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ネットミーム化した戦争成金の「どうだ明るくなっただろう」と、世界的名著『グレート・ギャッツビー』の笑いの共通点とは?/斉藤紳士のガチ文学レビュー⑲

  • 2024.12.2

『読書家が選ぶ世界文学ベスト10』のような企画があると必ずといっていいほどランクインする作品があるが、スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」もそんな作品のひとつだろう。 批評家たちにも高く評価され、二十世紀の最高傑作との呼び声も高い作品でもある。 物語の舞台は1920年代のニューヨーク。 第一次大戦の特需により「ひとり勝ち」状態だったアメリカの栄光と狂騒のいわゆる「ローリング・トゥエンティーズ」の真っ只中の話である。 主人公はタイトル通りギャッツビーという謎の大富豪なのだが、語り手はニックという青年。 大富豪たちの豪華絢爛な生活を、少し気弱でそれほど裕福ではないニック目線で語っているところがこの作品の妙であり、絶妙なバランスを生みだしている。 また、詩的で美しい文章も魅力のひとつになっている。

風はすでに落ち、明るい夜空には、梢にはばたく羽音やら、いっぱいに開いた大地のふいごが蛙たちにあふれるばかりの生命を吹きこんだような、絶え間ない歌声が聞こえて賑やかだった。月光の中を、一匹の猫が影のように通り過ぎた。その姿をとらえようと頭をめぐらしたとき、ぼくは、自分がひとりでないことを知った。ダ・ヴィンチWeb

この美しい文体が「青春」や「若さ」、「栄光」といった刹那的な輝きの脆さを際立たせているように思える。 ニックの隣人であるギャッツビーは豪奢な邸宅に住み、夜ごと絢爛たるパーティーを開いている。 しかし、実はギャッツビーは一途に愛し、そして失ってしまった恋人デイジーを取り戻そうと執念を燃やしているのだった。 どことなく影のあるギャッツビーの過去が明らかになるたび、読者はどんどん物語にのめり込んでいくことになる。

そんな世界的な名作に「笑い」の要素など皆無のようにも思えるがそんなことはない。 過剰なものは常に笑いの対象になる。 「グレート・ギャッツビー」に関してはその過剰な「大富豪ぶり」に笑いが潜んでいる。

すくなくとも二週間に一度は、余興係の一団が、数百フィートのズックと、ギャッツビーの大庭園を一つのクリスマス・ツリーに仕立てられるだけの色電球を持ってやってくる。きらびやかなオードブルに飾られたビュッフェのテーブルには、香料入りの焼きハムや、道化模様のサラダ、はては奇しくも黄金色に色を変じた練り粉の豚や七面鳥、こうしたものがぎっしりとならぶ。メーン・ホールには、本物の真鍮のレールをそなえたカウンターが設けられ、ジンやウイスキーなどの蒸留酒、それから、いろいろなコーディアルが準備される。ダ・ヴィンチWeb

豪華すぎてよう分からんわ! ほんでそれ二週間に一回のペースでやってんのか! と言いたくなるほどの贅沢ぶりである。 昔から行き過ぎた金持ちは笑いや風刺の対象になる。 日本でも戦争成金が紙幣に火をつけて「どうだ明るくなっただろう」と足元を照らす風刺画が有名だが、庶民とかけ離れた感覚を持つ金持ちは時に滑稽に見える。 大阪ではお馴染み、吉本新喜劇のチャーリー浜はまさに「感覚のズレた金持ち」キャラで笑いを取る。 ド派手な衣装にちょび髭、綺麗にセットされた髪で颯爽と現れ、「ごめんくさい!」と叫ぶ。 この落差に客は一斉に笑う。 さらに追い討ちをかけるように、「これまたくさい!」「セ・シ・ボーン」とあくまで上品な口調で支離滅裂な発言を繰り返す。 これを普通のおっさんがやってもウケるわけがない。 あくまで地位も名誉も、そして財力もありそうな男が颯爽と現れて言うから面白いのである。 これまた大阪でお馴染みの漫才師、横山たかし・ひろしは金ピカの衣装で現れ、「すまんのぉ~、おぼっちゃまじゃ」と自己紹介をし、ウケないと「笑えよぉ~」と媚を売り、笑いを誘う。 これはあくまで金持ちと呼ばれる人たちが庶民とはズレた感覚で生きていることをデフォルメしたことによって起こる笑いである。 庶民よりも高みに居る金持ちを「世間知らず」で「無知」な存在に仕立て上げることにより、その落差で笑いを生むことができる。 しかし、そういった誇張はあながち間違っていないのかもしれない。 そう思わせるのが「グレート・ギャッツビー」の登場人物たちである。 別れた恋人への未練や、不要な虚栄心など実に幼稚なキャラクターとして描かれている。 しかし、あくまでそれを滑稽と捉えるか、人間の普遍的な部分だと捉えるかは読者に委ねられているだろう。 僕は前者として捉え、そのズレにニヤニヤするのである。 それは決して下卑た笑いではなく、少しだけ嫉妬の混じった笑いなのである。

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