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ファンサを求めてしまう自分がこわい、だけどオタクはやめられない

  • 2024.12.4

わたしが一番こわいもの、それはファンサを求める自分である。

※ファンサ:ファンサービスのこと。本エッセイにおいてはアイドルのコンサートの際に、ファンがうちわなどで主張する要望に応えることを指す。例:指さし、ハートを作るなど

◎ ◎

私はアイドルが好きだ。アイドルがコンサートや舞台の上でキラキラした光を放ちながら歌い踊る姿を見るのが何よりも好きだ。
光量だけでいうとファンが持っているペンライトの方が光っているはずだが、そのペンライトの海を映す彼らの目は世界中の何よりも煌めいている。
私はそのペンライトの海の一部でありたいオタクだ。"私"という個人として認識されたいわけではなく、彼らのいう"ファンのみんな"の一部でありたいと思っている。

だから、ファンサを求めることにすごく抵抗があった。罪悪感とも言えるかもしれない。
推しが舞台上で歌い踊ってくれるだけでありがたいのに、それ以上のことを求めてしまうことへの申し訳なさ。いわば時間外労働をお願いしているような感覚。

◎ ◎

だがしかし、人間というのは強欲なので、あわよくば、もらえるならば、ファンサをもらいたいと思ってしまう。
必死にアピールを頑張ってもファンサをもらえなかった時に、「もらえなかった」とがっかりしてしまいそうな自分が怖い。
ファンサがもらえなくたって、とても素敵なステージを見せてもらえているのに。それだけで十分なはずなのに。

綺麗事を言ってたって、どうしても望んでしまう。
ステージから近い席が当たったら「パフォーマンスを近くで見られる!」と嬉しくなるけど、「もしかしたらここならファンサもらえるかも」などと邪念が入ってしまうことがある。

目の前で衣装のはためきを見られて、本当に推しって実在するんだなと嚙み締めたり、大好きな曲の踊りが目の前で見れて嬉しいはずなのに、「もしかしたらこっちを見るかも」などとよぎり、純粋に楽しめない瞬間がある。
いっそのこと、「ファンサくれ!こっちを見ろ!」と思えた方が楽なのかもしれない。

◎ ◎

ここまで考えずに単純にライブを楽しめばいいのに、と思う自分もいるし、実際自意識過剰なくらい考えすぎなのはわかってる。
ただ「背中越しのペンライトの海がとても美しいな、この一部になれるのは嬉しいな」と思いながら、「あわよくばファンサをもらいたい」と思っている自分が怖いのだ。心がぐちゃぐちゃになる。

でも、私はオタクをやめられない。
美しいものを見て、自分がどう感じるか、どんなことを思うのか、それを知りたくて、アイドルのコンサートに行っているから。
このぐちゃぐちゃとした感情もアイドルを好きにならなかったら、コンサートに行かなければ持ち得なかった感情だから。
アイドルを見て、自分の輪郭を知る体験は何にも代えがたい。

◎ ◎

自分を恐れながら、オタク辞めたいよ~!と言いながら、私はこれからもオタクを続けていくのだろう。
いつかやめる日が来たとしても、気持ち悪い自分と向き合った経験はいつか何かの役に立つはず!人生無駄なことなんか1つもない!

■みーこのプロフィール
現実と非日常の反復横跳びに勤しむ会社員。

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