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先生への中毒的な憧れは、自分の成長を経て気が付けば浄化されていた

  • 2024.11.26

私の憧れは高校時代のカリスマ先生だった。

私の通っていた学校はその地域では珍しい英語教育に特化した学科を持つ高校で、その先生はその高校一有名な英語の先生だった。その人は生徒との日常会話ですら英語で話すことを徹底し、一切日本語を話す姿を見せなかった。自らが英語を話すことで、英語が話せることのかっこよさを体現していた。

私はありがたいことにその先生から課外活動に誘ってもらい、授業外で個人的に関係を持つことになった。その先生は私の夢だった海外の大学に進学することを応援してくれ、様々な活動を持ちかけてくれた。英語の弁論大会に参加することやサマーキャンプに参加すること、高校生として様々な経験をすることができたと今でも思っている。

◎ ◎

私はその先生が話しているときの1つ1つの言葉に感銘を受け、与えてくれる機会を逃すまいと、必死に食らいついた。いつしかその先生に憧れ、教えてもらったことに恥じないかっこいい大人になるのが私の目標になった。

しかし私の憧れはいつしか歪み、その先生の中毒のようにもなった。話してもらったこと、見せてもらったものを全て鵜呑みにし、先生に認めてもらえそうな考え方をすることや、行動をすることが私の基準となった。

高校生だった私はその状態に気がついていながらも、その先生についていけば自分の成長につながるはずだと言い訳して、そのぬるま湯に浸かり続けた。

実際に海外に進学することが決まり、卒業と共にその先生との直接的な交流は無くなった。それでもその先生は私の基準となり続けた。大学時代でも度々思い出しては、次会ったときに認めてもらえるように成長しようと頑張り続けた。

ある意味モチベーションを保つ良い存在であったのかもしれないが、自分自身の考えを持つことも、自分自身の考えを自分が認めてあげることも充分にできていなかった。

◎ ◎

日本の高校から直接海外の大学に進学するということはかなりの挑戦で、無我夢中に過ごしているうちに、いつしか4年が経っていた。次第にその先生を思い出すことも減っていたが、そのことに気がついてすらもいなかった。

学士を取り卒業したタイミングで日本を訪れ、その先生と再会した。いくらその先生のことを思い出すことが減っていたとしても、その先生は私の憧れであり続けていたからこそ、先生のおかげで私は海外の大学を卒業できたと報告したかったし、その先生が今の私にどんな言葉をかけてくれるのか期待もしていた。

しかし会って話しても何か物足りなさを感じた。

その先生が話していることが高校時代のように感慨深いと思わなくなっていた。むしろ、その先生は私の話していることをうまく想像できていないのではないのかという感覚に陥った。そしてその自分の変化に少しショックすら受けた。

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その後振り返って気がついた。高校時代にはその先生に憧れ中毒にまでなった私だが、無我夢中で過ごした海外での4年間の生活は知らないうちに私に様々なことをもたらしていた。

いろんな経験をし、いろんな国の人と会って話すこと。いつの間にか自分の考えを持つようになっていたこと。そして自分の考えを自分で肯定してあげられるようになっていたこと。

高校時代の中毒的な憧れは自分の成長を経ていつしか浄化されていた。

何より私の考え方はその先生とは全く違うものになっていたが、その意見をぶつけてみる楽しさも知った。その先生すら経験してこなかったものを経験し、それに基づく意見をシェアできる喜び。憧れていた先生は離れてみて、より自分に近い存在になった。

今はその再会からもさらに1年が経った。次いつ会うのかはわからないが、今度会うときは過度な期待もせず、さらに成長した自分でその先生と向き合えるだろう。

憧れはモチベーションにもなるし、道標にもなる。でも私にとって憧れは中毒になってはいけなかった。憧れは私が越えなければならないハードルだった。だからこそ憧れの先には自分の成長があった。

■サンのプロフィール
海外の大学に通って言語学を学んでいる大学生。高校まで日本で生まれ育ち今は1つ1つの言葉が社会にどのように影響しているのかを勉強中。

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