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本体よりも湯気が一番美味しい。炊飯器と小躍りするカオマンガイ

  • 2024.12.3

父は数年前から持病があり、暑い盛りになると体調を崩し、毎年のように入院をしていた。近年の暑さは地域に関わらず殺人的なので、温度管理の行き届いた病院にいる方が快適なのではないかと思うのだが、それ以外の不自由さが嫌なようで父は毎度、早く退院したいとこぼしていた。

決して近くはない病院へ洗濯物やお使いで頼まれたものを定期的に届けに行くのはなかなか大変で、父が退院する頃には母や私はヘロヘロになっていた。
病院との行き来をメインで担当し、疲弊している母には申し訳なかったが、私はその疲弊以上に父がいないことへの開放感などの快楽が勝った。

父の入院が決まるとお祝いだと言わんばかりに必ず作る料理があった。カオマンガイである。

◎ ◎

カオマンガイは鶏のスープで炊いたごはんに蒸し鶏をのせた料理で、タイやシンガポールなどで食べられている。私の作るのは自称カオマンガイというだけで実態は鶏肉の炊き込みご飯だ。炊飯器に米と水、鶏肉と適当な調味料を入れて炊飯したら出来上がりだ。

炊飯器にぶち込むだけで主食と主菜が出来上がるのはありがたいことこの上ない。鶏肉によって水分量が異なるので、ご飯がべちょっとしがちなのが玉に瑕だが、鶏肉の旨みを存分に吸ったご飯はとてもおいしい。

でも一番美味しいのは、炊飯中の湯気だった。カオマンガイ本体ではなく、炊いている時の湯気が一番美味しいのだ。炊飯器を開ける時やご飯をよそう時でもなく炊飯中の湯気なのだ。

炊飯器のボタンを押したら、その後は副菜の準備や片付けなどに勤しむ。それらが終わった頃、いい匂いが漂ってくるのだ。「この匂い、もう絶対美味しいじゃん」という出来上がりが楽しみという気持ちと、父という家庭の独裁者から一時的にでも解放された喜びでワクワクが止まらない。

人目がないのをいいことにクーラーの効いた部屋で炊飯器と一緒に小躍りしていた。

◎ ◎

それから紆余曲折あって、幸いにも父の元から離れることができた。もういつ父が入院したとかしないとかはわからない。父に関連する情報を見ると具合が悪くなるので情報を入れないようにしている。

間接的とはいえ父のイメージが色濃いカオマンガイだが、意外にも嫌悪感はなかった。それどころか料理のレパートリーが増えるまで、食卓常連の頼もしい味方であった。

私が料理を失敗したとしても犠牲者は基本、私しかいないので、もっと自由に料理できるようになり、いろんなことに挑戦できるようにもなった。

ある時はカオマンガイにアジアの風を吹かせようと水の代わりに烏龍茶やジャスミンティーで炊いてみたことがある。お茶の風味は熱で消えてしまったのか全然アジアの風は吹かず、いつも通り美味しいカオマンガイだった。

カオマンガイを源流として、具材を増やしていろんな炊き込みご飯に挑戦し、レパートリーが増えていった。我が家に炊飯器はなく、鍋で炊いているのだが、鍋でも相変わらず、そしてカオマンガイに関わらず、炊いている最中の匂いが絶品だった。

◎ ◎

最近はお米が高い。炊き込みご飯どころか普通の白米すら炊けなくなってきた。

私はケチなので10キロの袋のお米を買うのだが、毎回持ち帰りに悩む。色々試した末、肩に担いで帰るのが一番楽だと気づいた。

10キロのお米を肩に担いで歩いていたら酔っ払いに「10キロかぁ〜」と笑われた。その時はものすごく恥ずかしかったが、もういくらでも担いで帰るから早くお米が気軽に買える値段になってほしい。いや、肩や腰に悪いのでカートに乗せて、引っ張って帰るようにするけれども。

白米も炊き込みご飯もカオマンガイもたくさん炊きたい。食べるのも楽しいが、それと同じくらい炊くのも楽しい。アジアンなお店に行ってカオマンガイを食べるのとはまた違う。自分で炊くところも含めて、それが私にとってのカオマンガイなのだ。

■馬須川馬子のプロフィール
毒親育ち。今は親から離れ、自分を育て直しています。ノンフィクションの作文が好きで、社会復帰のための活動の一環として投稿活動しています。

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