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憧れの「ひとり」を手放した。幸せでも、選ばなかった人生を想像する

  • 2024.11.18

ひとりで生きる人。自分のためだけに使える時間をたっぷり持っていて、結婚せず子供も産まず、他人に頼らなくても上手に孤独を扱える人。そのような人は周りにはほとんどいなかったはずなのに、物心ついた時から私は「ひとりで生きること」に憧れていた。

そんな私も高校までは、なけなしの協調性をかき集め、弁当を食べる時や教室移動の際は級友と連れ立って行動を共にする程度のことは頑張っていたのが、大学進学をきっかけにやめた。地元を離れ、誰ひとり知り合いのいない北の大地に降り立った私は、水を得た魚の如く、ひとりきりの時間を貪るように楽しんだ。

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とはいえ最初は花の大学生活、新歓コンパに参加してみたりサークルに入ってみたりはしたものの、2年生になる頃には予想通り幽霊部員と化した。私にとっては、たまに食事をする程度の気の合う友人が数人いれば満足だったのだ。

大学の授業は自分の興味があるものだけを取り、休み時間は大好きな読書に充て、アルバイトに精を出した。憧れだったひとり映画、ひとりカフェは、最初は少し緊張したけれどそのうち慣れ、美術館、温泉と行動範囲も広がった。映画もひとりで見る方が臆せず涙を流せたし、カフェでひとり考え込む時間は癒しだった。

20歳を越えてお酒が飲めるようになってからは、気が置けないバーに通って少しづつショートカクテルを覚え、試験のご褒美には好みのワインやチーズを買い込んでささやかな祝杯を挙げた。二重窓で外界から仕切られた暖かい自室では、美しい雪景色が一層、ひとりの時間を彩ってくれた。

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いくつか恋愛も経験したが相変わらず結婚願望はなく、社会人になる頃には両親に「結婚しない予定だからよろしくね」と早々に見合い拒否の布石を打ち、労働すべく東京へと南下した。東京への期待や憧れがあったわけではなく、「ここなら働いてもいいかな」と思った会社の配属先が東京だったのだ。

大学時代に暮らしていた地方都市も田舎育ちの私にとっては大都会だったが、東京はその比ではない。魅力はなんといっても匿名性だ。一度すれ違った人とは二度と会うことがない街。他人にとっての「誰でもない誰か」でいることがこんなに楽だとは。私が育った田舎は、ご近所さんとはみな顔見知り、過去にしでかした悪戯も進学先も筒抜けというプライバシーのなさを受け入れることが生活における基本の「き」だったのだ。

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東京という「なんでもある街」で「誰でもない誰か」となることで、私はますますひとりを楽しんだ。煌びやかな街で買い物し、名画座で二本立ての映画を観、女性専用の岩盤浴で汗を流し、行きつけのバーでお酒を飲んだ。毎週あちこちで開催される展覧会をチェックし、ヒューガルデンホワイトの瓶を片手に隅田川沿いを散歩した。めくるめく3年間だった。

さて、現在、私の左手は右手より若干重い。薬指に指輪が嵌っているからだ。おまけに体重だってずっと重い。お腹の中に赤ちゃんがいるから。

どうして憧れだった生活をみすみす手放したのか。
東京で3年働いた後に、会社から地方都市への転勤の辞令が出たのだが、東京での快適さを知った私には、地方での生活はあまりに退屈だった。映画館の数は10分の1に減り、退屈しのぎに出掛けようにも車がないととかく不便で、アクセルとブレーキの位置も覚束ない私は完全に行き詰まった。そんな時、現在の夫に出会い、気が合ったので結婚し、そうこうしているうちに妊娠した。

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今が幸せか?その問いにはイエス。
でも時々、今でもひとりを楽しんでいるもう一つの人生について考える。28歳の誕生日にはジミーチュウのハイヒール、29歳にはエルメスのベルトを自分にプレゼントする予定だった。30歳にはカルティエのトリニティを贈ってひとりで生きる覚悟を決め、自分自身との結婚式を挙げようと密かに夢見ていた。

浮き輪でぷかぷか浮かんでいたらいつの間にか沖に流されていたように、気付くと当初の予定とはずいぶん違うところに来てしまった。何かを選ぶことは、選ばなかった方の選択肢を捨てることと同義だ。私は当分ひとりきりの生活には戻れそうにないけれど、それも悪くないと思っている。結婚生活は穏やかでそれなりに愉快だし、子供が生まれるのもとても楽しみだ。

それでも、お腹の底から指先までがじんわり痺れるような幸福に満たされるのは、決まってひとりでいる時だ。夫が仕事に行っている間、ラジオを聴きながら本を読んでいる時や、カフェでコーヒーを飲みながら雑誌を捲る時、公園のベンチでマフィンをかじる時。今でも夫が家を空ける夜は、ひとりで回転寿司に行くのもやめられない。厳密には、もうひとりきりではないのだけど。

■原まりこのプロフィール
本と映画、音楽、芸術が好き。
子供の頃の夢は、湖がある森の中に家を建ててセントバーナードと暮らすこと。

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