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【インタビュー】J1復帰の東京ヴェルディで光輝いたレフティ山田楓喜!パリ五輪で掴んだ世界との「2つの距離感」

  • 2024.11.22
【インタビュー】J1復帰の東京ヴェルディで光輝いたレフティ山田楓喜!パリ五輪で掴んだ世界との「2つの距離感」
【インタビュー】J1復帰の東京ヴェルディで光輝いたレフティ山田楓喜!パリ五輪で掴んだ世界との「2つの距離感」

Text by 奥崎覚(編集部)

今年、16年ぶりとなる明治安田J1リーグ復帰を果たした東京ヴェルディ。

就任3シーズン目の城福浩監督に率いられたチームは、序盤こそ勝点を積み重ねることに苦労したが、36節終了時点で堂々の6位につけている。

そんな今季のヴェルディにおいて、記念すべきJ1復帰初ゴールを決めたのが山田楓喜だ。

京都サンガF.C.から期限付き移籍で加わった攻撃的MFは、横浜F・マリノスを国立競技場に迎えた開幕戦、開始7分に鮮烈なフリーキック弾を記録。シーズン最初の“緑の歓喜”を生み出してみせた。

【インタビュー】J1復帰の東京ヴェルディで光輝いたレフティ山田楓喜!パリ五輪で掴んだ世界との「2つの距離感」
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23歳のレフティはその後もフリーキックなどで計5ゴールを決めているほか、夏にはU-23日本代表としてパリ五輪にも出場した。

そこでQolyは、今年のヴェルディで鮮烈な印象を残した一人である山田に単独インタビューを実施。

前編では、パリ五輪前後でのプレーの変化や、アカデミーを含めた京都サンガF.C.時代、同じ2001年生まれのレフティ久保建英、そしてヴェルディへの期限付き移籍を決断した理由などについて聞いた。

(取材日:2024年9月10日)

“本物”スペインとの対戦で知った世界との差

――まずは、ご結婚おめでとうございます。

ありがとうございます。

――すごく暑い日が続いていますけど(※インタビューは9月に実施)、今年の夏、暑さ対策で山田選手が意識していたことがあれば教えてください。

サウナが好きなのでサウナへ行ったり、練習後に交代浴とかアイスバスで体を冷やすといったことはずっとやってきたのでそれは継続しています。

あと食事は奥さんに頼んで、さまざまな面を考慮しながらいろいろ作ってもらっているのでそこは大きいかなと思います。

――やっぱりサウナは整いますか?

入りたての頃は友達に誘われて入って「何がいいんだろう」と思っていたんですけど、3回目4回目くらいから“整う”というのが分かってきて、そこからはもうサウナーになりました(笑)。

――パリ五輪から戻ってからリーグ戦ではずっとスタメン出場。五輪の前と後でご自身の中で変化というのはありました?

オリンピックへ行って、スペインに負けて帰ってきたんですけど、そのスペインとやるまでのグループリーグの戦い方は正直「こんなものか」くらいに思っていました。同年代の世界の選手とやって、「全然いけるな」と。

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でも、スペインとやってからはそう思っていたものが一気に変えられて、同年代でもやっぱり“本物”は違うんだなと感じました。スペインはあれでも5、6人くらい(主力が)いないと思うので、そのスペインでも、あれだけボコボコにされるということは、何か“ちょっとしたこと”の差があったんだと思います。

でも逆に、その“ちょっとしたこと”を自分たちも突き詰めてやっていければ全然世界でも敵わない相手ではないなというのは感じたので、その両方ですね。「世界はすごいな」と感じたとともに、この差を埋めれば逆にここまでいけるのかという、これ以上になれるのかと感じました。

――グループステージの3試合とスペイン戦はまったく違う試合になりました。スペインは身体的にそこまで日本と変わらないと思うのですが、それくらい何か、いろいろなところで“ちょっとした差”があったという感じですか?

そうですね。日本と似た感じの、フィジカル能力がすごく高い感じもなければ身体的に突出したものもないですけど、サッカー…とにかくサッカーという感じのそういったところを見ることができた、自分の肌で感じることができたのはすごく良かったです。

同い年の川﨑颯太と久保建英

――五輪の話はまた後でうかがわせてください。まず山田選手のキャリア的なところで、山田選手は滋賀県の甲賀市、昔だと甲賀郡水口町の出身です。そこから小学5年生で京都サンガF.C.に入られた理由はどういったところにあったんです?

小学校4年のときにセレクションをやっているというのを親が持ってきて、試しで受けてみるかみたいな形で行ったら受かったという感じです。選んだ理由とかではなくて、いまの自分を試そうみたいな感じで受けに行きました。

――滋賀の子供たちにとって当時、一番身近なJクラブというと京都?

滋賀県内にそのとき、いまはもう名前が変わりましたけど、MIO(※読みは「ミーオ」、MIOびわこ草津のこと。現レイラック滋賀FC)があってそこの小学校低学年くらいまでのスクールみたいなのには行っていました。

――なるほど。京都のアカデミーは高校から寮だったと思いますが、それまでは通うのが大変だったのでは?

学年の中で一番遠かったです。学校が終わってすぐ自転車で家まで帰り、学校へ行く前に準備しておいた荷物を持ってすぐ駅まで送ってもらって、その電車に乗れなかったらもう練習に参加できないという。もうギリギリの戦いをしていました(笑)。

滋賀県の瀬田駅という駅までクラブのバスが迎えに来てくれていました。そこまで行くのに40分ちょっとくらい、瀬田駅からのバスには40~50分くらい乗っていました。電車だけで行くと2時間以上かかるのでバスの迎えはだいぶありがたかったですね。

――そして、U-18へ昇格した時に入ってきたのがパリ五輪に一緒に出場した川﨑颯太選手でした。最初の印象は?

なんか違うクラブ(ヴァンフォーレ甲府U-15)から来る選手がいると聞いて、「そんなやついるんだ」くらいの感じでしたね、最初は。

――一緒にプレーしていく中でどんな存在になっていったという感じでした?

自分は、周りと比べたり周りの選手と照らし合わせて自分が成長していくというタイプではなかったのでそこまで意識はしていなかったです。

ただ、チームメイトとして頼りになるというか、ボランチでしたけどゴールも結構取っていたので、点も取れる、ボールも奪える。ボランチですごいなと思いながら一緒にやっていました。

【インタビュー】J1復帰の東京ヴェルディで光輝いたレフティ山田楓喜!パリ五輪で掴んだ世界との「2つの距離感」
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――そんな川﨑選手と今年、一緒にパリ五輪へ出ることが決まったときの気持ちはどうでした?

自分は最初はバックアップメンバーという形でしたけど、入った時点ではもういろいろ変わって、帯同する可能性もあるなと思っていました。

一緒に行くという実感はあまりなかったですね。向こうで一緒に試合に出たりしながら「一緒にやっているな」という感覚ではありましたけど、決まったときとかはその感覚はあまりなかったです。

――山田選手のように2001年生まれのプレーヤーにとって、久保建英選手は同い年です。10歳でバルセロナ行きが決まるなどそういう情報は知っていたのかなと思うのですが、どんな存在として見ていましたか?

小さい頃からテレビにちょくちょく出たりしていたので見てはいましたけど、意識したり「彼に負けたくない」とかそういう思いは一切なかったです。

先ほども言いましたけど、自分は他人と比べてのし上がっていくより、自分をどれだけ伸ばせるかというのでこれまで成長してきました。久保建英選手という存在があってもなくても、いままで自分はこうやって成長できてきたので、特に意識はしていなかったです。

いま、日本代表とかでずっと試合に出て、世界でも活躍していますが、それに並ぶ、それ以上の左足をいま自分は持っていると思っています。そこに負けずというか、競うつもりはないですけど、同じレベル…その上のレベルまでいきたいと自分では思っています。

「自分に対して一番本気だった」ヴェルディへ

――東京ヴェルディの選手プロフィールを拝見したところ、「サッカー人生で印象に残っている悔しかったこと」として、京都サンガF.C.でプロになってからの2年間を挙げられていました。当時なかなか試合に出られない中で、どういったことを考えながら日々プレーされていました?

プロ1年目はもう何も考えなかったというか、練習しながらも全然やっている感覚もなかったです。いま思うと腐ってはいないですけど、サッカーに対して、現在と比べて熱が入っていなかったなという感覚があります。

プロ2年目になってクラブの体制が変わり、新しく入ってきたいろいろな指導者に出会って、その年は試合には出られなかったですけど、一番充実した年になりました。

もう生活からガラッと変わったので。プロ2年目は1年目と全く違う性格になって、24時間サッカーのことだけを考えるような生活になりました。もうすごく楽しかったです。

一番「一瞬で終わった年」でした。試合に出ていないですけど、一番やった感というか、一番成長したと感じられた一年になりました。その一年はすごく大きかったなと思います。

【インタビュー】J1復帰の東京ヴェルディで光輝いたレフティ山田楓喜!パリ五輪で掴んだ世界との「2つの距離感」
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――曺貴裁監督が就任し、12年ぶりの昇格を成し遂げて2年間J1でプレーされました。そして今シーズン、昇格したばかりの東京ヴェルディへ期限付き移籍。オリンピックイヤーということもあり、大きな決断だったのではと思います。決断した理由を改めて教えてください。

去年の夏にちょっと(ヴェルディから)声がかかって、そのときは「今年1年は京都でやります」と断ってしまったんですけど、今年に入るときに再度声をかけていただきました。

強化部長の江尻(篤彦)さんや城福(浩)監督とオンラインで話したりしたのですが、自分に対して一番本気だったというか。「こういうサッカーをしたい。そこにお前が必要だ」みたいにすごく熱く話してくれて。「ここだったらもう一個成長できるな」と感じて決めました。

――移籍が発表されたのが昨年末の12月26日。その2日後に木村勇大選手も同じく京都サンガF.C.から東京ヴェルディへの期限付き移籍が発表されました。それは事前に何か聞いたりとかは?

勇大とは連絡を取っていたので、お互い知っていました。

――木村勇大選手も今シーズン、ヴェルディで二桁ゴールを挙げるなど結果を残しています。木村選手は山田選手から見てどんな選手ですか?

裏にボールを出しても足が速いですし、ダイナミックで重戦車みたいな突進もできますし、足もとに預ければ相手を背負うこともできます。FWとしてはかなり万能だと感じています。

それで今年10点、二桁ゴールを取っているので、“ザ・ストライカー”というより、何でもできるFWだなと思います。

【インタビュー】J1復帰の東京ヴェルディで光輝いたレフティ山田楓喜!パリ五輪で掴んだ世界との「2つの距離感」
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独特とも言えるフリーキックや、バックアップメンバーとして掴んだパリ五輪出場、プレーの根幹にある「魅せる」部分、さらには自身のサッカー人生に影響を与えたというトッテナムのスウェーデン代表MFクルゼフスキなどについても聞いた山田楓喜へのインタビュー後編は、11月24日(日)に配信予定。こちらもお楽しみに!

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