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ちょっとした憧れだった「好きな人の名字になること」による不自由

  • 2024.11.26

結婚して名字が変わった。
ありきたり、というとちょっと失礼なのかもしれないが、そんな名字に変わった。
テレビでは聞かないちょっと珍しくて、なかなか好みだった自分の名字のままでいることと、好きな人の名字を名乗れることと、どちらがいいのか、実のところ迷いもあった。
昭和生まれの私は、主人に私の名字を名乗ってもらう選択肢は考えずに、主人の名字を名乗ることを当たり前のように選んだ。
男三兄弟の主人。同じ名字の家族が一気に増えたことは、言うまでもない。

この選択を後悔はしていないし、転職すると元の名字で呼ばれることも少なくなり、今の名字で呼ばれることにも慣れてしまった。
逆に元の名字で呼ばれるとドキッとするようになるという、新たな発見もあった。
そんな風に感じるとは、名字が変わった特権なのかもしれない。元々の名字が好きなのに変わりはないし、今でも主人と一緒にその名字にしてもいいとさえ思っている。面倒な手続きがなければ、だが。

◎ ◎

名字が変わった当時、運転免許証を持っていない私は、色々と身分を証明したり、提出書類でイライラを募らせていた時期がある。
私の場合、健康保険証がまず最初に名字変更がされ、面倒くさがりな私はそれを身分証としてしばらく生きながらえていた。と言っても、普段そこまで身分証の提示は求められないため、特段困ったことは発生しなかった。
それからクレジットカードなどの名字の変更を進めてはいたものの、ある日私は会社を辞めるのである。

すると、どうだろう。
任意継続はしなかったため、健康保険証が手元からなくなった。身分証と呼べるものが目の前から一切なくなり、自分が自分だと主張できないんだと、喪失感のようなものを感じたのを思い出す。
さらに、その休職期間中に受けようと思ったTOEICテストでは、顔写真付きの身分証が必要だというではないか。テストごときに身分証が必要だったとは、全く放念していた私がバカだったが、顔写真付きなんて旧姓のパスポートしかない。
ということで、急遽更新をすることになるのである。

◎ ◎

昨今、顔写真付きの身分証を求められる機会が増えてきたと感じているが、昔は顔写真のない健康保険証でよかったではないか。
「顔写真がついたもの」と指定されると、途端に運転免許証がない私は不利になる。TOEICテストのため、パスポートも一新したが、古くなったといっても過言ではない。
顔写真がついているにもかかわらず、2020年2月4日以降に発給されたパスポートは所持人記入欄(住所欄)がなくなったため、それ単体では身分証としては使えなくなっていた。
昔のパスポートであれば、身分証として問題なかったが、名字が違うから、そもそも身分証として使えない上に、10年間の期限付きの名字変更を1万といくらか払って更新したのに、それもまた使えなくなるとは……。

このままでは、私は私と証明できるものがない!ということで、後回しにしていたマイナンバーカードを作り、所持すべきなのか、保管すべきなのか曖昧なそのマイナンバーカードが、今は私だと主張できる顔写真付きの身分証となった。

◎ ◎

名字が変わったことでの不自由は一時的に大量発生したと感じている。今まで少しずつ、少しずつ、積み上げてきた私という個が、瞬間的に消滅し、新たな身分をまとって復活した感覚だ。
好きな人の名字になる。
小さい頃からのちょっとした憧れではあったものの、その名字を変えることでこんな不自由も生まれるのだと経験した。
自分をあらわすものだからこそ、変更するには手間がかかるべきとも思うけれど、我が身に降りかかってみるとため息ものであった。

■いまりのプロフィール
自分らしいを大切に、ゆるゆるっと日々を過ごしています。
ものを書くことから、読書の大切さを感じ、図書館が好きになりました。
X:@LOVE_SKYee

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