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【インタビュー】齋藤学がアスルクラロ沼津に入団を決めた理由「今の自分を試してみたいと思えた」

  • 2024.11.29
【インタビュー】齋藤学がアスルクラロ沼津に入団を決めた理由「今の自分を試してみたいと思えた」
【インタビュー】齋藤学がアスルクラロ沼津に入団を決めた理由「今の自分を試してみたいと思えた」

Text by Senior Editor

昇格をかけた熱い戦いが終盤まで繰り広げられたJ3リーグは、24日に38試合の長丁場に及んだ2024年シーズンが終わった。

熾烈を極めた戦いが続いたリーグの中で存在感を示したのが、「ゴン」の愛称で親しまれる中山雅史監督が率いるアスルクラロ沼津だ。

豊富な運動量と巧みなパスワークで崩すサッカーで注目を集めた沼津に今季から加入し、ベテランとしてチームを支えた齋藤学選手に、これまでのキャリアや自身初のJ3で戦うこととなった2024年シーズンについて振り返ってもらった。

「今の自分を試してみたい」 沼津入りを後押しした言葉

【インタビュー】齋藤学がアスルクラロ沼津に入団を決めた理由「今の自分を試してみたいと思えた」
【インタビュー】齋藤学がアスルクラロ沼津に入団を決めた理由「今の自分を試してみたいと思えた」

©azul claro

日本代表にも選出された実績を持つ齋藤学は、韓国やオーストラリアでのプレーやJ2のベガルタ仙台でのプレーを経て、今季は中山雅史監督が率いるJ3のアスルクラロ沼津でプレーし、存在感を示している。

チームには先ほど今季限りで引退を表明した50歳の伊東輝悦や、川又堅碁ら実績豊富なベテラン選手が揃うが、齋藤はチーム入団時にかけられた言葉が、沼津加入の決め手になった。

「オファーをいただいた時に、チームの関係者から『チームの練習がキツいから、練習に参加してもらっても獲得の確約は出来ない』と話して下さって、僕は『面白そうだな』と思ったことが沼津を選んだ理由です。

もし、仮に自分が練習についていけなかったとしたら、おそらくどのチームに入ったとしても良いパフォーマンスを見せることが出来ないと思いますし、下手したらスパイクを脱ぐことも考えないといけない。まずは練習に参加してみて、『今の自分がどのくらい出来るのかを試してみたい』と気持ちが込み上げてきたんです」

50歳の伊東輝悦が若手選手に混ざって同じ練習をこなす「楽ができない」状況下でのプレーは、齋藤にとっても刺激になっているという。

「チーム全員でキツいことを乗り越えていく環境に身を置くことで、自分自身の向上心も高まっているように感じます。プロサッカー選手としてプレー出来ている有り難みを感じたり、若手が成長していくにはとても良い場所ではないかなと思います」

【インタビュー】齋藤学がアスルクラロ沼津に入団を決めた理由「今の自分を試してみたいと思えた」
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そのように語る齋藤が回想するのは、自身のサッカーキャリアの転機になったプロ入り3年目、2011年シーズンの記憶だ。

横浜F・マリノスの下部組織で育った齋藤は、2008年に2種登録ながらも7試合に出場を果たすと、2009年にはトップチームに入団し、切れ味鋭いドリブルで活躍が期待されたものの出場機会は得られず。プロ入り3年目の2011年には出場機会を求めて、自身の意向で愛媛FCへとレンタル移籍を決断した。

「決まった練習場やクラブハウスもなく、洗濯も自分でやるような環境でしたが、真面目にサッカーに取り組んでいる選手はたくさんいて、J1で試合に出られずに燻っている選手たちよりもハングリーな印象を感じました。

あえて不自由なことも多かった環境に身を置かせてもらったことで、1人のサッカー選手としていろいろなことを学ばせてもらいましたし、その後のサッカー人生のターニングポイントになっていると思います」

この年の公式戦38試合に出場し、14得点を挙げた齋藤は、翌年にレンタル元の横浜F・マリノスに復帰を果たすと、以後はレギュラーを獲得。2012年に行われたロンドン五輪や2014年のブラジルW杯を戦う日本代表メンバーにも選出され、その存在感を高めていった。


予選敗退のブラジルW杯は「悔しさしかなかった」

【インタビュー】齋藤学がアスルクラロ沼津に入団を決めた理由「今の自分を試してみたいと思えた」
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切れ味鋭いドリブルで存在感を示した齋藤はU-23日本代表に選出され、ロンドン五輪を懸けたアジア予選に挑むこととなった。だが、5大会連続の本大会出場を目指すチームは2012年2月にシリアに逆転負けを喫し、一時はグループ首位を明け渡すなど「予選では近年では例がないくらいに追い込まれた状態」に立たされた。

最終戦でバーレーン代表(2013年3月、国立)を2対0で下し、「もしかしたら五輪に行けないのではないかと不安を感じた」という厳しい予選を勝ち抜いて日本代表は1位で本戦進出を決めたものの、期待値の低さは変わらず。1対1で引き分けたニュージーランドとの壮行試合(2013年7月、国立)の試合後には、本大会に臨む18名の選手たちがブーイングを浴びる場面も見られた。

「今振り返ってみると、選手たちの『低い評価を見返してやりたい』という気持ちはとても強かったと思います」

ロンドン五輪の初戦ではGKのデ・ヘアをはじめ、ハビ・マルティネス、ファン・マタ、コケ、イスコらが揃うスペインと対戦。圧倒的に不利と見られていた中、前半に挙げた大津祐樹の得点を守り切った日本が1対0で金星を手にすると、続くモロッコ戦も2対1で勝利。第3戦はホンジュラスと0−0で引き分けて2勝1分でグループDを首位で通過した。

予選でのポゼッション志向から、ハイプレスをベースとしたカウンターサッカーに切り替えて勢いに乗るチームは、準々決勝でエジプトを3対0で撃破。メキシコと韓国に敗れてメダル獲得はならなかったが、「初戦でスペインに勝てたことが自信に繋がり、結びつきをより強くした」と言うチームは、メダル獲得こそならなかったものの4位で大会を終え、齋藤も5試合に出場して存在感を示した。

その後、持ち味のドリブルに磨きをかけた齋藤は、ザッケローニ監督が率いるフル代表にも招集され、2014年のブラジルW杯代表に臨む23名にも選出されたが……。「史上最強」と呼び声の高かったチームは1分2敗で予選敗退。齋藤も出場機会が得られぬまま、「悔しさしか残らなかった」大会を後にすることとなった。

特にスコアレスドローに終わった2戦目のギリシャ戦では、退場者が出て守備を固めた相手を崩すために「齋藤を起用すべきだったのでは?」と言う論調も見られ、期待の高さを窺い知れたが…。

「実はギリシャ戦の時は、自分でも信じられないくらいに調子が良くて。『試合に出られたらチームの力になれるだろう』と自分でも胸を張って言える状況でした。選手の起用は監督が決めることですが、絶好調なのに試合に出られず、チームも予選で敗れてしまった。あの時のピッチに立てなかった悔しさが、その後のサッカー人生にも大きく影響を及ぼしているんです」

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