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「人間が出していい速さじゃない」車や地下鉄に感じる恐怖の正体

  • 2024.12.2

昔から、ふと、速い乗り物を怖く思うことがあった。
例えば父の運転する車に乗っているとき。高速道路を走っていたりすると「コレ、速すぎるんじゃないか」と怖くなった。小さな頃だけでなく、高校生くらいになってもたまにあった。
事故が起こるのを恐れているわけではない。もちろんそれもイヤなんだけど、事故に関しては「起こるときは起こるだろう」という構えだ。火事とか地震と同じ。起こったらすごく困るけど、対策と注意をしても防げないときは防げないんだし、心配したって仕方ないよなと思う。

ではなぜ恐れているのかというと「これは、人間が出していいスピードじゃないんじゃないか」という感覚に陥るのだ。理屈では説明できない。

そう考える根拠とかは全くないのだけれど、不安に思えて仕方なくなってしまう。一度そのゾーンに入ると、考えないようにしても無理で、1人ただ怯える時間を過ごす。

◎ ◎

これは車以外でも同様だ。
私はよく地下鉄に乗るのだが、車両が駅に入ってくるとき、かなり怖い。前側の車両が停まる乗り場に立っている場合は、まだ良い。既に停車間近のスピードが落ちた状態で進んでくるから。

問題はうっかり後ろの車両が停まるあたりで待ってしまった場合だ。ものすごいスピードで、大きな風と音をたててやってくる。本当に怖くて、はやく終わってくれ、と思いながら首をすくめて地面を見つめる。

車と違って、こちらは公共交通なのだ。多くの人を一度に運んでくれる。むしろ地球環境に優しい乗り物だと、頭では分かっているのに恐怖を感じる。
私は小さな頃から地下鉄沿線で育ってきた。乗り慣れているはずなのに、散々お世話になっているのに。自分でも不可解だ。

◎ ◎

よくよく考えてみると、私は「元々あったものを愚かさによって失う」描写が苦手だ。

石油が採れて潤っていた国が、どんどん石油を採掘して贅沢しまくった結果、枯渇してしまいひもじい生活をする羽目になりました、みたいな話とか。ほどほどで満足しておけばそれなりの暮らしを継続できたのに、欲をかくからこんなことに……とか考えて、悲しくなってしまう。

もしかしたら、頭の中で勝手につなげてしまっているのかもしれない。
速すぎる乗り物=多量の資源が使われているに違いない=怖い! みたいな。
いや、分かっている。ばかげている。そんなこと言い出したらもっと資源を使っているであろうものが他にたくさんあるし。それらの恩恵を大いに受けて私の生活は成り立っているんだし。

◎ ◎

もし車や地下鉄が無かったら、どれほど閉ざされた暮らしをすることになっていただろうか。想像するだけで恐ろしい。私はあまり体力がある方ではないから、徒歩や自転車で動ける範囲は限られている。

きっと今より世の中を知らない、想像できる領域が狭い人間になっていたに違いない。だからむしろ、速い乗り物とそれを作ってくれた人々には、感謝しなくちゃいけないのだ。
分かっている。理解はしている。でもやっぱり、怖い。もう26歳だというのに、なんともアホらしい特性である。

■田道間ハヤシのプロフィール
1998年生まれ。札幌の会社員。

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