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珍しい名字で生まれた私の選択。名乗りたい名字を自由に選べる社会へ

  • 2024.11.29

名字については、近年さまざまな議論がされています。これまでは「結婚後の妻は夫の名字を名乗る」というのが通説でしたが、最近では夫婦別姓の導入など、名字に対する価値観も多様化してきました。

結婚後も自分の名字を維持したい人、パートナーと話し合ってどちらの名字を選ぶか決めたい人、あるいは新しい名字を考えたい人など、さまざまな選択肢が求められるようになっています。こうした議論を私自身とても嬉しく感じており、自分が名乗りたい名字を自由に選べる社会になればいいと思います。名字は単なる家族の証明にとどまらず、その人を表す一部であり、個人の生き方や価値観を反映する大切なものだからです。

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そんな中、私は少し変わった立場にいます。夫と結婚し、珍しい名字から一般的な名字に変えられたことがとても嬉しかったからです。このような感覚はあまり共感を得られないかもしれませんが、私にとっては大きな喜びでした。

私の旧姓は非常に珍しく、子どものころからそれが悩みの種でした。学校や病院では必ず「なんて読むの?」と聞かれ、そのたびに説明するのが面倒で、小さなストレスを感じていました。

さらに、私の親は公的な場所で働いていたため、名字を聞けばすぐに「○○さんのお子さんですね」と特定されることが多く、息苦しさを覚えました。他人と違う名字が目立つたびに、まるで監視されているような気持ちになったことを今でも覚えています。周囲から「かっこいい名前だね」と言われることもありましたが、私にとっては重荷となっていました。

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大人になり、文章を書くようになってからは『みずの』というペンネームを使っています。ペンネームを考えるときに、誰にでも読みやすく、ごく普通に見えることを一番に考えました。ペンネームを使用するようになってからは、より肩肘をはらずに文章を書くことができました。本名を伏せることで、名前に縛られることなく表現できることが心地よく感じられたのです。

そして、一般的な名字を持つ夫と結婚し、「普通」の名字を名乗れるようになったとき、私は本当に安堵しました。『佐藤』や『高橋』のように、どこにでもある名字になったことで、「特別ではない」という安心感を得られたのです。珍しい名字がアイデンティティの一部になり得ることは理解していますが、私の場合、「普通」の名字を持つことにこそ安心感がありました。誰からも特別扱いされず、名字を説明する必要もない日常を手に入れたことで、ようやく自分らしい生活ができるようになったと感じます。

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名字にまつわる思いは人それぞれです。珍しい名字に誇りを持つ人もいれば、私のように一般的な名字にこそ思い入れがある人もいます。今後、誰もが自分にとって心地よい名字を選び、名乗れる社会が実現することを願っています。名字は単なる記号ではなく、その人の人生や想いを映し出すものだからこそ、もっと自由な選択肢があってもいいのではないでしょうか。

■みずののプロフィール
図書館で働いたりフリーでライターをしたりしています。趣味は週一回の図書館通い。 Twitter:@801ol

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