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ほとんどが要介護想定なし…「子に迷惑をかけたくない」という団塊世代が"ヨタヘロ期"に直面する厳しい現実

  • 2024.11.29

国民の6人に1人が75歳以上の後期高齢者という時代が到来。社会学者の春日キスヨさんは「介護の現場の声を聞くと、今の高齢者の多くは、自分がひとりで生活できず、誰かの支援が必要になったときのことを想定していない。そうなってしまう原因には、昭和一桁生まれ、団塊の世代ならではの考え方がある」

※本稿は、春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

家でお茶を飲みながら話をする高齢夫婦
※写真はイメージです
80歳を過ぎても、「平均余命」は男性で9年、女性で12年

超高齢化が進む現代日本では、長寿期に達し、何らかの不自由さを抱える生活になっても、その後、10年あまりの人生を生きる人が増え続けている。

女性の平均寿命は87.14歳。男性は81.09歳。80歳時の平均余命は女性11.81年、男性8.98年で、80歳を過ぎても、男性で約9年、女性で12年ほどの人生が残る(厚生労働省「令和5年簡易生命表の概況」)。

この流れのなか、全人口に占める65歳以上の高齢者の割合は、今後さらに上昇する。

2020年の28.6%が、15年後の2035年には32.3%へ、3人にひとりが高齢者となる。

しかも、今後増え続けるのは75歳以上の高齢者で、65~74歳の割合は、2020年の13.8%から2035年は13.2%へと減少する一方、75歳以上の割合は、2020年の14.7%から2035年は19.2%へと上昇し、75歳以上の人口は2238万人に達する。

核家族を作った昭和一桁生まれ、団塊世代の最晩年は…

そのうち80歳以上の長寿期の高齢者人口は、1153万人から1606万人へと453万人ほど増え、総人口の13.8%を占めるようになることが予測されている(以上「日本の将来人口推計―令和3(2021)~(2070)年―令和5年推計」国立社会保障・人口問題研究所)。

2035年といえば、現在70代半ば過ぎの団塊世代が90歳目前となる。人類未踏の超長寿時代の先陣を切って走るのが、昭和一桁生まれ世代~団塊世代までの高齢者である。

この世代の多くは、戦後日本が大きく変わるなか、親世代との関係では、三世代が同居し老親扶養をする、旧来の「家」制度的な考えや慣行に従ってきた。

一方で、自分たちが築いたのは、夫・妻・子どもの「核家族」で、「豊かな暮らし」と「子どもの高い学力」を目指し、「夫婦中心」「子どもの教育中心」で、高度経済成長期を生きてきた人たちである。

「終わりよければすべてよし」というが、この人たちは最晩年期をうまく乗り切っていくことができるだろうか。

【図表1】介護や支援が必要になったとき、生活したい場所
出典=『長寿期リスク』
子と同居していない高齢者の「自宅暮らし」を誰が支える?

今後、少子化が進むなかで、介護労働の担い手不足や高齢者の意識変化も相まって、国は高齢者が在宅で暮らし続ける「地域包括ケアシステム構築」政策をさらに進め、多くの高齢者が、病院や施設ではなく、住み慣れた地域で住む時代になっていくだろう。

高齢者自身もそれを望んでいるようだ。

内閣府の「平成26年度 一人暮らし高齢者に関する意識調査結果」(2015年)によれば、自分の健康レベルが「日常生活を行う能力がわずかに低下し、何らかの支援が必要な状態」である場合には、「高齢者向きのケア付き住宅」や「子や孫、兄弟姉妹など親族の家」などではなく、「現在の自宅」に住み続けたいと希望する人が7割弱を占めるという結果だった。

しかし、老いが進む長寿期に、住み慣れた自宅で過ごすためには、「日常生活を行う能力が低下した部分」を補い支えてくれる力が必要になる。

「日常生活を行う能力がわずかに低下」した場合、どうするのか

生活を維持するには、日用品の買い物、毎日の食事づくりや掃除、洗濯などの家事をはじめ、病院受診時の付き添い、金銭の出し入れなど、「雑事といわれながらもそれがなければ維持できないこと」が数限りなくある。

スーパーで買い物をする女性
※写真はイメージです

そうしたことを自分で担えなくなったとき、誰がそれを補い支える役割を担ってくれるのだろうか。

子どもがいても、子世代家族と別居する高齢者が増え、子世代の単身化も進んでいる。

現在の時点でも、80歳以上の高齢者の家族形態は、男性で「単独世帯」17.1%、「夫婦のみの世帯」47.1%、「配偶者のいない子と同居」23.7%、「子夫婦と同居」10.6%。

女性では、「単独世帯」34.8%、「夫婦のみの世帯」19.3%、「配偶者のいない子と同居」26.4%、「子夫婦と同居」17.4%である。

「ひとり暮らし」は女性が多く、「夫婦二人暮らし」は男性に多いという違いはあるものの、子どもと同居しない高齢者が増えている(厚生労働省「国民生活基礎調査の概況」2023年)。

【図表2】性別・年齢階級別に見た65歳以上の者の家族形態(2023年)
出典=『長寿期リスク』
85歳以上で増える認知症、普通の生活はますます困難に

加えて、長生きすれば認知症の発症率も高くなる。

年齢別に見た認知症の発症率は、加齢とともに上昇し、85~89歳では、女性が48.5%、男性が35.6%(研究代表者 朝田隆「都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応」平成23~24年度)となっている。

これらを考え合わせると、加齢で認知機能も落ち、身体の不自由さを抱えながら、在宅で長寿期を暮らし続ける、そんな人が珍しくない社会になっていくことが見えてくるだろう。

そうした近未来が予測されるなか、いまはまだ元気で自宅で暮らす昭和一桁~団塊世代までの高齢者は、いつまでいまの力を維持できると思っているのだろうか。また、それができなくなったとき、誰に自分の暮らしを補い支えてもらおうと思っているのだろうか。

【図表3】性別・年齢階級別に見た認知症有病率
出典=『長寿期リスク』
親の老後について「親子で話し合うことはない」という現実

この世代には「元気で、人の世話にならないことこそ自立」という、高度経済成長期の価値観を保ったままの人や、子どもがいても「親の老後の心配はしなくていい」と子どもを社会に送り出し、「子どもの世話にはなれない、迷惑をかけてはいけない」と考える人が多い。

元気な間の、高齢者のそんな「親子観」を示す調査結果がある(「『親のいま』に関する親子2世代の意識調査」ダスキンヘルスレント、2022年)。

そこでは、親と子の両方の世代に対して、親の老後について話し合った経験の有無を質問しているが、「親子で真剣に話し合った経験がない」割合が圧倒的に多く、親世代で81.6%、「親と別居する」子世代で75.0%を占める。

そして、親世代が子どもと「話し合わない」理由として挙げたものは、「(子に)迷惑をかけたくないから」が90.3%、「まだ健康だから」が89.3%、「自分の子どもに頼ることを想定していないから」が85.5%。この3つが特に多く、他の理由を大きく引き離す事実が報告されている。

しかし、人間にとって「病むこと」「老いること」「死ぬこと」は避けられない。そして、そうなったとき、他の人の力で自分を補い支えてもらい、世話をしてもらう。これも避けられないことである。

【図表4】子どもと老後について話し合ったことがない親の理由
出典=『長寿期リスク』
「子どもに迷惑をかけたくない」という親たち

しかし、高齢でも元気な間は、そんなときが来ることを予期せず、「親子で親の老後について話し合うことをしない」。その理由が「子どもに迷惑をかけたくないから」「頼ることを想定していないから」。そんな人が多いというのは不思議なことである。

向かい合って話をする親子
※写真はイメージです

いったいそう考える人たちは、自分の人生の最後に控える長い「老後」を、どうやって生きていくつもりなのだろうか。

じつは介護に関する研究を長く続けてきた私が、研究テーマを70代~100歳代までの在宅で暮らす高齢者の生活研究に変え、70代の「元気高齢者」に話を聞くなかで、驚き、不思議に思ったのもその点だった。

なぜなら、「介護」研究を続けるなかで私が出会ってきたのは、自力で生活する力を失い弱った高齢者が家族や支援者に支えられる生活で、「人には支えられて生きるときが必ず来る」ということを前提とするものだったからだ。

そこで、80歳以上でも在宅暮らしを続ける高齢者の話を聞き、分析し、それをもとに、その時期の高齢者の生活を「ヨタヘロ期」と名づけた。そして、まだ若い元気なうちから、いざというときのために、倒れたときの対処法、生活の知恵、医療・介護の制度的知識などを「備える」必要性を訴え、本(前著『百まで生きる覚悟――超長寿時代の「身じまい」の作法』光文社新書、2018年)にまとめた。

介護の現場から「いまの高齢者は備えなんて無理」という声

その本を、長年、高齢者支援職を続ける人たちにも読んでもらった。

だが、その反応は意外なものだった。「いまの高齢者は“備え”なんてできない、無理」という声が多かったのだ。

私は考え込んでしまった。いったいなぜ、長年、誠実に高齢者を支援してきた人たちが、「備えなんてできない」と言うのだろうか。私が立てた「備えが必要」という前提が、高齢者の実情と離れていたのだろうか。それが実情にそぐわないとすれば、どんな視点が必要なのだろうか……。

そうしたことを考えていくうえで、参考になったのが、信頼する2人のベテラン支援者、EGさん、FOさんの意見だった。2人の考えを聞くうちに、いざというときのための生活知識や制度に関する情報や知識を、「備え」として持つことは重要だが、それと同時に、元気な高齢者や子世代に必要なことが他にもあると考えるようになった。

「要介護になったときのリスク管理ができるのは一部の人」

そのきっかけとなったEGさん、FOさんの話を挙げよう。2人とも介護事業所の運営者で、50代である。

【EGさん】「将来、何かあったときのために備えようなんて考える人は、知識人だと思う。そういう人たちは、無様ぶざまな老後になりたくないと考えて、ある程度リスク管理ができる。

でも、一般の人は全然そうじゃない。行き当たりばったりで、まさに本に書いてあったように『ヨロヨロドタリ』。ヨタヨタ期が長くってね。

だから私は、備えより、年齢が20歳ぐらい違う人たちとのつながりが必要だと考えて、頑張ってる」

【FOさん】「一般の人が“備える”というのは難しい。困難というか、ちょっと無理。備えることができる人は、もともとある程度の力があるんだと思う。

でも、普通の人は、もう何も思いつかない。だから、考えて備えることができない人にとっては、つながり自体が力になると思うのです。別の人が持つ力を使うというか」

備えができないからこそ、人とのつながりが重要に

2人は、「人は、倒れたときのことを考え、備える力を持っている」という私の前提そのものが、いまの高齢者の現実にそぐわず、そうした意識を持つ必要性を説いても、実効性がない。自分でその力を持つことができない人にとって、必要なのは、その力を持つ人と「つながる力」だという。

春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)
春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)

多くの支援者の反応や、この2人の意見を聞いて、「高齢者自身が、備える力を持っている」という前提をいったん取り下げた。そしてもう一度、原点に返って、「ヨタヘロ期」の高齢者が在宅生活を続けて、その生活がギリギリのところまでいった場合、どのような形になるのか、それを知りたいと考えるようになった。

また、それを知ることは、「『日常生活を行う能力がわずかに低下し、何らかの支援が必要な状態』になっても自宅で暮らし続けたい」と希望する多くの高齢者にとって、ヨタヘロ期の在宅生活がどのような状況になるのか、そしてそれはどういった形で可能となるのかを知ることにもなり、意味あることではないかと考えるようになった。

そのうえで、いまのところ元気な高齢者は、その時期の生活を支えてくれる人を持っているのかどうかについても知りたいと考えるようになった。

春日 キスヨ(かすが・きすよ)
社会学者
1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専門は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書に『百まで生きる覚悟 超長寿時代の「身じまい」の作法』(光文社新書)、『介護とジェンダー 男が看とる 女が看とる』(家族社、1998年度山川菊栄賞受賞)、『介護問題の社会学』『家族の条件 豊かさのなかの孤独』(以上、岩波書店)、『父子家庭を生きる 男と親の間』(勁草書房)、『介護にんげん模様 少子高齢社会の「家族」を生きる』(朝日新聞社)、『変わる家族と介護』(講談社現代新書)、『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)など多数。

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