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頭を抱えながら、これからも参加していく。ボランティアに正解はない

  • 2024.11.22

中学生の頃の将来の夢は、介護士。ボランティアとはちょっと違うけど、キラキラした職業というより、困っている人の役に立つことがしたいと考えることが多かった。そのため、ボランティアにも当然興味があり、いつか参加したいと思っていた。

ボランティアって、温かくて優しい世界で、かっこいい、人の役に立つこと。そんなイメージだった。

◎ ◎

高校での留学経験もあり、大学では国際系のボランティアサークルに入った。

活動内容は、ある国の地方、いわゆる貧困地域で交流のある小学校を支援するというもの。支援するための資金は、学園祭の屋台での売上金から捻出する。そして毎年、希望者が現地を訪問し、資金を手渡し、現地の人と交流をする。

また、その国の言語を第二外国語で履修している学生が中心となって、授業の中で絵本を翻訳し、小学校に寄付。寄付した資金は、小学校の奨学金として積み立てられる。
現地訪問では、小学校で子供たちと交流する中で、出し物をしたり一緒に遊んだり。また現地の先生と会議の中で、収支報告のようなものをする。帰国した後は、それを行っていないメンバーに共有する。

ずっと興味のあったボランティア。しかも国際ボランティアなんて中々関わることも出来ないし、と大学入学前から憧れていたサークル。
現地にいる間は、私たちがどうしてこのようなボランティアをしているのか、目的、経緯などを共有し、改善点や今後何が出来るかなどを話し合う。そして学園祭や現地訪問が近づいてくると、その準備に追われる。

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サークルには、顧問・副顧問の先生がいて、サークルに顔を出すこともあれば、顧問の先生は現地訪問の際に同行し、通訳の役割も果たしてくれていた。
2人の先生は各々考え方が異なっていて、顧問の先生は、どちらかと言うと道徳的、感情的に動く人で、ボランティア活動に熱心な関心を置いていた。一方で、副顧問の先生は、協力こそすれど、基本的には現実主義で、サークルの活動内容にはいつも疑問を抱いていた。

絵本の翻訳に関しては、学生の授業の一環でもあるし、日本語の絵本を手間をかけて翻訳して持っていくことで、きっと気持ちが伝わる、温かみがあると考えていた顧問の先生。
新品ではない、日本語の上から翻訳した文章を貼り付けた絵本よりも、現地の言語に既に翻訳された新品の絵本を現地で購入した方が良いと考える副顧問の先生。
現地訪問は、私たちが稼いだ資金を直接手渡し、毎年交流して現地を見ることに意味があると考える顧問の先生。
現地訪問することによって、私たちは客人として丁寧にもてなされ、食事も用意される。それがボランティアと言えるのか、現地の人に負担をかけているのではないかと考える副顧問の先生。

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何年も前から続いているボランティア活動で、メンバーが入っては抜けてを繰り返し、過程の一部に関わることしか出来ない私たち。
もちろん、ただルーティンを繰り返すだけのつもりは毛頭ない。より良い活動、ボランティアにするために、何のために、何をするのか、最終目的は何か。答えのない活動に、常に自問自答と議論を重ねてきた。
現地では、ピュアで、純粋にお兄ちゃんお姉ちゃんが日本から遊びに来てくれていると喜んでいる子供たちの姿を見てきたし、この交流が、この子達の未来に少しでも役立てばとの思いでやってきた。その気持ちに嘘は無いし、多少でも貢献出来ている実感はある。

ただ、やっぱり正解が何かは、離れた今でも分からない。
ボランティア活動。その立派な響きの裏には、どこにも同じような葛藤や矛盾が隠れているのだと思う。でも、その葛藤を忘れないようにしたい。
単なる憧れや理想論だけでは、本当の意味ではボランティアとは言えないのだろう。支援する側の独りよがりな一方的な思いだけでする行動は、本当のボランティアではないだろうから。

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きっと正解はないのかもしれない。でもお互いに、お互いのことを思って、頭を抱えて、行動して、失敗しても、次はより良くなるように議論をする。その過程が大切なのかもしれない。楽しいことも沢山あったボランティア活動。でも、一筋縄では行かなくて、朝まで悩んでぶつかったボランティア活動。

難しいな。でも、やっぱり、誰かの役に立とうとする姿勢はかっこいい。これからも私は頭を抱えながら、ボランティアに参加していきたいと思う。

■mariとりんごのプロフィール
旅行好き。漫画、本好き。

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