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違う名字の香典袋を置く時感じる、少し寂しいような不思議な感覚

  • 2024.12.2

私の旧姓はとても珍しい。実家が商売をしていることもあり、名乗ればすぐ「あぁ、〇〇さんとこのお嬢さんね」と地元ではどこに行っても言われた。
目立つことが好きではなかった私は、この名字のお陰で群衆に紛れることができないような、隠れていてもすぐにひっぱり出されるような気がして、本当に嫌だった。ニつ年上の姉と「絶対に普通の名字の人と結婚したいよね」という話をよくしていた。

大人になり、販売員として働き始めた私が絶望したことは、名札をつけて働かなければならなかったことだ。ここでも匿名ではいられないのだ。最近はプライバシー保護の観点から名札をつけないお店も増えているが、あの頃は「名前は個人情報なんで名札付けたくないです!」などと声も挙げられず、名字について突っ込まれ続ける日々を送った。

◎ ◎

数年後、縁あって結婚することとなった私は歓喜した。結婚相手の名字がとてもありふれた名字であったからだ。いや、結婚も嬉しかったが、ついに念願叶って普通の名字になるのだ。
意気揚々と役所に婚姻届を提出した。やっと私は群衆に紛れることができるのだ。面倒なはずの免許証や通帳の氏名変更だって、全く面倒ではない。お店の予約を電話で取っても、もう名前を聞き返されることはないのだ。

新しい、普通の名前になった書類や免許証をみて、満足感の中に少しだけ寂しさがあることに気づいた。これまでの私が消えてしまうような気がしたのだ。一本だけ、旧姓の認印を残しておくことにした。これまでの私が存在した証明である。

あれから十数年。幸運なことにまだ普通の名字で生きている。何度か危機もあったが、そのたびに旧姓を思い出し、離婚を踏みとどまる要素となっていることは間違いない。
三十代半ばとなった私はすっかりこの名字が馴染んでいて、私を旧姓で呼ぶ人間はほとんどいなくなった。子育てや仕事でバタバタしているうちに、実家に帰るのは法事と年末ぐらいになってしまった。

◎ ◎

先日、祖母の法事で実家に帰省した。実家は私が子供の頃に新築したため昔はとても綺麗で自慢だったが、あれから三十年も経ればかなり年季が入ってくる。旧姓の書かれた立派な表札も、古びてきてノスタルジーを感じる。あんなに怖かった父も歳と共に丸くなり、友達から「若くていいなぁ!」と羨ましがられた母ももうすぐ還暦だ。

実家の仏壇の横に、香典袋を置き、線香を上げて手を合わせる。実家とは違う名字の香典袋を置くたびに、長年住んでいたのに、他人になった気がして毎回寂しいような、不思議な気持ちになるのだ。
法事のとき、父と一緒にいると決まって「お嬢さんですか?全然似てないですねぇ」なんて参列者に言われたりする。父とは名字も違えば顔も似てない。あの、香典袋を置くときに感じる他人感がより一層濃くなったような気がして、苦笑いしか出来ない。
そして、ふと思う。嫌いだったこの旧姓、実はとても好きだったのかもしれない。

■川上あさりのプロフィール
地方の山の中に住む兼業主婦。毎朝鳥のさえずりで目が覚めます。

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