完成したダムの堂々たる姿に無限の感動を覚える――。

「甦える大地」より (C) 石原音楽出版社
「甦える大地」より (C) 石原音楽出版社
石原裕次郎と妻・石原まき子 (C) 石原音楽出版社
石原裕次郎と妻・石原まき子 (C) 石原音楽出版社

石原まき子の手紙(抜粋)

この度、「生誕90年 永遠の挑戦者 石原裕次郎特集」で石原プロ制作の映画が5夜連続で放送されると伺いまして、今から本当に楽しみでなりません。

裕次郎さんにとって映画製作は青春だったと思います。病気になっても、辛くても、「いつか復帰して映画を撮る!」とずっと話していて、製作への情熱がなくなることはありませんでした。

そのような裕次郎さんの熱意が伝わってくる映画の一つが「黒部の太陽」だと思います。撮影中にトンネル工事の出水シーンで大きな事故が起きてしまって、裕次郎さんは右手の親指を骨折する大怪我をしました。

私が病室に駆けつけた時、「誰も死ななくて…俺だけで良かったよ」と痛さをこらえながら安心した様子で話をしていたこと、今でもはっきりと覚えております。

その時に撮影された映像がそのまま映画に使われておりますので、CGがない時代での出水シーンは、迫力が凄くて注目していただきたいと思います。

いろんなエピソードを懐かしみながら、私も石原プロ作品を拝見させていただきます。裕次郎さんをご存じない方も、この機会に愛され続けている映画をぜひご覧ください。どうぞよろしくお願い致します。

※山崎努の崎は正しくは「たつさき」

石原まき子 ※提供画像
石原まき子 ※提供画像
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