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上野千鶴子が伝授「なぜ産まないのか」という"不産ハラスメント"への秀逸な切り返し3パターン

  • 2024.11.17

出産した女性は収入減、キャリア形成でも不利となるという「母の罰」「子育て罰」。ジェンダー研究者の上野千鶴子さんは「私は子のいない人生を選んできたが、なぜ産まないのかという『不産ハラスメント』をたびたび受けた。しかし、出産・育児は女性にとって不可欠な経験ではない」という――。

社会学者の上野千鶴子氏
社会学者の上野千鶴子氏
「産まない女より産む方がエゴイスト」という友人との会話

「子を産むエゴイズムと産まないエゴイズム、どちらが大きいと思う?」。子どもがいる女友だちにそんな質問をしたとき、彼女は「そりゃ産むほうに決まってるじゃない」と大笑いしながら答えました。見事な答えだと思いました。新刊『マイナーノートで』(NHK出版)に書いたエピソードのひとつです。

日本の社会では、産まない女は欠陥品と見なされてきました。生物学的にだけでなく、人格的にも欠陥があると思われてきたふしがあります。エゴイストとも言われますね。

天が与えた機能を使わないのですから、確かにわがままかもしれません。でもね、「産まないエゴイズム」もあるでしょうが、私は「産むエゴイズム」も相当なものだと思いますよ。

日本では、女の「上がり」は結婚ではなく母になること。未婚の母であっても、母になればゴールに達した、つまり女であることの証明を済ませたというわけです。これは裏返せば、女は産まないと世間から一人前と認められないし、仕事上でも信用されないということになります。

それらを得るには親になったというアリバイが必要で、実際にそうしたプレッシャーから産む女性はいまも少なくありません。

私は子を産まなかった女です。これまでに何度も「子どもはいつ?」「まだ産まないの?」と聞かれてきました。人にはそれぞれ事情やそう選択した理由があるのに、いちいちうるさいなと思ったものです。こうしたハラスメントをどう名づけようかと考えて、私は「不産ハラスメント」という名称を思いつきました。

「子どもを産んだことのないあなたに、女の何がわかるのよ」

いままでに受けた不産ハラスメントのなかで特に忘れられないのは「子どもを産んだことのないあなたに、女の何がわかるのよ」という言葉です。

彼女はこの言葉を、私に対抗できる最後で最強のツールだと感じている。そして、多くの人々が口には出さなくてもそういう目でおひとりさまの女を見ている。私にそう実感させるだけの威力を持った、まさに必殺アッパーカットでした。

私は何も言い返しませんでした。そんな言ってはならないセリフを言わせてしまうほど、自分はこの人を追い詰めてしまったのだなと深く反省したからです。彼女としても必死の反撃だったのだと思います。

それでも、産まなかったことを後悔はしませんでした。それは自分が選択したこと。悔やんだことは一度もありません。

「なぜ産まない?」という不産ハラスメントへの切り返し

彼女の言葉からもわかるように、産んだ女性たちの自己肯定感というのはかなり大きいようです。「子を産んで初めて人生の何たるかがわかった」と話す女性もいますからね。確かに人生においてはとても大きな経験でしょう。しかし不可欠な経験ではない。私はそう思っています。

昔、インドに行ったときには、私に子どもがいないと知った現地の男性たちから「それは罪だ」と言われました。神に背く罪ということだったようです。日本にも近い考え方の人はいて、私も特に男性から「産まないなんておかしい」といったことを、いくどとなく言われました。そこで、色々な返し方を考えましてね。

「大学まで行ったんですけど、子どものつくり方は教えてくれなくて」
「いたんですけど……亡くしたんです」
「じゃあ、あなたが育ててくれます?」

これで、たいていの人には「ズカズカ人のプライバシーに踏み込むなよ」というメッセージが伝わります。同じような思いをしている女性は、返し方を何パターンか用意しておくと、かえってそれを繰り出すのが楽しみになります。相手はこっちの人生を本気で考えて言っているわけじゃないですから、傷つくだけ損です。

社会学者の上野千鶴子氏
社会学者の上野千鶴子氏
産んだ人たちの多くは自分の意思ではなく外圧を受けている

私の両親は昔ながらの価値観を持った保守的な人たちでしたから、産まないことに関してもずいぶん言われました。なぜ産んでほしいのかと母にたずねたときは、「あなたの老後が心配だから」と言われてびっくりしたものです。あなたは自分の老後のために私を産んだのかと。

でも、幸か不幸か、人間にはバイオロジカル・クロック(生物時計=妊娠可能な年齢の限度)がありますから、さすがに40歳を過ぎたら誰も何も言わなくなりました。本当によかったです(笑)。

人はなぜ産むのでしょうか。私はなぜ産まないのかとあまりに聞かれたもので、逆になぜ産むのかにすごく興味が湧いて、産んだ女性たちに「何で産んだの」と聞いてまわったことがあります。

そうしたら、主体的な動機を口にした人はほとんどいませんでした。姑に頼まれた、夫に土下座された、産むのが当たり前だと思った──。つまり外圧と因襲ですね。

子育てを楽しめない「不幸な母」に育てられた子どもは…

外圧で産んでも、ほとんどの人はその後立派に子育てをしていきますが、中には子育てが楽しめない「不幸な母」もいるでしょう。そういう母のもとに生まれ、愛されなかった不幸な子は昔もいまも山ほどいます。虐待やネグレクトを受ける子どももいます。

昔は家族がもっとスカスカしていたからよかったんです。周りにほかの大人がたくさんいて、家の中にも親以外の価値観や生き方が自然と入り込んできていましたし、家が嫌だったら近所の親戚の家に行くなど逃げ場もありました。

いまは多くの家族が閉じてしまっていて、姑に対して「子育ての価値観が合わないから介入しないでくれ」と言う母親もいます。子どもは首尾一貫した価値観で育てなくてはいけないと思っているんですね。本当は、世の中には多種多様な価値観があるのに。

社会学者の上野千鶴子氏
社会学者の上野千鶴子氏

子どもってしたたかなものですから、親がダメならほかの大人に当たって、自分に都合のいい価値観を見つけて成長していきます。うちにもよく女友だちの子どもが母親から逃げてきて、母親の愚痴をこぼしました。「しょうがないよね、お母さんああいう性格だしね。キミは悪くないよ」なんて相づちを打ちながら聞いたものです。

産まない人生を選択したことで母親を否定し、恨まれた

教育者としてもさまざまな子どもに接してきました。もちろん教育と養育は違いますから、私と親御さんとでは子どもにかけるエネルギーも時間も比べものになりません。けれども、子どもが短期間でぐんぐん知的に成長していく姿を見られるのは、教育者ならではの醍醐味でした。

教育っていわば洗脳装置ですから、「他人さまの産んだ子どもをかどわかして……」と気分はハメルンの笛吹き女でした。ほくそ笑みながらですけどね。

私はずっと親の価値観に反発してきました。そして母からは、産まない人生を選択したことでずいぶん恨まれました。自分が送ってきた人生を、娘が生き方で否定したんですからね。

これは前回のエッセイ集『ひとりの午後に』にも書いたのですが、私は死の床にある母に向かって「私はこの家を出てから必死になって自分を育て直したのよ」と言ったことがあります。死にそうな人に言う言葉か、でもいま言わなきゃもうチャンスはないと思って。

これに対する母の返事が、すばらしいというかすさまじいものでした。「そんなら結局、私の育て方がよかったってことじゃないの」ですって。絶句しました。

少子化の原因は女性のせいではなく、社会不安の問題

当時と違い、いまは多様な生き方や価値観が許容されるようになりました。大人になったら親は親の人生、子は子の人生。親が子の人生を尊重することにつながりますから、そうした考え方が広がってきているのはとてもいい傾向だと思います。

また子どもを産んでも、その子が孫を産んでくれるとは限りません。不産を選択する子どももいれば、LGBTQの子どもも海外で暮らす子どももいますから、少子化は否応なく進行するでしょう。

いまの少子化の原因は、将来の社会に対して期待が持てない男女が増えているからだと私は考えています。子どもにかかるコストは高くなっていますし、産んだら子育て罰がどっと押し寄せてきます。子どもを産み育てることに希望が持てる状況ではありません。

なぜ母親は働くだけで罪悪感を持たなくてはいけないのか

母親になると罰ゲームかってぐらいの追い詰められ方をされますから、産みたくてもとても産める状況じゃない。浜田敬子さんの著書『働く女子と罪悪感』を読むと、母親は働くだけで罪悪感を持たなきゃいけないのか、働く父親は持たないだろうにと、つくづく思います。

上野千鶴子『マイナーノートで』(NHK出版)
上野千鶴子『マイナーノートで』(NHK出版)

それだけでなく、産まない選択肢がちゃんと許容されるようになってきました。私みたいなおひとりさまが、例外とは言えないほどに増えましたから。

私には出産・子育てというパーツが人生からすっぽり抜け落ちています。そんな私が言うのも何ですが、親になることを選んだ人には「子どもに感謝せよ」と言いたいです。

子どもはあなたの80年ぐらいの人生の約4分の1もの時間を埋めてくれる存在。しかもあなたに生きる理由を与えてくれる存在です。こんな存在はほかにないですよね。趣味や仕事があるじゃないかと言ったって、それらは子どもほど切実な思いで向き合えるものじゃありません。

ですからどんな子どもだろうが、子どもがどんな生き方をしようが、親は子に感謝こそすれ、文句を言えた義理じゃない。私はそう思います。

構成=辻村洋子

上野 千鶴子(うえの・ちづこ)
社会学者
1948年富山県生まれ。京都大学大学院修了、社会学博士。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で40年間、教育と研究に従事。女性学・ジェンダー研究のパイオニア。

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