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「女の敵は女」と言いたがる女が発生する理由を考える

  • 2024.11.28

「女の敵は女」「女同士はネチネチしている」と言いたがる人や、「女同士が争っている場面」を見るのが好きな人がいる。

なぜ男女問わず、女同士は敵だと認定したがる人がいるのだろうか?

2022年マイメロ・ママが炎上「女の敵は、いつだって女なのよ」

2022年、女性向けの雑貨などを販売する「IT’SDEMO」が、サンリオのキャラクター「マイメロディ」とのコラボグッズ販売の告知をし、炎上した。

コラボグッズには、マイメロディのママのセリフが12個プリントされていたのだが、その多くが時代錯誤だと非難されたのだ。「男って、プライドを傷つけられるのが一番こたえるのよ」「一度や二度の失敗でクヨクヨするような男を掴んだら一生の不覚よ」「女ってね、ダメな男ほど放っておけないものなのよ」などのセリフに加え、もっとも、非難を浴びたのは「女の敵は、いつだって女なのよ」というものだった。

マイメロ・ママのセリフにはさまざまな問題がある。一つには、それらのセリフが、家父長制を肯定・再生産するものだ、という側面がある。

家父長制とは、年長の男性が、年少の男性や女性を支配する制度のことだ。家父長制の存続のためには、「男性は女性のようにクヨクヨしてはならず」「女性のプライドよりも男性のプライドが守られるべきであり」「女性が団結すると男性支配は難しくなるため、女性同士は敵対させておかなければならない」。マイメロ・ママは「毒舌」キャラなのだが、これらのセリフは痛快な毒舌ではなく、暗に家父長制の維持を推進するものになっていたのだ。

この炎上により、「IT’SDEMO」はグッズの販売の停止を決定した。

女性が女性差別・女性蔑視に加担するのはナゼ?

それから2年の時が流れ、2024年の現在、「女の敵は女」と無邪気に言う人は少なくなってきている。しかし、ゼロではない。

「女の敵は女」という言葉は、女性同士の団結を阻害し、女性差別を温存しようとする人たちの利益になる言葉であるため、「家父長制を維持したいと願う男性」が使いたがるのは不思議ではない。しかし、家父長制において、支配され、搾取されうる存在である女性もまた、家父長制を維持し、再生産するための行動をとるケースもある。

例えば、アフリカや中東の一部の地域では、女性器切除(FGM)という風習が現在も残っている。女性器切除とは2000年前から行われている女性の外部生殖器の部分的または全体的な切除を行う風習だ。女性器切除は、大人の女性になるための通過儀礼と考えられており、結婚するための必須条件になっている地域もある。

女性器切除は通常、医療の専門家ではない地域の住民たちによって行われるため、切除の際に激痛を伴い、出血多量のため、死に至ることもある。また、生殖器を切り取るため、性行為で快感を得ることは愚か、激痛を伴い、その後、性行為を行うことが難しくなることも多い。女性器切除によって、性行為が難しくなるということは、女性が浮気をすることもなくなるということであり、まさにこの理由によって、この風習は結婚前の通過儀礼となっているのだ。

世界保健機関(WHO)によると、現在存命中の二億人以上の女性や少女は女性器切除を受けており、さらに、現在も毎年300万人がその危険に晒されているという。

なぜ、女性の命や尊厳を犠牲にしてまで、女性器切除という風習が現在も続いているのだろうか?

『家父長制の起源』(アンジェラ・サイニー 著・道本美穂 訳/集英社)によると、男性だけではなく、母親や親族の女性が少女に女性器切除を強要することが多いという。自らが身体的、精神的に多大な苦痛を経験したにも関わらず、女性器切除の継続を許し、時に娘に強要するのは、なぜだろうか?

それは、母親らは、切除が求められる世界に娘を入れるためには、女性器切除は必要な準備だと信じているからだという。この通過儀礼を受け入れなければ、娘はコミュニティの中で夫を見つけられないかもしれない、と母親たちは恐れている。結婚するしか生きる道がない世界において、同義的に非難されるべき風習であったとしても、現実的な選択肢になってしまうのだ。

アンジェラ・サイニーは、「どんな抑圧であれ、その最も危険な点は、他に選択肢がないと人々に信じ込ませてしまうことだ」と指摘している。

娘に対し女性器切除を望む母親は、家父長制に迎合することが唯一の選択肢であり、それ以外道はないと信じてしまっているのだろう。

家父長制社会で、女性が女性蔑視を内面化しないで生きるには

日本人が女性器切除の習慣を耳にした場合、多くの人が「なんて野蛮な風習なんだろう」と思うだろう。母親が娘の体を傷つけ、心にも傷を負わせるなんてありえない、と思うかもしれない。

しかし、女性が女性に、母親が娘に女性蔑視、女性差別を受け入れるように促すことは、日本においても珍しいことではない。

DVが法律で禁止されたのは約20年前のことであり、それまでは「配偶者間の暴力」は問題視されていなかった。夫から殴られた娘を「それくらい我慢しなさい」という母親もいた。また、夫婦別姓が導入されていない今の時代に、娘が苗字を変えたくないといった際、「わがまま言わずに変えた方がいい」と諭す母親もいる。家父長制が残る社会において、その社会に従う方がいい、と考え、娘の幸せ、娘の生存のために、こういったアドバイスをする母親は、令和の今も絶滅していないのだ。

「女の敵は女」「女の上司の方がねちっこい」「女性同士はドロドロしていいる」と言いたくなる圧力が、家父長制社会にはある。

半沢直樹で男たちがどれだけバトルを繰り広げても、「男同士のドロドロ」「男の敵は男」とは言われず、戦略的だとか頭脳戦などと言われる。女が泣いたら、「女は涙を武器にする」と言われ、男が泣いたら「男泣き」だ。

同じことをしても、男女で違うラベルをはり、女性を貶めようとするのが、家父長制及び女性蔑視のパワーであることは間違いない。

「女の敵は女」というラベルは、耳馴染みがあり、簡単に貼ることができる。家父長制が残る社会に生きている私たちは、男性であっても、女性であっても、女性蔑視、女性差別的思想から完全に自由になることは難しい。

しかし、女性蔑視のラベルに自覚的になり、一枚いちまい、剥がしていくことはできるだろう。

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。

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