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【インタビュー】「家族のように受け入れてくれた」“避難民”ウクライナ人練習生が語る横浜FCでの暮らし

  • 2024.11.15
【インタビュー】「家族のように受け入れてくれた」“避難民”ウクライナ人練習生が語る横浜FCでの暮らし
【インタビュー】「家族のように受け入れてくれた」“避難民”ウクライナ人練習生が語る横浜FCでの暮らし

Text by 久保村輝彦

2022年2月24日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はウクライナに対して「特別軍事作戦」という名目で、ウクライナに対する軍事進攻を開始した。

開戦から2年半が経った現在でも、ロシアによる攻撃は続いている。多くのウクライナ人は戦禍から逃れるため、故郷から遠く離れた地での生活を余儀なくされている。

神奈川県横浜市に住むヤロスラフ・シュトンダ(ヤリク)さんもその一人だ。ヤリクさんは来日前、ウクライナ北東部の大都市ハルキウに住んでいた。ロシアと国境を接するハルキウ州は、ウクライナ侵攻の激戦地として知られており、いまも毎週のようにロシアによる攻撃が報じられている都市だ。

そうした情勢の中、当時ウクライナの強豪チームウクライナ1部FCメタリスト1925ハルキウ(以下メタリスト・ハルキウ)の下部組織に所属していたヤリクさんはサッカーを続けるため、2022年の11月に叔母の水谷アナスタシアさんが住む日本に避難民として入国。現在はJ2横浜FCのユースチームに練習生として参加している。

今回Qolyはヤリク選手に取材を実施。

後編では練習参加を受け入れてくれた横浜FCでの生活、そして日本から世界へ羽ばたく今後のキャリア展望について話を聞いた。


「家族」のように受け入れてくれた横浜FC

──来日後は横浜FCでプレーしていると聞きました。

「知り合いの知り合いに横浜FCを紹介してもらい、チームからも『おいで、うちで面倒見ますから』と言っていただき、(練習生として)プレーすることが決まりました。

トップチームに来て最初の練習では選手たちをあまり知りませんでしたから、不安な気持ちもありました。でも、同時に(サッカーが出来て)すごく楽しいという気持ちもありました。

その後の練習では選手たちがどんな人柄か分かってきて友達になれました。チームのみんなはすごくサポートをしてくれて、家族みたいに受け入れてくれています。

特にアダウトさん(GKコーチ)や中村(俊輔)さんにはとてもお世話になっています。

──GKだと、中村俊輔さんのフリーキックを受ける機会はありましたか。

「(中村さんの)左足はすごく強くて素晴らしいです(笑)。

初めて会ったときは、中村さんがどんな素晴らしい選手なのか知りませんでした。しかし、一緒に練習していく中で彼が優しくて親しみがある人だと分かりました。

トップチームの練習では、中村さんと一緒に練習したり、ゲーム形式で勝負をしたりしています。大体負けますが…(笑)」

【インタビュー】「家族のように受け入れてくれた」“避難民”ウクライナ人練習生が語る横浜FCでの暮らし
【インタビュー】「家族のように受け入れてくれた」“避難民”ウクライナ人練習生が語る横浜FCでの暮らし

──伝説のマンチェスター・ユナイテッド戦のフリーキックは見られましたか。

「素晴らしい…(日本語)。

練習でシュートが飛んできたときはよく『ユナイテッドのキーパーじゃないから止められないよ…』と言っています(笑)」

日本から目指すトップリーグへの道

ヤリクさんの憧れの選手は、同郷でもあるウクライナ代表GKアンドリー・ルニン(レアル・マドリー)だという。サッカー選手としての目標は、ルニンのように世界トップレベルの舞台で活躍すること。

今年春にはスペインに渡り、スペイン1部ヘタフェの入団テストにも挑戦した。

──将来Jリーグでプレーしたいですか。

「横浜FCには練習の機会をいただき、すごく感謝しています。

でも、将来はトップクラスのチームでのプレーにチャレンジしたい。(入団)テストも受けてみたいという気持ちもあります。 これからは移籍ウィンドーもオープンになるから、いろんなチームに見てもらいたいですね」

──となると、やはり目指す場所は欧州ですか。

「今年5月にアンドリー・ルニン(スペイン1部レアル・マドリーのGK、ハルキウ出身)のお父さんに紹介してもらってヘタフェの(入団)テストに参加し、そこで練習をしました。 練習を通じて、向こう(スぺイン)のレベルがどれくらい高いか、自分がどれくらい頑張らないといけないかも分かってきました。

ヨーロッパ・スペインのレベルは高いし、みんな(ヨーロッパのリーグに)行きたいという夢を持っています。

でも、まだそういう遠い未来のことは考えずに、いまは近い未来を考えて「日本のチームで頑張りたい」という気持ちが1番強いです」

ヘタフェで練習中のヤリクさん(本人提供)

──ヘタフェにも行かれたんですね。

「ヘタフェではAチーム(トップチーム)で、Bチームでも練習しました。

Aチームではフィジカルのレベルも高く、身体のメンテナンスも難しかったです。

また日本とスペインでは時差もありますし、気候が違って慣れるまで時間がかかりました。

ただ、(ヘタフェのスタッフから)『もしこのまま頑張れば私たちは見ている』と言ってもらいました。行って良かったと思います。

もし日本のチームからヘタフェに移籍したら、(チームにとっては)いい移籍金になるかもしれませんね(笑)」

ヘタフェの入団テストの契約書(本人提供)

──日本の気候もウクライナとはまったく違います。日本に来たときは大変でしたか。

「とても熱い(日本語)。昨年の夏はトップチームで練習したけど、慣れるまで夏は大変でした。

暑さに慣れたらいいんだけど、まったく違う気候で育ちましたからね」

(脚注:在日ウクライナ大使館によると、ウクライナの首都キーウの年間平均気温は9.6度)

横浜FCでの日々

インタビュー中、ヤリクさんの口から度々『日本の家族』である横浜FCの人々について語られた。取材を通じ、横浜FCでの生活を楽しそうに振り返るヤリクさんの様子は、最も印象的な場面だった。

誰に言われるまでもなく、横浜FCの選手やコーチは異国の地で挑戦を続けるヤリクさんを自らの意思で手助けしているという。そうした人々の優しさが、ヤリクさんにとっては心の支えとなっている。

──Jリーグで好きな選手、チームはありますか。

「もちろん、横浜FCは一番よく知っているチームです。あとはスベンド・ブローダーセンさん(J2ファジアーノ岡山のGK)のような、横浜FCに以前所属していた選手たちがいるチームをよく見ています。

J2やJ3も含め、日本のリーグのニュースは毎日チェックしています」

──ブローダーセン選手と仲がいいのですか。

「ブローダーセンさんはロシア語を喋られるので、たくさんサポートをしてもらいました。彼のおかげで安心することも出来ましたし、いろんなことも分かりました。

同じチーム、ポジション、考えの選手がロシア語を喋ることができたのは本当に良かったです。

トップチームではブローダーセンさんは『兄貴』、日本のお兄ちゃんでしたね」

練習中のブローダーセン選手とヤリク選手

──ブローダーセン選手は岡山に今季移籍してしまいました。

「寂しい(日本語)」

──ほかに仲がいい選手はいますか。

「練習を一緒にしたとき、私のスパイクがボロボロになっていたのを見かけて、最初に声をかけてくれたのがシオン(MF井上潮音)で、新しいスパイクを持ってきてくれました。

それ以降は中村さんがいつもスパイクをくれます。『潮音が(スパイクを)あげたから、私もあげるよ』と(笑)。

潮音はすごく優しくて、すぐに友達になりました。スペインから戻ったとき、潮音に会ったら、すごく喜んでくれてすごく嬉しい気持ちになりました。

僕が戻ってきてみんなが喜んでくれると思っていなかったので驚きました。

ほかの選手も、監督の四方田さんもみんな『大丈夫?』、『家族は元気?』、『ウクライナは大丈夫?』と声をかけてくれます。 そういった一言、一言が、私にとってはとてもありがたいです」

──横浜FCに伝えたいことをお願いします。

「横浜FCにはチャンスをいただき、プロとしてのやり方も教わったのですごく感謝しています。

プロの仲間に入れてもらい、一緒にプレーできたことがすごく大きな財産です。

中村さんはいまでもサポートをしてくださり、スパイクをプレゼントしてくれる。

そういったところは横浜FCの人たちに『ありがとう』と伝えたいです」

中村俊輔コーチから贈られたスパイク(本人提供)

幾多の困難を超えて、日本から世界の頂点を目指すヤリクさん。異国の地で受け入れてくれた国の『新たな家族』にも後押しされ、Jリーグ、そして世界のゴールマウスを守っていく。

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