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"ごっこ遊び"がつらい…「ママ遊んで」を拒むのはダメな母なのか…"子どものため"をやめた女性が得たもの

  • 2024.12.1

イスラエルの社会学者が書いた書籍『母親になって後悔してる』への日本の女性たちの反響をまとめたNHK「クローズアップ現代」の番組が書籍化された。NHK記者の髙橋歩唯さんとディレクターの依田真由美さんが取材した女性の一人は「『理想のお母さん』ならどうするかではなく、自分はどうしたいかを探すことで、以前より息がしやすくなったと話していた」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、高橋歩唯・依田真由美『母親になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち』(新潮社)の一部を再編集したものです。

桜の通りを歩く母親と2人の子供の背面図
※写真はイメージです
「理想のお母さん」とのギャップ

自分の中で理想化してしまっているお母さん像があって、おいしいものを作るとか、お迎えは必ずいつも同じ時間に行けるとか、日中はたくさん遊んであげて、受け答えも柔らかいとか。それに自分が合っていないなって思うから苦しいのかもしれないです。
(村田沙綾さん インタビューより。2022年5月)

取材当時36歳だった村田沙綾さん(仮名)は、都内の企業でフルタイムの正社員として働き、夫と小学生の息子、保育園に通う娘の4人で暮らしていた。

村田さんは30歳で第2子となる娘を出産した。子どもがひとりのときにはどうにか乗り切れたこともふたりになると立ちゆかないことが増え、「ワンオペ」の限界を感じた。

計画を立ててやりくりしても、不測のことが起きれば思いどおりにはいかなくなることも多かった。ふたりの子どもを保育園に預けるようになった時期、息子が体調を崩したと連絡を受けた。

嘔吐する息子を連れ娘のお迎えに

仕事を切り上げて迎えに行き、娘を保育園に預けたまま息子を病院に連れて行った。その後、自宅に帰って体調が落ち着いていた息子は、娘を迎えに行く時間になる頃、体調が悪化し、嘔吐おうとを繰り返すようになった。


吐きまくる子がいるのにどうやって娘を迎えに行ったらいいんだろう、詰んだって思いました。夫に「8時まで預かってもらえるから迎えに行ってくれない?」って聞いたら、「会議だから無理に決まってるじゃん」って言われて終わりました。息子が苦しい思いをしているのに会議の方が大事なんだって思いました。結局、息子にはかわいそうなことをしてしまったんですけれど袋を持ってタクシーに乗せて、娘を迎えに行きました。

任せるって言われて私がしてきたことが、どういうステップがあってどう大変か、夫は分からないまま過ごしています。1日だけ代わって「簡単だ」って言われても違って、毎日つつがなくやることが大変なんです。そういう積み重ねで信頼関係はなくなっていったのかなと思います。

「他のお母さんのようにできない」

子どもたちが保育園に通うようになると、村田さんは「他のお母さんのようにできない」という思いを強めていった。お迎えに行くと、他の母親たちが優しく子どもの話に耳を傾けているように感じ、眩まぶしく見えた。


子どもたちが「今日こんなことがあったの」って話しかけていて、他のお母さんは「へぇ~そうなんだ。それで? それで?」って盛り上がっているんですけれど、私は「そう、よかったね」くらいの反応なんです。言い方とか対応とかちょっとしたことを他のお母さんと比べて、子どもは優しいお母さんが好きなんだろうなって劣等感を持ちました。

泣きやんでくれないとか、ごはんを作ったのに床に投げられちゃうとか、立ち止まって動かなくなるとか、子どもの不安定さを楽しむことは私にはできませんでした。でもそれを楽しみながら乗り切って、気長に「子どもだからね」って言うお母さんたちがいるのを見ると、私はあのようには感じられないと思いました。

「ごっこ遊び」がつらい

子どもの遊び相手をするにも、自分には適性がないのではないかと感じた。あるとき、「ごっこ遊び」の相手をするのが苦手だと気づいた。「お医者さんごっこ」や「保育園ごっこ」では、子どもが設定した細かいルールがあり、指定されるまま行動をとることが苦痛で仕方なかった。

長時間台詞せりふを言い続けるのにすごく疲れてしまって、細かく指示や命令をされると嫌になっちゃう。「お母さん、遊んで」って言われても自分はやりたくない。だから断ってしまうんですけど、「今日はできないよ」って言うと、がっかりした顔をされてすごく申し訳ないなって。他のお母さんは付き合ってあげるんだろうなと思っていたので私は向いてないんじゃないかと思いました。

さらに、いつからか村田さんは、子どもにスキンシップをとられると落ち着かない気持ちを持つようになっていた。「お母さんが持つはずのない気持ち」だと思い、誰にも言うことはできなかった。自分は、どこか欠落した人間なのではないかと思うようになった。


「抱っこして」とか、子どもが甘えてくるんですけれど、心の中ではかなり嫌々やっていて、1回やるとしばらくやりたくない気持ちになりました。母性がない、愛情深くない母親なんじゃないかと思いました。自分のことを冷たい人間だなと思いました。

要求を断ることや、自分のちょっとした言い方や態度が、将来子どもに悪い影響を与えたらどうしようということをよく考えました。子どもに嫌な思いをさせないような良いお母さんでいたい、安心できる存在にならなければいけないって思うのに、できている自信がない。子どもの要求をはねのけちゃった時に悪いお母さんだって思いました。

父親と娘
※写真はイメージです
子どもではなく「あなたはどう思うの」

変化のきっかけは、夫について友人に相談したときのことだった。夫の話をするうちに、子育てについても助言を受けるようになった。


友人のなかに「ひとりだけ過酷すぎるよ」、「それって家族の形なの?」と言う人がいました。「もっと自分のために生きていいんだよ」って言われて、そう考えても良いんだって思いました。

子どもにとって不安のない良いお母さんになるのが目標だったんですけれど、子どもじゃなくて「あなたはどう思うの?」と聞かれました。それで考え直すようになりました。このまま自分が耐えれば家庭は回って、何年かしたら落ち着くかもしれない。でも無理を続けて今、病気になってしまうことがあれば回復に時間がかかるかもしれない。それなら私は、いつ来るか分からない安寧を待つのではなくて、今の自分を大事にしたいと思いました。

自分だけが我慢して家庭を維持するのは不自然

「あなたはどう思うのか」と聞かれたとき、これまで自分の気持ちには目を向けず、「子どものため」ということばかりを気にしてきたこと、常に周囲の期待に応えようと行動してきたことに気がついた。そして、自分だけが我慢や努力を続けることで家庭を維持しようとすることは不自然なのではないかと思うようになった。


「不器用だけど強いお父さん」と「優しくてにこにこしたお母さん」がいる、この家庭を維持しなければいけないと思っていました。離婚したいなんて、優しいお母さん像を壊すから絶対にだめで、自分が耐えれば家族はバランスを保っていけるのではないかって。

でも相互に気遣ったり支え合ったりすることがなければ、自分からノーと言わなければいけなかったんだと気づきました。努力していたけど、むこうは私が好きでやっていると思っているから感謝もないし、当然だと思っていたんだなって。それからは、怒らせたらいやだなというのは考えないようにして、要求をはっきり伝えるようになりました。

夫との信頼関係を取り戻すことは簡単ではないと感じたが、たとえ修復できなかったとしても不均衡な関係を続けるよりはましだと考えるようになった。

幸い、村田さんには生活を維持できるフルタイムの仕事があり、子どもたちが最も手のかかる時期をひとりで乗り越えてきたという自負があった。夫がいなくてもそう困ることはないという気持ちは、家庭で交渉ごとをするうえで相手に強く出る後押しになった。夫も妻の変化に気づき、妻が自分の思う通りに動くわけではないと理解したようだった。

お母さんらしくなくていい

友人に家族の関係を相談するようになった頃、村田さんはSNSのツイッターを利用するようになった。それまでは、投稿には愚痴が多いと感じて「毒されて自分を見失いたくない」と思い、あえて使ってこなかったという。しかし、実際にツイッターを使って他の母親と交流をしてみると、自分と似たような人も世の中にはいるのだということがわかり、かえって気持ちは楽になった。

自分のように「ごっこ遊び」が嫌いだという人も、子どもとのスキンシップが苦手だという人もいたのだということを知った。

そんな時期、偶然ツイッターの投稿で目にとまったのが、『母親になって後悔してる』だった。

タイトルを見たとき、村田さんは自分にも後悔の気持ちがあるのかもしれないと思った。そして、手に取った本の中に、母になってから悩んできたことの答えを見つけた。


本を読んで、お母さんらしくなくていいっていう考えもあるんだって気づきました。そういえば私は昔からあれもこれも好きじゃなかったって。

お母さんだけど嫌だって思っていいんだってことが発見でした。私の「お母さん像」は、専業主婦だった母でした。おいしいごはんを作って、同じ時間にお迎えに行って、たくさん遊んであげて、受け答えは柔らかいとか、全部作りあげていました。一方で、自分が働いているということは頭から抜けていました。その像に自分が合っていないって思って苦しかったんだと気づきました。

私は私に課せられた役割が嫌なんだなっていうことがよくわかったので、子どもには「好きだよ」って言ってあげられるし、でも「これはやりたくない」って自分に言い聞かせられる。そうやって区別して心を保つことができそうだって思いました。

「自分は自分、子どもは子ども」

「子どものため」と言って自分がやりたくないことを無理にやることはやめた。友人からは子どもに対して気持ちを伝えるようにしたほうが良いというアドバイスも受けた。それを参考に、「自分は自分、子どもは子ども」と考えて関わり方を変えるようにしてみた。


子どもが私にものすごく怒ってきてそのあとにべったりくっつかれても、私はそんなに心が広くないから無理だよって言うようにしました。前は、かんしゃくで子どもに殴られても、そのあと「お母さん」って話しかけられたら「なぁに」って答えていました。

でもそれだと心が壊れちゃうから、子どもは理解できる年齢になったし、私は私を尊重して、さっき殴ってきたあなたをすぐ受け入れることはできませんって伝えます。

村田さんは、子どもの前で「完璧なお母さん」に変身するのではなく、不完全な人間のままでいることを許した。自分にできないことがあれば父親である夫や他の誰かと分かち合えばよいと考えた。思い描く理想のお母さんではなくても、それが自分なら仕方ないと受け入れるようになった。

母親でなかったら何が好きだったのか

母であることに充実感を持てない自分は、母親でなかったらどんなことをやっていて、何が好きだったのだろうかと考えるようにもなった。家族を優先するうち、自分の好みも趣味も、分からなくなっていたことに気がついた。

自分を取り戻すためにいろんなことを試しました。好きだった音楽や漫画に触れるとか友達と話してみるとか。どんな服を着るのがワクワクするのかとか全部考え直して、自分らしさをかき集めたような感じでした。楽しいことだけを短い時間、夜更かししてでもやるようにしたら、だんだん生き返ってくるような感じがしました。そのときに、やっぱり私はお母さんや妻としてだけでは生きていけないんだってことがすごくよく分かりました。

そうして思い出したことのひとつが、昔は漫画やアニメが好きでオタク気質があったことだった。育児の合間に何となく手を出したソーシャルゲームに登場する男性のキャラクターにはまり、グッズを買い集めた。同じゲームをする友達との交流も活力になった。好きなキャラクターの誕生日には、グッズを集めて飾り付ける「祭壇」と呼ばれる手作りのディスプレイを見せあった。

全力で応援を続けるうち、力がみなぎるような気持ちになった。

「推し活」でよみがえった情熱や喜び

推し活がすべてを解決してくれるわけではないものの、村田さんは「推し」をきっかけによみがえった情熱や喜びを他のことにも向けていけると考えている。

高橋歩唯、依田真由美『母親になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち』(新潮社)
高橋歩唯、依田真由美『母親になって後悔してる、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち』(新潮社)

自分の好きなことを探すうちに村田さんは、文章を書くのが楽しいと感じることにも気がついた。知人から依頼されて絵本の原作を考えたり、ブログで自分の日常を綴ったりするようになった。これから仕事や子育ての合間に時間を見つけ、自分のペースで執筆を続けていこうと考えているという。

つらい時期を乗り切れたのは、「推し」のおかげだって感謝の気持ちがあります。今は本を読むにも1ページめくるごとに声をかけられて、トイレも行けないようなこともあるので、落ち着いて長い時間をかけて何かをすることがすごく恋しいです。子育ては子どもたちが成人するまでやりますけれど、自分が本当にやりたかったことは、考えてやっていこうと思っています。子どもが手を離れたあとの生活がいまから楽しみです。

自分をかき集め取り戻して浮かんだ「後悔」

村田さんにとって、自分の後悔を認識したことはどんな意味があったのか。取材の最後に、村田さんに「もう一度選べるなら、母になりますか」と質問した。


自分の育てている子どもたちは大事な存在なのでこの世にいないことを想像するのは難しいです。もう一度あの子どもたちが産めるなら産みますけれど、知らない子どもだったら産みたくないって思います。

子どもを育てるという経験は、別にもうしたくないです。面白い体験だとは思うけど、かかる労力を考えたら果てしない。

自分を主体にするんだったら、産まなかった方が多分、元気だったっていうか、いい人生を送れていたんじゃないかなって思います。自分の人生だけを考えたときに「産んでよかった」と心から言えるかというと、そうではないです。

母であることで、いつも自分ではなく子どもや家族を中心に考えて行動してきた。今もその状況は大きく変わっているわけではない。しかし、その村田さんが周囲のアドバイスや本の言葉をきっかけに、ふと自分の人生を真ん中に置いて考えてみたとき、今の状況で良いのだろうかと自問するようになった。

村田さんにとって後悔という感情は、散り散りになっていた自分を「かき集め」、取り戻し、自身を冷静に見つめることができるようになったときに、初めて浮かんでくるものだった。

いろんなお母さんがいることを認めてくれる社会なら

過去を振り返って評価することはせずに生活していくほうが良いと考える人もいるだろう。ただ村田さんの場合には、偽りなく今の自分の内面と向きあったことで後悔を直視できなかったときよりも気分はましになった。

「理想のお母さん」ならどうするかではなく、自分はどうしたいかを探すことで、以前より息がしやすくなった。


お母さんならみんな育児が得意で好きだと思う人もいるかもしれませんが、私はすごく苦手です。お母さんは全員同じじゃなくて、仕事が好きなお母さんも、しゃべるのが大嫌いなお母さんもいるし、子どもといつもギュってしていたいお母さんも、そうでないお母さんもいる。いろんなお母さんがいることを認めてくれる社会になれば生きやすいし産みやすい。

お母さんが抱きしめてあげないと満たされないとか、お母さんがこうしないとだめなんだよっていう圧がなければ、もう少し気楽に過ごせていたんじゃないかなとは思います。産んだ後にもいろんな選択肢があって、お母さんだって好きに過ごしていいっていう温かい目を周りが持ってくれるようになればいいなって思います。

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