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漢字が持つ広大な意味に気がついて、自分の名字が急に愛らしくなった

  • 2024.12.1

私は生まれてから17年くらい自分の名字があまり好きではなかった。宇野という名字はなにしろ短い。名前も二文字なのでフルネームで四文字。短すぎる。そして、なかなか聞く名字ではないと思っている。私には四個上の兄がいるのだが、ずっと兄と同じ学校、同じ環境をなぞって成長してきた私は、どのコミュニティに行っても毎回「宇野さんって、宇野くんの妹?」と聞かれた。すぐに私が誰かわかるのが、幼いながらにとても嫌だったのを今でも覚えている。

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しかし、高校三年生になったあたりで急に自分の名前を気に入ることがあった。電話口で自分の名前をどう書くか説明する必要があった時に、「宇宙の宇に、野原の野です」と咄嗟に口にしていた。電話を切ったあとも不思議と自分のなかでそのフレーズを反芻する。宇宙。野原。あれ、私の名字ってとても広大だな。よく考えてみたら、私の名字はとても広大な印象を持つ説明を必要とするのだ。

私は先述のとおり、兄のいた環境に後からスルッと入っていくことが当たり前になっていた。世界はずっと狭かったし、交友関係も狭く、コミュニティもとても小さかった。それでも、その小さな世界が私にとっては知っている全てだったし、知り得る全てだった。しかし、自分を構成する文字に目を向けた時、本当に広がっている世界は、私が知る世界よりもずっと、もっと広いのではないかと強く思った。

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それに気づいた時に、自分の名字が急に愛らしい存在に変わった。その時から宇野という名字も、漢字で書いても四文字の短すぎる名前も大切な宝物になった。

それから何年も経って、現在の私には結婚を考える人ができた。今、私の世代には夫婦の姓が別であることを不思議に思う人は少ないように感じている。実際、私もその一人だ。正直、制度が許すならば自分の姓を変えなくてもいいのではないかと思うこともある。名字を変えるほうばかり時間のかかる手続きが多いことや、職場では今の名字で通っているからなど理由はたくさんある。しかし、一番は自分の名字への愛着だと個人的に考える。

名字が短いからか、名前にちゃん付けで呼ばれるよりも、宇野ちゃんと呼ばれることの方が多い。そして、宇野ちゃんと呼ばれるのが大好きなのだ。これから何年宇野でいられるのかな、とぼんやり考えることもある。

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しかし、決して名字が一つになることに反対ではない。愛する人と名字が同じになるというのは戸籍に入るものの特権であるように思うし、ついつい好きな相手の名字と自分の名前を組み合わせてしまう、なんて浮き足立ったことを考えられるのもまた一興であると思う。

もちろん法定相続人や配偶者控除など制度上の問題があるのは承知しているが、選択的夫婦別姓のケースは婚姻関係を結んだ後の問題である。事実婚などと違ってその婚姻関係が法律上で認められているのに、制度の壁を乗り越えられないのは何故なのか、どうしても考えてしまう。

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選択的夫婦別姓に関して私に出来ることは、常に思想すること、そして選挙に行くことくらいだと思う。しかし、これから生きていく時間のほうが長い我々が、生きやすい世の中になるために思想することをやめないでいたい。そして、これを読む人にも積極的に、当事者意識を持ってほしいと切に願う。

■unomayuのプロフィール
幼稚園から高校までを同じ学校で過ごす。本と音楽が大好き。複雑な人生の備忘録。X (旧Twitter) : @as4grm (https://x.com/as4grm)

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