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結婚したいと思った人が既婚者だった。50代夫婦の人生の巡礼路【私たちのパートナーシップ Vol.6・前編】

  • 2024.11.29
ワインバー「祖餐」を営む、石井美穂(左)と英史(右)。
ワインバー「祖餐」を営む、石井美穂(左)と英史(右)。

パートナーシップにおいて、大なり小なり何かしらの悩みや不安を抱えている人は少なくはない。私たちはときに価値観のずれに悩んだり、伝統的な家族観や固定観念に囚われたり、ちいさなボタンのかけ違いによって大切なものを見失ってしまうなどして、自由で豊かなパートナーシップの本質がわからなくなってしまうときがある。こうした中、さまざまなかたちのパートナーシップを営む人々の等身大の物語は、肩に入った力を抜き、前を向いて歩むヒントとなるはず。

本連載に登場する6組目のカップルは、ワインバー「祖餐」を鎌倉で営む石井英史&美穂夫妻。敬愛を込めて、“ワインの妖精”が宿るとうわさされる石井。彼が選ぶ自然派のワインと一杯に込められた作り手のストーリーに耳を傾ける。そこに静かに寄りそう、美穂の和食。人の原風景として惹かれる、シンプルだけど個性のある小料理たち。この洗練された絶妙な調和を求め、世界各国から地球とワインを愛する者たちがこぞって訪れる。生産者や三ツ星シェフまで一流から慕われる店であり、あらゆる者を受け入れる垣根のない包容力が同居する。取材に訪れた者に対して、まずは腹ごしらえと、味噌汁に鉄火丼、そして一口のビールがしれっと出てきたくらいなのだから。そんな50代夫婦の、リアルなパートナーシップを紐解く。

理屈抜きで人は惹かれ合う

VOGUE(以下、V) お二人の出会いは?

石井英史(以下、英史) 2010年1月に僕が鎌倉の長谷にある別のお店でソムリエとして働いていたとき、美穂さんがお客さんで来たのが出会いです。そのときは美穂さんのお友達の誕生日で、二人でカウンターに座って、軽めに食事をつまんでいたね。

V 第一印象は?

英史 お料理を出したときに、なんだか反応がよくて。当時の僕は人生の暗黒期を歩んでいて、だいぶやさぐれていたのですが、料理の説明をしたら美穂さんが僕に「楽しいね」って言ったのね。それで僕は「そうですか?」って聞いたら、「楽しくない?」って美穂さんが聞いてきて。

石井美穂(以下、美穂) 楽しいって言うまで、しつこく聞く感じ(笑)

英史 そしたらなんだかこの人面白いと思って。今までの自分だったら流してたと思うんですが、このときは「楽しい」って乗ってみようという気がして。こういう人と結婚したら、すごくいいのかもと思って「そうですね」って言ったの。

V そのとき、もう結婚まで考えていたんですか?

英史 そう。

美穂 早かったの、この人のその直感的な部分は。

英史 でも既婚者だっていうから、違うんだって思ったのですが、その後美穂さんが三日連続で店に来たんです。

気づいたら、救われていたのは自分だった

V なぜ三日連続で行ったのですか?

美穂 まずその数日前に、働いている石井くんの姿が見える別のお店で新年会をしてたんです。私は元々カウンセリングの仕事を長くしているから、遠くから石井くんが見えた時点で気になって。これはメンタルを解放するきっかけを作ったほうが良いと。もちろんお店が気に入ったというのもあるけれど、石井くんを観察するために通っていた記憶。でも今思うと、逆に石井くんに自分が救われていたんだと思う。私は10年近く身内の介護を続けていて、前の夫の父親に始まり、自分の両親とトリプルでケアを経験し、実家や病院を行き来し、元夫と子どもたちの住む家でご飯を作り、カウンセリングの仕事をして──という生活を続けていました。でも、石井くんと初めて会ったその一週間後に父が亡くなっちゃって。今思うと、自分の休息地は石井くんだった。そして自分ではそのときは気づいていないけど、すごいテンパっていたから、父親の介助という大きなタスクが一個外れたときに、石井くんを観察することを自分の日常にスッと勝手に取り入れちゃったんだと思う。

英史 お父さんが亡くなってからは、うちやお店に毎日きてたね。

美穂 その時点で、自分の夫のところに帰ることをせず。父の介護は大変だったけど、精神面を担保できる空間が一つ欠けてしまったから、そこと同じような場所を見つけて自分の中を調整していたと思うんです。でもそれからすぐ、お葬式などが終わった2月の前半に、元夫から「もう無理じゃない」と三行半を出されて。

V そう言われたとき、どう思ったのですか?

美穂 変なやつって思われるかも知れませんが、なんか解放されちゃった感覚で。そうはいっても当時中高生だった子どもが3人いるので、翌日子どもたちに離婚することを話して、本人たちがどうしたいかを聞いたら、学校には私の実家からではなく、今の家から通いたいとのことで私についてこなかった。だから、そのまま石井くんのところに転がり込んだ感じ。

英史 もうすでに転がり込んでたと俺は思っていたけどね。

日本各地やヨーロッパへ、巡礼の旅に出て

V 結婚に発展した経緯は?

英史 結婚したのは、出会った2年後の2011年12月。僕が39歳で、美穂さんが42歳のとき。一緒に住み始めたころはワンルームに住んでいたので狭く、美穂さんのカウンセリングの仕事もできるような場所をと思い引っ越しを考え始めて。そこで僕の両親へ紹介し、みんなで一緒に新しいお家を見に行きました。そこは綺麗なミモザがあるお家で、僕の母親も気に入って。「ミモザが素敵でここよく通っていたの」なんて話もして。

美穂 私は2回離婚しているから、婚姻についての紙切れはどっちでもよかったんです。だけど石井くんのお父さんとお母さんが3回目の結婚となる私に本当によくしてくれて。過去のことは何も言わずに、「ありがとう」「うちの息子をよろしくお願いします」って考えてくれていて。もしかすると孫も見れるかもしれないという淡い期待があったんだろうという中で、それならちゃんと結婚して、もし授かって初孫が生まれたらいいなと思っていました。

イタリアのワイン作り手アンジョリーノ・マウレ(左)と食事をする二人。
イタリアのワイン作り手アンジョリーノ・マウレ(左)と食事をする二人。

英史 昔すぎて結婚の具体的な経緯はあまり覚えていないけれど、それまであまり国内旅行に行ったことがなかった自分は、2010年3月に美穂さんが遠方で行っているカウンセリングの仕事に着いて九州や北海道へ行き、そこで国内のワイン関係者や陶芸作家との出会いがあったり、9月には一緒に北イタリアに行って、「祖餐」の名前の由来である「ソ・サン」というワインの作り手アンジョリーノ・マウレに会いに行ったり、面白いのがぎゅっと詰まった一年を過ごしていました。

美穂 私は逆に日本からでたことがなかったから外に連れて行ってもらい、そんな感じで巡礼の旅があり。アンジョリーノは私の亡くなった父にそっくりで、「僕がお父さんになってあげる」と言ってくれて、結婚のときはアンジョリーノに婚姻届の証人としてサインしてもらったんです。たまたま2011年12月にイベントで来日してて、「アンジョリーノ・マウレ」と彫ったハンコを作ってね。一つ言えるのは、新しい出会いや旅を通して石井くんのメンタルが回復する兆しと、私の自分の家が一段落ついたこととで、結婚に至るまでのちょうどよい期間だったんじゃないかな。

英史 美穂さんと出会い、僕はすごく笑えるようになった。自分自身のひどい状態をよくしてくれている感じがすごくありましたから。

美穂 そのころの石井くんはデフォルトで眉間に皺が3本あったから、顔はずいぶん変わったね。でも、今のこの穏やかな顔をつくったのは、息子のおかげで私の力ではないと思う。

アンジョリーノ・マウレのワイン『ソ・サン』
アンジョリーノ・マウレのワイン『ソ・サン』

Text&Interview: Mina Oba Editor: Mayumi Numao

>> 後編に続く。

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