1. トップ
  2. ファッション
  3. 四季折々の空気の匂い。いずれ記憶となっていく日々を積み重ねる幸せ

四季折々の空気の匂い。いずれ記憶となっていく日々を積み重ねる幸せ

  • 2024.11.26

この記事を書いている今は、金木犀やセイタカアワダチソウがふわりと香る霜降のころ。多くの人が「一番いい季節」と呼ぶ時期だ。
樹木が芽吹くころの春風。セミの鳴き声の中で感じる夏の草いきれ。空高く、呼吸もしやすくなる秋気。白い息を吐きながらマフラーに顔をうずめる、冬の朝の空気。四季折々の空気があるけれど、その匂いと接続するのは、より具体的な時期や場所の記憶だったりする。

◎ ◎

小中学生のころ、初夏になると水泳の授業が始まるのだが、気温が○○度以上にならなければプールには入れない、という基準があった(何度だったかは忘れてしまった)。毎年、その基準あたりの気温になる日、それに紐づく初夏の匂いのする日、「あ、プールの授業が始まる匂いだ」と思う。

大学時代、1月初旬のある穏やかな日。風が鼻をかすめた一瞬、確実に春の匂いがした、と思った。寒さが苦手なわたしはこれだけで浮き足立ってしまい、Twitterで「今日、春の匂いがしませんでした?」と呟いたところ、当時思いを寄せていた人がいいねをしてくれてルンルンな1日を過ごした。

七十二候に「雪下麦出(ゆきわたりてむぎいずる)」というのがあるらしい。気のせいだとしても、まだ立春も遠い年明けに、古代からの暦を嗅ぎとれたようで嬉しかった。

不思議なことに、気温や視覚情報から、その場には存在しない匂いを錯覚することさえある。冷え込みの厳しい朝、末枯れた木々を見ながら歩いていると、小学校を思い出す。

冬になると毎朝走らされた、おにぎり型の校庭。教室の入り口に、赤いテープの囲いとともに設置された石油ストーブの匂い。授業の合間の短い休みにもみんなでストーブに集まって、手をこすり合わせた。石油ストーブって今でも学校で使われているのだろうか。

大人になってから、エアコンとデロンギで冬を越すようになったが、ストーブの匂いは毎年のように錯覚で立ち上ってくる。

◎ ◎

ノスタルジックな記憶が多いけれど、匂いの記憶は更新もされていく。

2020年の4月末、当時は社会人になったばかりで、いっぱいいっぱいな毎日を過ごしていた。そんなある日、久しぶりに外でマスクをはずして思いきり深呼吸をしたわたしは、空気に匂いがあることを思い出した。

それはまぎれもなく連休の予感を含んだ、4月末という特定の時期の匂い。風邪で寝込んだ後、食べられることのありがたみを噛みしめながら白米をほおばるような貪欲さで、何度もその空気を吸い込んだ。

そういえば、マスクが当たり前の生活になってから、「匂いの記憶」の更新頻度が下がっていたような気がする。ここ数年で本当に多くのことが変わったけれど、いずれ記憶となっていく日々を積み重ねていける限り、ささやかで刹那的な匂いすらも愛でたいと感じた瞬間だった。

◎ ◎

過去の日記を見て気がついたのだが、金木犀の香りを観測する時期が年々遅くなっている。嗅覚の鈍化という可能性もあるが、やはり気温の上昇で季節にずれが生じているのだろう。

五感で季節の移り変わりを知り、それぞれに趣を感じてきた身としては、年々春と秋が短くなっていくのはとても悲しい。変化を受け入れることの大切さが叫ばれる昨今だけれども、こればかりは守っていきたい自然環境だ。

多くの人が経験を通して知っているように、音楽や香りは思いがけない記憶を呼び起こすことがある。

特段思い入れのない日々であれ、忘れたくない瞬間であれ、時空を超えていつか思い出すかもしれない日々を生き抜けているのだとしたら、それはやはり幸せなことなのだろう。

■よひらのプロフィール
宇宙と喫茶店好きのしがない会社員。

元記事で読む
の記事をもっとみる