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大人になり憧れの純度が下がっても、やっぱり東京への執着は消えない

  • 2024.12.4

子どもの頃の私は、常日頃思っていた。

「東京に生まれたら、人生はもっと楽しかった」

飛行機が必須なくらい東京から遠い田舎で学生をしていた私が、どうしてこう考えたのか。
それはとても簡単で、東京は自分の願いをなんでも叶えてくれる場所だと信じていたからだった。

◎ ◎

東京に最初に憧れを持ったのは、小学生の時だった。
私が大好きなアイドルはみんな東京に住んでいる(と思っていた)。
東京に住んでいる人は、私なんかよりずっと彼らに会うチャンスがある。スタジオ収録で来ている観覧のお客さんはみんな東京の人だ。
そう思って、テレビ越しに東京を羨んでいた。

そのアイドルのコンサートが地元で開催されると知り、人生で初めてコンサートに行ったのは小学5年生の時だった。小学5年生にして、生のライブ体験に魅了された。
しかし、中学生にもなれば、地方でコンサートを行う難しさを知ることになる。
知名度や人気度を考慮して「このアーティストはまだ地元には来てくれないだろう」なんて考えてしまう。悲しいことに、そんな予想ほどよく当たる。だから、年に1度でもアーティストが来てくれるとありがたかった。

けれど、東京は違う。何かイベントを行うなら、「東京」。エンタメで溢れかえり、楽しいでいっぱいの場所だ。私の年に1回の楽しいを、東京は何倍にしてくれるのだろうと想像していた。東京の街の名前を聞くたびに、胸がワクワクするような感覚があった。

◎ ◎

けれども、自分の中で「上京」という言葉は全くぴんとこなかった。なんとなく、自分は一生地元にいるんだと思っていた。だから、中学の修学旅行で見た、フジテレビもお台場の景色も全部これが最初で最後だと思って目に焼き付けた。

そんな私は今、東京に住んでいる。
きっかけは大学進学だった。
地元では学びたいことが学べないとわかり、自分の興味を諦めて地元の大学を数校受けるつもりだった。そんな中、記念受験で東京の大学を1校受けた。模試でもE判定を出し続けていたので、はなから期待していなかった。その大学に合格したのだ。
そこで、私の人生は一変した。
幼い頃、テレビの中にあった憧れの場所に住むことになったのだった。修学旅行が最初で最後だと思っていたのに。

でも、あの頃の私が今の私をみたらきっと複雑な顔をするだろう。
まず、大好きだったあのアイドルは活動休止中だ。
想像すらしなかった新型ウイルスのせいで、上京1、2年目はろくに外に遊びにも行けず。
そうこうして部屋にこもっているうち、環境の変化からのストレスで病気になり。
誰よりも東京に憧れていた私より、なんとなくの成り行きで東京に来た誰かの方がずっと楽しそうだった。

◎ ◎

それでも、私の東京への執着は消えない。
外に出られるようになってしまうと、東京はすごい街だということを思い知る。
見たいものは近くに、会いたい人にはすぐに会えてしまう。東京は地元よりも何倍も楽しいという事実はやっぱり消えない。なんでもではない。けれど、幼い頃の私の願いをすぐに叶えてくれる。

だからこそ、「こんなはずじゃない」と「やっぱり東京って街はすごい」を行き来する幼い私の顔が思い浮かぶ。

憧れの場所は、憧れの場所のまま。
けれど、そこに少し詳しくなった私は純度100%の憧れを失った。
幼い頃、夢見たものは嘘じゃない。解像度が低いだけだった。
「憧れ」の先にあったもの。
それは解像度が高くなった代わりに、純度が62%くらいに下がった憧れだった。

■はるさめのプロフィール
偏食がなおらずに大人になりつつあります。

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